シャンティは活動開始から35周年を迎えました。

©Yoshifumi Kawabata

公益社団法人シャンティ国際ボランティア会は、
1981年にタイ国内のカンボジア難民キャンプでの支援活動を開始して以来、
35年間、アジアの子どもたちへの教育支援や緊急救援活動を行ってきました。
35年前に活動をはじめた原点をふりかえり、
大切にしてきたこと、これからの未来にかける想いをお伝えします。

みなさまのご支援のおかげで、シャンティは
35年間で多くの子どもたちに教育を届けることができました。

©Yoshifumi Kawabata

ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ小学校教員
ノウ・ジュライ・ポーさん(23歳)

5歳のときに難民キャンプに来て以来、
よく図書館に通っていました。
小学1年生の時からの夢を叶え、今、教員として働いています。

ミャンマーで食べ物にも困るほど貧しかったとき、タイの難民キャンプのことを聞き、家族で難民キャンプにやって来ました。私は5歳でした。当時、両親はケンカばかりして、家にいるのが辛かった。でも、図書館で絵本を読み、絵を描いて過ごしているうちに図書館を好きになりました。小学1年生の時、将来の夢を聞かれて「先生になりたい」と答えた私は、夢を叶え、今、教員として働いています。小さい頃から通い続けた図書館が、それまで目をつぶっていたわたしの目を開かせてくれたのです。次の世代のリーダーを育てることが自分の義務であると感じています。

ラオス情報文化観光省 勤務
ペッソンマイ(21歳)

2歳の頃から約13年間「子ども図書室」に通い続け、
今は図書館を管轄する情報文化観光省で働いています。

シャンティのラオス事務所の中にある子ども図書室には、たくさんの子どもが通っていました。私は毎週土曜日、朝から夕方まで図書室を利用し、多い時には一日に5冊は読みました。長編の「ロード・オブ・ザ・リング」を借りて、一晩で読破したこともあります。子ども図書館での読書推進イベントでは、シャンティの職員を手伝ったり、絵本の読み聞かせをしたり、とても楽しかったです。私は大学を卒業し、今は図書館を管轄する情報文化観光省で働いています。

シャンティ主催のラオス正月イベントで歌や読み聞かせをしている様子。

アフガニスタン 高校生
ジャビッド(18歳)

シャンティの図書館活動によって
学校の環境がより良いものになった。
将来は村に戻って、小学校の先生になりたい。

私が入学した当時、学校には校舎や図書室がありませんでした。唯一あったのは、武器や爆弾、暴力シーンが描かれた教科書だけでした。先生は武器の使い方や攻撃の仕方を私たちに教えたのです。シャンティが校舎と図書室を建て、教員研修や移動図書館活動をしてくれたおかげで、先生の態度は大きく変わりました。同級生はみんな、武器や暴力のシーンがない絵本を読めてとても幸せだと言っています。私は今、ジャララバード市内の高校に通っています。将来は村に戻って、小学校の先生になりたいと思っています。いつか私の村で日本人の方にお会いできることを願っています。

©Yoshifumi Kawabata

「シャンティは同じ夢を持つ大きな家族」

ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所
所長代行(2001年入職)
ジラポーン・ラウィルン(セイラー)

シャンティに入る前は難民キャンプ内の学校で教員をしていました。どの学校でも、教材や教員が不足し、教えることがとても難しかったことを覚えています。この状況を少しでも改善させたいと強く感じていた私は、2001年に図書館アシスタントコーディネーターとなり、さまざまな図書館事業に携わり、図書館が人々に希望を与え、学ぶ機会を作ってきたのを見てきました。シャンティのスタッフは、例え違う国で活動していても、各々の背景が違ったとしても、同じ夢を持ち、同じビジョンとミッションを掲げる1つの大きな家族だと感じています。

シャンティ アジア地域ディレクター
八木澤 克昌

私がタイ・カンボジア国境でのカンボジア難民救援のボランティアに参加したのは1980年7月。カンボジア難民キャンプに「図書館」を開設するため、リュックサックに絵本を詰めてヒッチハイクで通うことから始まった。国境周辺では、毎日砲弾の音が不気味に響き渡った。

1979年末、タイとカンボジアの国境に数十万人のカンボジア難民が辿り着いた様子はマスコミを通して日本のお茶の間にも連日報道された。日本人がさら驚愕したのは、いち早く救援に駆けつけた欧米各国のキリスト教や教会を基盤としたボランティアたちの姿だった。国際社会から「難民問題に無関心な日本、金は出すが人は出さない日本。同じアジアの仏教徒の問題に無関心」といった痛烈な批判を浴びたのは記憶に新しい。

1981年サケオ難民キャンプの様子

そんな中、1980年にシャンティの前身、曹洞宗東南アジア難民救済会議(JSRC)が活動を開始した。当時の曹洞宗の20~30代の若き青年僧侶をはじめ、学生ボランティアたちが身体一つで現場に飛び込んで来た。誰一人として国際協力の経験を持つ者はおらず、全てが試行錯誤の連続だった。

私たちは当初から「難民問題の本質は民族の文化的アイデンティティの喪失の危機」だと考えていた。ゆくゆくは祖国への帰還や第三国定住などで難民キャンプを出て行くときがやってくる。そのとき、身に着けた知識や技術だけでなく、心に刻んだ自らの文化的アイデンティティがあれば、生きる勇気と自立に繋がるだろう。まず移動図書館の活動から始めた。

1981年カオイダン難民キャンプ内の図書館の様子

図書館活動を行うにもカンボジア語の本がない。ポルポト政権下で、大半の書物が焼失していたからだ。タイ語の絵本をカンボジア語に翻訳して、絵本作りから開始した。さらに難民キャンプの中でカンボジア語の図書の復刻や出版活動へと展開していった。

衣食住は、人の体を守り、支えるが、本は心の栄養になる。文字を知ること、学ぶことは、人間としての生きる力と尊厳につながる。「共に生き、共に学ぶ」。これこそ35年前に私たちが現場の中で「触媒」として難民キャンプの図書館活動の経験を通して学んだ原点だ。

1982年サケオ難民キャンプ 謄写版を使って印刷する様子

皆さまからのこれまでの温かいご支援に、
心よりお礼申し上げます。

公益社団法人シャンティ国際ボランティア会は、1981年にタイ国内のカンボジア難民キャンプでの支援活動を開始して以来、アジアの子どもたちへの教育支援や緊急救援活動を行ってきました。これからもシャンティの活動へのご理解とご支援のほど、よろしくお願い致します。

2015年4月25日、ネパールで発生したM7.8の地震発生を受け、5日後に現地入りし、緊急救援活動と、仮設教室の設置や共同女性用シェルターなどを設置してきました。

ネパールでは以前から子どもが農作業に従事したり、経済的理由で学校に来なかったり、子どもの学校離れが課題でした。震災で校舎も被害を受けたことに加え、土砂崩れなどによって移転を強いられた人々の再定住先が決まるまで時間がかかるため、子どもたちの教育機会が奪われています。子どもたちの安全を確保するための防災計画の普及も急がれます。

シャンティは、これまで35年間の活動で培った経験を活かして、
ネパールでの活動を開始しました。