カンボジアでは7月27日、5年に一度の国民議会選挙が行われ、投票日前後はマスメディアでも選挙のことが連日大きく取り上げられていました。結果は与党の人民党が123議席中90議席を獲得する圧勝に終わりました。しかし、今回は、総選挙と同等以上に大きく取り上げられている問題があり、総選挙もかすんでしまうくらいでした。それはプレアビヒア寺院の世界遺産登録に端を発するカンボジアとタイの国境問題です。総選挙をはさんで、いまなお新聞ではこのトピックが見られない日はありません。
「SVAは、何故、こんなに辺境の村にばかり学校を作るのですか」。学校建設を担当している建設業会社の担当者からため息混じりに嘆かれたことがある。確かに私たちが学校を建設する村は、中部コンポントム州やシェムリアップ州の街や幹線道路から凸凹道を車で3時間も走るような村がある。
8月1日からは、カンボジアは全国一斉に小学校は雨季休みとなる。10月1日に新学期が始まるまでの2ヶ月の休み。農村の子どもたちは、田植えや農作業の手伝いをして過ごす。先生たちは、この休みの期間に副業に精を出す期間でもある。田圃や畑を持っている先生は、田植えや農作業に忙しい。また、街に出てホテルやレストランで働く先生も珍しくない。
雨季休みとなる8月1日の前の7月は、小学校を回り、学校の建設の準備、設計、契約、村人との会議、郡教育局との教師派遣の確約を取り付けることと忙しい。一日、朝から晩まで、雨季の泥道を5カ村を回ることも珍しくない。
今年から本格的に開始したSVAカンボジア事務所、「ドリーム・スクール」計画。雨季の真っ只中の8月は、植林に最適の季節。これまで報告した通りに、何しろカンボジアの典型的な農村の小学校には、子どもたちが運動するグランドが無い。校庭は、あっても校庭のど真ん中に国旗掲揚塔が立っている。無計画に、校舎を建てたり、道を作ったり花壇や木を校庭に植えてしまうので、子どもたちが運動したりするグランドが潰れてしまう。体育は、カリキュラムにあっても体育をするグランドが無いし先生も体育を教えられない。また、折角生えていた野生の芝をわざわざ切り取ってしまい雨季は、校庭ドロドロ。乾期は埃だらけ。こんな状態だったカンボジアの農村の典型的小学校を何とか改善しようとして、始まったのがドリーム・スクール構想。
「あれ、どうしてこんな人家のないジャングルたくさんの車が停まっているのだろう」そう思いよく見ると、ジャングルを切り開いた未舗装の道路に架った橋に大型トラックがはまっていた。トラックの重みで、板切れを並べただけの橋が壊れたのだった。どうみても人力で持ち上げられるようなトラックではない。 少なくとも4トンはある。トラックの運転手たちは、橋にはまったタイヤを何とかしようとしているが、どうにもなりそうもない。 カンボジア人たちは、皆、黙ってその作業を眺めている。上り、下りともに車が通行出来ずに停車している。上り、下りとも迂回する道路は無い。元の道路を引き返して迂回すると少なくとも5時間はかかるという。
カンボジアの雨季の農村は、悪路との闘いでもある。幹線道路から一歩外れると舗装道路は、皆無。デコボコ道だったのが一度、雨が降るとチョコレートが溶けたような泥の道となる。四輪駆動の車でやっとのことで村の学校に辿り着く。時に、道路が冠水して、川のような道路を走る。やっとのことで着いた村の学校は、「これが学校。教室」と、言葉を失うことがしばし。学校といっても、一教室ということもある。屋根だけがある学校。先生も二人だけ。あるのは黒板と机と椅子だけ。黒板だけで机と椅子がなくて地面に座って子どもが勉強していることもある。
「女性の写真は、車の中からでも絶対に撮らないで下さい。グルカを被っていてもダメです」。SVAのアフガン事務所のアフガン人スタッフAさんの声は、穏やかだった。しかし、目が真剣だった。パキスタンとの国境に近い、東部のジャララバードでの出来事だった。女性の写真を撮ったことがわかれば、何をされても非難することはできないという。
