難民キャンプで図書館活動を開始して、「これまで何もすることがなかったが、図書館という場所で有意義な時間を過ごせている」という声をよく聞く。そして年代や宗教を超えた人たちが一同に集まる場所であるということも高い評価を受けている。しかし度々訪れる中でふと思うことがあった。それは高齢者の姿がほとんど見られないということ。話しを聞いていくと、難民キャンプ内では活動に参加する場もなく、家の中でただ日々を過ごしているという。何故だかすごく寂しい気持ちになった。
自身のことで大変恐縮だが、今は亡き母方の祖父には本当にたくさんのことを教えてもらった。実の両親より厳しい躾けを受け、でも私が20才を過ぎてからは一緒にお酒を飲みながら祖父の人生経験をよく聞かされた。戦争で兄弟を亡くしたこと、敗戦後の苦しい生活の中、家族を支えてきたことなど、大好きな焼酎が進むにつれてますます話しは止まない。あの頃理解出来なかった祖父の話しが今となっては理解出来る。タイに住むようになってからは年に一度は祖父から手紙が届いた。「悔いのない人生を過ごしなさい。」異文化で暮らす私にはこの言葉が大きな支えになっていた。お祖父ちゃん子では決してなかったが、彼から学んだことは本当に大きかった。だからだろうか、難民キャンプに住んでいると言えども、カレンの文化・歴史を作り上げてきたお年寄りの人たちが何も出来ず、日々を暮らしていることが本当にやるせない。
ただ日本と違い、難民キャンプではまだまだ家族の絆が強い。三世代に渡る家族が共に生き、おじいちゃんやおばあちゃんが孫の躾をしたり、家庭を守ったり、時にはカレンの昔話しを孫に聞かせるなど羨ましいなあと思う光景をよく目にする。だからこそ、そんな暮らしを大事にしてほしい、またカレン人のアイデンティティーや文化を守っていくためにも彼らの存在は無くてはならないと思うことから図書館で高齢者の活動を行っていくべきではないかと強く思うようになった。図書館委員会に相談したところ、皆、大賛成してくれた。20年近い難民生活の中でカレン人の未来を担っていく子どもたちに高齢者を通じて自分たちの文化・歴史をしっかりと受け継いでいってほしいという思いをがあった。同じ気持ちでいてくれたことが、本当に嬉しかった。
図書館委員会の協力の下、参加者を募り、昨年から準備を進めてきた。今年1月カンチャナブリ県にあるバンドンヤン難民キャンプでの活動に参加した時、日本の歌「国の花」という歌を日本語で披露してくれたお爺さんがいた。これには私もとても驚いた。集まっていた子どもたちに若い時に日本兵からこの歌を教えてもらったのだと説明していた。その話しを真剣に聞く子供たち。
1886年、イギリスはミャンマー(ビルマ)を植民地にした。この時、イギリスはカレン民族を利用し、その後、1941年に太平洋戦争が始まり、イギリスに代わり日本による新たな統治が始まった時にはイギリスのスパイだとレッテルを貼られたカレン民族は日本側と共に戦ったミャンマー(ビルマ)兵から虐待などを受けることになった。にも関わらず、日本が敗戦した後、多くの日本兵が敵対にあったカレン人に助けられたという。難民キャンプでの活動に関わるようになり、日本人とカレン人の歴史を初めて知り、「縁」を感じずにはいられなかった。今を生きる日本人の一人として過去の歴史を受け止め、カレン人の為に出来る限りの力添えをすることが彼らへの償いになるのではないかと。少し大袈裟なことかもしれないが、そう思えた自分がいる。
図書館に集まった子どもたちとそれは楽しそうに笑っている高齢者の様子に見ているこちらも幸せを感じてしまう。ゲームをしている最中、足腰が弱っているお婆ちゃんの手を引いて遊び方を説明してあげている子供たち。いつもは図書館員に読んで聞かせてもらっている絵本を読んであげている子どもたち。それを楽しそうに聞いているお爺ちゃんたち。つい自分の祖父のことを思い出してしまった。現在ではカレンの民話を高齢者から聞き取りをして出版する活動も行っている。少しでも彼らの文化を次世代に伝えていければと願っている。活動終了後には決して豪華とは言えないが昼食をお出ししている。食事を共にしながら普段なかなか会える機会のない友人たちと笑い合える、楽しい一時を過ごしてもらっている。この活動を通じてカレンの文化や歴史を大事にしていってもらいたいと共に最後の人生まで夢や希望を持ち続け、すばらしい人生の花を咲かせていってほしいと願っている。
ミャンマー難民事業事務所 中原 亜紀