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Myanmar / ミャンマー 国の歴史と教育問題

2011年の民政移行以来、欧米諸国の経済制裁が緩和され、景気が拡大。7%を越える経済成長率を記録しています。
2015年11月にはアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が歴史的な大勝。国会の過半数を確保し翌年4月からNLD主導の政権が誕生しました。
長年の懸案であった少数民族武装勢力との和平交渉も進み、主要16勢力のうち、8勢力が停戦合意文書に署名。大きな発展が見込まれるミャンマーの今後に国内外問わず注目が集まっています。

ミャンマー基礎情報

国名/首都 ミャンマー連邦共和国/ネーピードー
基本情報 人口: 5,141万人(2014年,ミャンマー人口省)
国土面積: 68万キロメートル
言語: ビルマ語
平均寿命: 65.9歳 (2014年、UNDP)
乳幼児死亡率(1歳未満): 41人/1,000人 (2012年、ユニセフ)
幼児死亡率(5歳未満): 52人/1,000人 (2012年、ユニセフ)
経済状況 一人当たりの名目GDP: 1204ドル(2014年度、世銀)
消費者物価上昇率(インフレ率): 6.6%(2014年、世銀)
教育状況 小学校を卒業する率: 74%(2013年、ミャンマー教育省)
成人識字率: 93% (2008-2011年、ユニセフ)

ミャンマーの歴史

11世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝が成立。その後タウングー王朝、コンバウン王朝等を経て、1886年に英領インドに編入されました。1948年1月4日にビルマ連邦として独立を果たしますが、独立直後からカレン族が独立闘争を行うなど、政権は当初から不安定な状態でした。1962年、軍事クーデターによりネ・ウイン将軍(のち大統領)による社会主義政権が成立し、主要産業の国有化など社会主義的な経済政策が進められるようにもなりました。

1988 年に起こった全国的な民主化要求デモにより社会主義政権が崩壊し、デモを鎮圧した国軍が政権を掌握。1990 年の総選挙では、民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟が圧勝しましたが、政府は民政移管のためには憲法が必要であるとして政権移譲を行わず、権力を保持したため国際社会からの非難を受けることとなります。

政府は2003年 8月に「民主化への7段階ロードマップ」を発表し、政府主導の民主化プロセスを推進する方針を打ち出します。そのロードマップに従って新憲法採択のための国民投票を実施し、投票率 98.12%、賛成票 92.48%をもって新憲法が採択しました。2010 年 11 月には新憲法に基づき 20 年ぶりに総選挙を実施。スー・チー氏の自宅軟禁を解除しました。

2011年3月に誕生したテイン・セイン大統領下の政権は民主化・国民和解に向けた改革を推し進め、欧米諸国の経済制裁の緩和も進みました。

2015年10月には少数民族武装組織、主要16勢力のうち8勢力と停戦合意を結びました。11月に行われた総選挙においては、スー・チー氏率いる国民民主連盟が圧勝。国会における過半数の議席を獲得し、翌年4月より新政権が発足しました。

ミャンマーでの教育問題

学校に最初から入学しない子どもも含めると50%の児童が小学校を修了していません。その中で寺院学校や夜間学校が、子どもたちの受け皿となっています。2013年には寺院学校は、全国に1504校あり、26万人を越える児童・生徒が在籍しています。2001年の時点では、1,028校だったので、学校数が急増していることが分かります。

小学校を卒業しないまま成長した若者や成人は読み書きや計算の能力が不足していることから、衛生や保健、自分の保護のための知識が得られず、就職の機会も限られることから社会的に不利な立場におかれています。情報省はこれまでビルマ語でのみ出版するという方針を転換し、少数民族の言語での出版を奨励・支援する政策を打ち出していますが、それらの本はまだ不足している状態です。