さらに車の日除けの黒いシートも窓から絶対に外さないと念を押された。暑さを防ぐための日除けのシートではなく、外部から誰が乗っているかわからないようにするためだった。私たちがアフガニスタンに、パキスタンの首都イスラマバードから国連機で、カブールに入ったのは、今年の5月19日。
カンボジアの小学校では教科書は貸出制がとられている。これは子ども達に配布してしまうと、教科書の在庫の問題から次の年の子ども達が使用する教科書の確保が約束できなくなるからである。
年度の初めに教科書を学校から借り、年度末に返却する。何人もの子ども達がリレーのたすきのように次の学年の子ども達に渡しているのである。
しかし1冊の教科書が5年以上も使われていると、ぼろぼろで表紙もなく、20ページ目から始まっているものもある。約1割は次の年には使用ができないといわれているが、増刷もされていないため、5年前は全教科の教科書が借りれたが、現在では一教科しか借りれなかったという例もある。もちろん全く教科書が配られなかったという子どももいる。
教科書、副読書・・・カンボジアは子ども達が手にする書物が大変限られている。
トンレサップといえば、カンボジアの中央に位置する大湖。「伸縮する湖」といわれる程、乾期と雨期の大きさは異なる。乾期は、約3000平方キロメートル。雨期には、9000平方キロメートルまで拡がる。約300種の淡水魚が生息し、東南アジアでも最も淡水魚の種類が多いとされている。昔から魚業が盛んで、淡水魚の漁獲高は世界有数を誇る。
SVAカンボジアでは、これまで学校を作る担当課を「学校建設事業課」という名前で活動をしてきました。現場での名称も英語でもカンボジア語でも直訳していました。昨年の末のある時に、「少し学校を建設することにこだわり過ぎているのではないか」と、誰からともなく疑問が出てきました。
SVAは、これまで15年間で、約170校の学校を建設してきました。学校の校舎の建設の質、住民参加、井戸、トイレ等に関してカンボジア政府や各州、村、小学校から高い評価を受けてきました。しかし、カンボジアの小学校を見ている何かが足りないことに気が付きました。それは、校舎・教室、校庭、環境を守る植樹、遊び場、国旗掲揚塔などの配置に対しての明確な基準が教育省、州、郡、村レベルでほとんどないことでした。
この度カンボジア事務所に着任しました、鈴木晶子です。2005年にSVAに入職して以来、2年間東京事務所で緊急救援を担当しておりました。緊急救援では国内外の災害発生後の支援のみならず、「災害時にも強い地域力の向上」をテーマに日頃の防災活動にも取り組んでまいりました。この2年間は特に海外で災害が起きた後の教育支援を行ってきたわけですが、様々な災害現場で「小さな絵本の大きなチカラ」を目の当たりにしました。被災直後の地域は悲しみに満ちていました。何もかも失い、深い悲しみとやり場のない怒りを抱えた大人たち、居場所である家、学校を失い、遊び場である集落の変貌に直面した子どもたちの不安と悲しみ。このような状況の中でSVAが提供したのは、子どもたちが安心して過ごせる場所と、同じ悲しみを背負いながらも子どもに寄り添い続ける村の若者、先生の存在でした。
今年の正月はタイから小学6年生の息子と小学2年生の娘が、母親と一緒にカンボジアに来た。昨年、2月にカンボジアに赴任して以来、家族揃っての単身赴任中の父親が働くカンボジアを訪問するのは初めてだった。久しぶりの家族旅行と車で、プノンペンから4時間の南部のシアヌークビルの海で二泊三日過ごした。子どもたちは、シアヌークビルの海の美しさと家族団らんの楽しさと時を忘れ過ごした。我家の子どもたちにとって、一番、ショックだったのは、どこにいっても自分たちよりも小さいカンボジアの子どもたちが、物売りをしたり、空き缶やビン、屑を拾って働いていることだった。
