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Afghanistan / アフガニスタン 国の歴史と教育問題

アフガニスタンは中央アジアに位置し、ユーラシア大陸の東西交通路とインドを結ぶ「文明の十字路」と呼ばれました。
しかしソ連の侵攻、その後続いた内戦、2001年9月11日に発生した同時多発テロの後行われたアフガン空爆、タリバン政権の崩壊、そして新政権の誕生など激動の歴史を歩んでいます。
2014年に紛争の犠牲となった民間人の死傷者は過去最悪の10,548人で、そのうち子どもは2,474人でした。2014年4月に大統領選挙が実施され、ガニ氏が大統領に選出されました。2014年12月末に国際治安部隊が撤退しましたが、アフガニスタン国軍の治安能力は十分ではないため反政府武装勢力による攻撃がさらに悪化することが懸念されています。

アフガニスタン基礎情報

国名/首都 アフガニスタン・イスラム共和国/カブール
基本情報 人口: 3,055万人(2013年、世界銀行)
国土面積: 65.2万キロメートル
言語:  ダリ語、パシュトゥー語
平均寿命: 60歳 (2012年、ユニセフ)
乳児死亡率(1歳未満): 70人/1,000人 (2013年、ユニセフ)
幼児死亡率(5歳未満): 97人/1,000人 (2013年、ユニセフ)
経済状況 一人当たりの名目GDP:  649USドル(2014年、世界銀行)
消費者物価上昇率(インフレ率): 4.6 %(2014年、世界銀行)
教育状況 純就学率: 72%(男子82%、女子61%), 不就学の学齢児童は330万人(75%が女子)
成人識字率: 36%(2012年、アフガニスタン教育省)

アフガニスタンの歴史

「文明の十字路」と呼ばれるアフガニスタンは、古代から交易の中継点として栄えました。18世紀にはアフガニスタン人の王朝が成立します。しかし1973年にクーデターが起こり共和制を導入。その後再び共産主義政党によるクーデターが発生し、1979年12月、革命を救うとの理由でソ連がアフガニスタンに侵攻してきました。ソ連が反ソ派のムジャヒディン(イスラム聖戦士)を攻撃する一方、米国がこれを支援するなど、「米ソ連代理戦争」へと発展しました。1989年のソ連撤退後も激しい内戦は続き、多くの人々が難民となり、パキスタンなど近隣国へ逃れました。こうした中、タリバンが急速に勢力を拡大し、1996年にはタリバン政権が発足しました。

2001年9月11日、米国で同時多発テロが発生。これを実行したとされる国際テロ組織アル・カーイダをタリバン政権が援護しているとして、10月7日、米国主導によるアフガン空爆が開始され、同年12月、タリバン政権は崩壊しました。軍事作戦と同時に、タリバン政権崩壊後の暫定政権樹立に向けた調整も進められ、12月には「ボン合意」が成立。カルザイ議長を中心とする暫定行政機構が発足しました。2004年1月には憲法制定ロヤ・ジルガ(国民大会議)により新憲法を採択、10月にはアフガン史上初の大統領選挙が行われ、カルザイ大統領が選出されました。しかしアフガンの治安は再び悪化し、タリバンなど反政府武装勢力とアフガン国軍、多国籍軍の戦闘は激しさを増しています。2014年末には多国籍軍からアフガニスタン側への治安権限完全委譲が予定されており、多国籍軍の撤退が進められていますが、その後のさらなる治安悪化も懸念されています。

アフガニスタンでの教育問題

アフガニスタンでは、ソ連の侵攻やこれに続く内戦で多くの学校などの教育基盤が破壊されました。また、タリバン政権時代には女性教員の就労や女子への教育も原則禁止されました。

2002年よりアフガニスタン教育省がユニセフの支援で実施した「バック・トゥ・スクール・キャンペーン」で就学者数は激増し、2011年には10年前の7倍近い750万になりましたが、使用に耐える校舎を有する学校は50%にとどまり、多数の子どもたちが、テントや野外での学習を強いられています。 15歳以上の成人識字率は36%で、特に女性は20%にとどまります。

教育省がまとめた教育開発5カ年計画(1389-93/2010-14)では、2020年までに基礎教育の純就学率を男女共に98%とすることを目標に掲げ、重点項目として、普通教育・イスラム教育、カリキュラムの見直し・教員の教育、識字教育、学校施設の整備等設備の向上を掲げています。
しかし、治安の悪化により、反政府武装勢力により閉鎖または焼き討ちに遭う学校も出てきました。女子校を閉鎖するよう求める脅迫状が届けられた地域もあり住民の不安が広がっています。