カンボジアの内戦後樹立された現在の政府(1993)年になって二度目のカンボジア村・地区評議選挙の投票が4月1日行われた。第一回目は、5年前の2002年に行われた。地方選挙は、全国、1621の村・地区(コミューン)評議会の議員(5名から11名)を比例代表制で選ぶもの。また、今回の地方選挙は、来年行われるカンボジアの総選挙の前哨戦とも位置付けられていて注目されていた。カンボジア政府は、国際社会に対して、選挙費用650万ドルを要請し、日本政府 もその半額を超える269万ドルを援助した。選挙の監視には、13カ国、135名の選挙監視団を派遣した。
『サン・ジョルディの日』をご存知ですか。サン・ジョルディの日は、スペイン・カタロニア地方で始まったとされるイベントです。獰猛なドラゴンを相手に勇敢に闘い勝利を収めた騎士サン・ジョルディを祀り、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る風習があります。
サン・ジョルディの日は4月23日。この日は、『ドンキホーテ』の作者であるセルバンテスやシェイクスピアの命日でもあるため、ユネスコにより「世界本の日」に指定され、現在では国連の国際デー「世界図書・著作権デー」に指定されています。
「危ない。人が倒れている。避けろ。止まるな。一気に進め」。次々と短い言葉が車の中で飛び交い緊張が走った。車のライトに照らされて道路の右側中央に、若い男が倒れているのが見えた。身動き一つしない。その脇には、バイクが転倒していた。3月12日。夜7時半。国道6号線をプノンペンから北へ2時間の山の中での出来事。「道路の真ん中に人が倒れているのを無視して、通り過ぎるのか」。下手に止まれば、トラブルに巻き込まれて、こちらの命が危ないという。止まれば、目撃者もいない夜、こちらが被害者になる可能性もある。また、止まったら車を略奪されたり、撃たれる可能性もある。翌日のコンポントム州の僻地の農村での移動図書館活動へ向かうための移動中の出来ごとだった。
“カンボジアのガンジー”と呼ばれ、ノーベル平和賞の候補に4回推薦され、カンボジアのすべての国民から尊敬されるだけでなく、多くの国の人々からも愛されたマハー・コーサナンダ師が3月12日、滞在先のアメリカ合衆国マサチューセッツ州の病院で逝去されました。享年78歳。
ゴミ回収車が到着する度に、「ゴミ山」に生きる人たちが、一斉に集まってくる。通称、プノンペンのスモキー・マウンティン。正式名は、ストゥン・ミェンチェイ地区。プノンペンの中心部から南西5キロの郊外にある。プノンペン市から出るゴミの処理場。いくつものゴミ山が高く聳えている。
このゴミ山に入ると強烈な匂いが鼻につく。生ゴミの腐った匂いとナイロン等を燃えた匂いが混じりあっている。ゴミ山には、10才前後の子どもたちから老若男女が、ゴミの中からリサイクル可能なものを見つけ出して、専門の業者に売り生計を立てている。ゴミの中からビン、缶、ナイロン、プラスチック、金属と分けて拾っていく。ゴミ回収車が着く度に、小型ブルトザーで、ゴミ袋を踏んで破りゴミを取り出しやすくしている。
東京事務所の勤務となりました。慣れない地下鉄に乗り通勤。未だに路線を覚えず「黄色い電車、オレンジの電車」と呼ぶ毎日。外にふと目を向けてもウシもブタもニワトリもいません。地下鉄なので外の風景も見えません。目の前には、寝ているか携帯電話をいじっている人が多いですね。日本を感じたくて、週末は落語を聞きに寄席に行き、日本橋で七福神のスタンプを集めに神社、仏閣を回る私は、外国から来た観光客のようです。
先月、2月23日に、曹洞宗東北管区教化センターの40周年事業の一環の中で、カンボジアに贈呈された四輪駆動の移動図書館車が装いも新たに本格的な活動を開始しました。3月12日、コンポントム州の遠隔地の農村を新移動図書館車が、小学校を訪問致しました。コンポントム州の州都から悪路と埃の中を西へ一時間半走ると村の小学校に到着。
さる、1月31日、在カンボジア日本大使館にて日本国大使やJICA所長も出席し、計22団体51名が参加してENJJ(大使館、NGO、JICA、JBICの頭文字をとってENJJ)定期協議会が開催されました。この会議はENJJがオールジャパンとしてカンボジアの発展に貢献するために、ODA・草の根の経験や課題について意見、情報交換を行うことを目的に年1回ないし2回開かれてきたものです。
「シウパウ、シウパウ、シウパウ」という声を聞いて、村人や先生たちである大人たちから歓声とどよめきが上がった。「シウパウ」とは、カンボジア語で、本の意味。カンボジアのコンポントム州の農村の小学校の子どもたちに、「今、一番欲しいものは何か」と質問した答えが本だった。さらに、コンポントムの街から山奥に四輪駆動の車で、3時間走りやっと辿り着いた村の小学校でも同じように「本が一番欲しい」という答えだった。ここは生徒数119名。先生は二人の複式学級。1年生から4年生までしかない。僻地の極貧の村であることが村人の家や自然環境からも一目瞭然。現在、カンボジアでは教育省が中心となって、ユニセフ等の支援の下にチャイルド・フレンドリー・スクール(CFS)構想を推進している。全ての子どもたちが学校に通えるようにとの願いからだ。現実は、農村の中でも幹線道路から離れた僻地となると小学校も2教室、先生が2人という小学校が多い。
大変ご無沙汰しております。元図書館事業課調整員の鎌倉幸子です。約3ヶ月ぶりにカンボジアに出張で戻ってまいりました。今回は今月号でも紹介されております車両の贈呈式に参列するため、そうして3年間図書館活動を展開しておりましたバンテイミンチェイ州の事業の評価をするために戻ってまいりました。 改めまして車両のご協力をいただきました、遠江四十九薬師奉賛会、愚労軽塾、曹洞宗東北管区教化センターの皆様に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。 現在は東京事務所海外事業課でカンボジア担当をしております。
ここ1年間、SVAカンボジア事務所の合言葉は、ミパド。ミッション(使命)、パッション、(情熱)、ドリーム(夢)に、何かが足りないと最近、考えていました。「愛」「勇気」「心」等、色々な言葉が、浮かんできましたが、一言、加えるなら「誠実」(オネスティ)ではないかと思いました。(横文字を並べて恐縮です)。ミパドは、一歩間違うと相手に対して、謙虚さを欠き、独善、自己陶酔、自己満足に陥る危険性を感じました。日本の国内であれ、カンボジアであれどこの国でも、人間として付き合う場合、事業を行う場合の基本は、「誠実」さ、にあるのではないかとカンボジアでの1年間の中で、様々な場面で学ばされました。
カンボジアに赴任して以来、カンボジアの農村の小学校を訪問する度にどうしても理解できないことがあった。その一つに、まず、大半の小学校に運動するグランドが無いこと。広い場所はあっても、最近のカンボジアの環境ブームの影響か、校庭のど真ん中に木が無計画?に植えられて子どもたちが運動をする場所がないこと。もちろん教室の不足、先生の不足、教科書、教材の不足と数えたらキリがない。
SVAの支援するバンコクのチュアパーン・スラムに住む「チンタナーさんが危篤です」。と、連絡を受けたのが、今年の1月20日。連絡を受けとったのは、プノンペン。SVAタイ事務所の奨学金を担当しているスタッフの江幡さんからの連絡だった。この時には、すでに意識は無く、かろうじて心臓が動いている状態だった。危篤の彼女のお母さんから「どうしても可愛がってもらっていた八木沢さんに連絡をして、安らかに休むようにと祈って欲しい」。とのことだった。プノンペンから、「もう本当に頑張ったから苦しまないで、安らかに眠るように」と祈った。一日でも長く生きていて欲しいという気持ちと、もう苦しまないでという気持ちが入り混じっていた。私たちにとっては、可愛がるどころか、世界でも困難な心臓と肺の同時移植手術を手術してから3年持てばと言われていながら懸命に生きる姿に勇気づけられて励まされていた立場だった。
チンタナーさんは、今から11年前の1996年、先天性心疾患による気管支拡張症のために、タイはもちろん世界的にも稀な心肺同時移植を受けた。しかし、彼女が生きるためには、効果な輸入の免疫抑制剤を飲まなければならなかった。飲まなければ、生命の危機にすぐ直面した。薬代は、当時、月2万バーツ(6万円)。毎年のように、国内外の新聞等に彼女の薬代の支援を呼びかけて何とか支援続けていた。その後、タイ政府からの特別の医療の援助が受けられるようになった。チンタナーさんの夢は、看護婦になることだった。しかし、健康状態から無理だとわかると、通信性の大学で学び、何と先週、見事に卒業したばかりだった。来週には、卒業証書を授与される予定だった。
1月23日、午後、とうとう安らかな眠りに入り、天国へと旅立った。1月24日、チンタナーさんが横たわるバンコクのお寺を訪ねると、お母さんが私の顔見ると、泣きながら胸に飛び込んできた。慰めの言葉は見つからなかった。横たるチンタナーさんの顔は安らかだった。そして、彼女の身体には、大学の卒業式の時に着る眩しいばかりのガウンが着せてあった。チンタナーさんの手を握るとやわらかく、少し温かった。
チンタナーさんは、少しでも学費や薬代の足しにと、体調がいいと、スラムの前で炎天下のアイスクリームを売ったり、サンドイッチを自分で作って売ったりしていた。そして、だんだん外で働けなくなると、得意の手工芸作の才能を生かして様々な手作りのブレスレット等を作って売っていた。いつ死ぬかわからないという恐怖の中でも、夢を忘れずに懸命に生きたチンタナーさん。
最後に会った昨年の12月末「大学の卒業式には、カンボジアから来て必ず出るからね」。と、いって別れたのが最後となってしまった。チンタナーさんのお通夜には、チュアパーン・スラムの住民に混じって、SVAからの奨学金を受けている子どもたちも参加していた。そして、SVAのタイ事務所の江幡さん、田村さんも毎日の入院中のチンタナーさんや家族を励ましていた姿が心に残った。チンタナーさんの生きる姿を通して、私たちも命の大切さ、生きることの意味を本当に考えさせられました。24才の短い生涯だったかもしれない。しかし、心肺の同時移植の手術から11年。チンタナーさんの周囲の人々に、生きる勇気と命の大切さを訴え続けた価値ある24年。
どんなに苦しくて、明るく夢を捨てずに一生懸命に生きたチンタナーさんの冥福を心より祈ります。チンタナーさんを支えて下った多くの皆様に心より感謝申し上げます。
カンボジア事務所に今年、2月に異動してからあっという間に、10ヶ月が過ぎてしまいました。海外事務所は、タイ事務所、ラオス事務所と三ヶ所目となりました。三つの国の事務所は、それぞれ国の背景が異なります。しかし、共通しているのは、各国事務所のナショナル・スタッフ(各国の地元の職員)のSVAで働くことに対する誇り。その表れとして、世界中の国際ボランティア団体の中でも断トツに定着率が高いこと。「給料はそんなに違わないのに、何故」と、よく驚かれます。むしろ他の団体、特に、欧米の団体よりは、給料は遥かに低い場合が多いと思います。
11月28日、SVAカンボジア事務所で車両の贈呈式が行われました。車は、三菱の四輪駆動車、バジェロ。貴重な車を贈呈して下さったのは、日本の愚労軽塾、なごみ会、曹洞宗長野県第一宗務所青年会、遠江四十九薬師奉賛会の四団体。四団体の協力により日本からの車の贈呈が実現した。贈呈式には、それぞれの団体を代表して、団長近藤博道さん、丸山夫妻、横沢さん、山崎さんの5人が参加した。
カンボジアに赴任にして困ったことの一つに運動不足。何しろ日中、35度近くなるカンボジアの国で、外で運動する気には中々なれない。プノンペンの街中では、エアロビクスをやる人も増えているが、圧倒的に女性が多くその気分にはなれない。最近、やっと見つけた運動が、ソフトボール。日本人商工会チームが、メンバーを探していることを知人から知らされた参加した。遊びかと思ったら、かなりの本格的なチーム。商工会といっても20代の海外青年協力隊の青年からJICAの専門家、商工会のメンバーと元高校球児といったメンバー。相手は、野球の本場、アメリカ大使館を中心としたアメリカ・チーム。身体の大きさとパワーが桁外れに違う。35度前後の炎天下で、一日、3試合も連続して行う。それも一球入魂の真剣勝負。毎回、アメリカ・チームとは大接戦。力のアメリカと技の日本か。
今でも鮮明に思いだすのは、今から26年前のタイ・カンボジア国境の難民キャンプでの光景。難民キャンプの中には、チルドレン・センターと呼ばれる内戦で親を失った孤児たちの住む施設があった。チルドレン・センターを訪問すると10才前後の子どもたちが、カンボジアの伝統衣装を着て、カンボジアのココナッツ・ダンスを踊っていた。その子どもたちの踊っている時の生き生きとした表情からは、こちらが勝手に想像していた難民と孤児という暗さは、微塵もなかった。
日本、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、そして、主催国、カンボジアの6ヶ国の子どもたちが、参加して開催される第11回「アジア子ども文化祭」の開催が、10月21日から始まる。いよいよ直前となった。カンボジアは、昨年、12月のカンボジアの誇る世界遺産、アンコール・ワットでの開催に続いて二年連続の開催。]
「これが本当に学校」。言葉を失った。教室は、一教室のみ、竹と椰子の葉で出来た小さな学校。子どもたちの姿が無ければ、失礼ながら家畜の小屋と思ってしまう建物。田圃の真ん中にあり校庭も猫の額ほど。デコボコ道と泥濘、洪水で流された橋を迂回しながら車の天井に何度も頭をぶつけながら着いたのが、ドームサムリット小学校。車体の高い四輪駆動の車でなければ辿り着かない。村は、雨期の間は、ほとんど陸の孤島状態。
カンボジアに今年の2月、ラオス事務所に続いて、カンボジア事務所に単身赴任して今月で6ヶ月。一番、心が痛むのは、毎日、プノンペンの街角、スラム、地方農村で目にする子どもたちの物乞いや学校に行くことも出来ないで、必死に一日、一日を自分や家族が食べて生きていくために働く姿を目にすること。
小学校の6年の長男と小学校2年の娘を持つ父親としては、息子と娘と同じ年齢の子どもたちのカンボジアの子どもたちが、どうしても重なってしまう。
今年度の国際協力の分野に貢献した団体及び個人に贈られる外務大臣表彰の決定の報告を6月28日に、カンボジアと共に兼任するタイの在タイ日本大使館よりカンボジアにて受けました。今回の同表彰は、八木沢の個人名でした。SVAが団体として、既に表彰されています。個人名でも秦専務理事が表彰されています。
26年前にタイ・カンボジア難民のボランティア活動に参加して以来、初めてのカンボジアに所長として、前赴任国のラオスから今年2月より赴任致しました。カンボジア事務所に赴任して、まさに自分の原点に戻ったような毎日です。タイ事務所、ラオス事務所、そして、カンボジア事務所の三つ目の国となりました。現在、カンボジア人スタッフが、37人。日本人スタッフは、私を含めて3人。スタッフの大半が、使命感に燃えて、情熱と夢を持って日々の事業に関っていることを目のあたりにしてカンボジア事務所の合言葉は、独断と偏見で「ミッション」「パッション」「ドリーム」、日本語は、訳して「ミパド」。英語は、「MPD」。と致しました。