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NGO海外研修プログラム参加者の声

野元由実(関東学院大学 文学部 比較文化学科)


1、名前:野元 由実

2、所属:関東学院大学 文学部 比較文化学科

3、研修期間:2007年2月27日から2007年3月23日

4、研修内容:現地NGOシーカー・アジア財団のスラム内での図書館事業見学・補助、東北チェンカーン奨学金・寮事業等見学、自分の研究テーマに沿った調査

5、感想:
初めて触れる文化ばかりで、初めは戸惑うこともありましたが結果とてもよい研修を送れました。これもタイで出会った人々が素晴らしかったこと、現地事務所のスタッフの方々が時間のない中いつも気遣ってくださったからこそだと思います。
私はシーカー・アジア財団のバンコクのクロントイスラム・チュアパーンスラム・スアンプルースラム、そして東北チェンカーンで事業に関わらせていただきました。クロントイスラムは財団本部がある場所で、他の現地や海外NGOや財団の事務所もある規模の大きなスラムです。初めてスラムを見た印象は、想像通りの環境と、想像以上の熱気でした。(特にクロントイには大きな市場があり、そこの熱気と雰囲気はすごいです。)子どもは線路の上で遊び、ゴミはそこら中にあり、家と家、人と人が本当に身を寄せ合って暮らしていました。路地内の様子はもちろん大通りからは見えなくて、クロントイスラムでは誰かスタッフさんが一緒でないと歩けません。なぜなら毎日何か盗まれ、マフィアが取り締まる場所もあり、ドラッグの利用者が多くいるとう危険な要因があるためです。何の知識も経験もない観光客や学生が入れるわけがありません。幸い私はそのような危険な経験をすることなく帰国しましたが、タイでは(どこの国でもそうでしょうが)常に自分の身を守れるのは自分だけだと自分に言い聞かせていました。クロントイ図書館は月曜日から日曜日までやっていて、私は数回しか図書館へ行って子どもたちと話したり、遊んだりすることはできなかったのですが、初めてタイの子どもたちと触れ合った場所なので、印象深いです。蔵書もどの図書館よりも多くて、一般の方(子ども以外)もよく訪れていました。ここに通う子どもたちは日本の歌も知っていました。私にタイ語バージョンも教えてくれましたが、難しかったです。彼女達はタイ舞踊も図書館で学びます。(全図書館で伝統舞踊などの教室があります)みんな踊っているときの表情は真剣そのものでした。(スアンプルースラムで1度タイ舞踊を少し教えてもらいましたが、手の回しと、タイミングが難しかったです。)クロントイ図書館では移動図書館にも参加させていただきました。近所だったのですが、すぐに近隣に済む子どもも大人も集まってきました。
チュアパーンスラムは最終的に最も関わりをもった場所であり、私の今回の研修の中で持った疑問へのヒントを与えてくれた場所でもあります。チュアパーンスラムはクロントイスラムよりも小さく、(それでも750世帯約8,500人が住む)財団が大体を把握できると同時に住民委員会がしっかりしていて私でも歩き回っていいよと言われました。(実際一人で歩くことはありませんでした。夜homestay先で水浴びするときも家族が1人は外で待っていてくれました。)チュアパーン図書館はクロントイ図書館よりも小さく、本も少ないのですが、子どもたちがいないときがないほど住民の方々は図書館を愛用しているようでした。チュアパーン図書館では子どもたちと本を読んだり、お絵かきをしたり、しおりを作ったりしました。しおりを作った際にはみんなタイ語で「大好き」などメッセージをつけてどんどんプレゼントしてくれました。嬉しかったです。クロントイでもそうだったのですが、子どもは私にすぐ興味を持って近づいてくれます。そこからどう付き合うかが問題なのです。クロントイで移動図書館の事業に参加させていただいた際、私は何も考えず子どもと遊びました。もちろん劇(人形劇を移動図書館ではやります。そのときはドラッグについて恐ろしいということを笑いを交えて演じていました。)が始まるまでですが、そこで私が子どもたちを背中におぶったり、子どもたちを写真に収めようとデジカメを取り出して、時々順番に貸してあげたりしたためにやはり、借りる順番で不服に思う子もいました。タイでは年上の人を敬うという気持ちが今の日本よりも強く、その気持ちを大切にするためにも私のやったコミュニケーション方法は間違いであることをあとでスタッフの方に教えてもらい気づきました。年上への敬意というものは日常でも感じていましたし、語弊はありますが、階級的考えもまだタイ人の深層心理には存在していて、自然に彼らはそのような階級に沿って行動するそうです。一つの失敗から多くのことを知ることができました。さらにチュアパーンでは1泊2日と2泊3日のhomestayをし、私にとって貴重な時間を過ごすことができました。初めの1泊2日のhomestayはほとんど8時間ほどしか一緒にいなかったので、あまり話すことができなかったのですが、それから約1週間と少しあとに他の家庭での2泊のhomestayが決まり、チュアパーン図書館近くで図書館スタッフの方を待っている際、host sisterのoil(sisterのニックネームです。タイでは古くから子どものあだ名はモノである場合が多いです。これは子どもの死亡率が多いことかららしいのですが、神様にモノの名前で呼ぶことで「この子は人間でなく、モノです。だから持っていっても仕方ありませんよ」ということを示すためです。また、子どもの中で髪型が中国の辮髪に似ている際も同じように子どもを守るためのようです。素敵だと思いました。)が私に気づいてくれて、スタッフの方が来るまでの時間ずっと一緒に話したりしてくれました。まだまだ日常会話とまではいきませんでしたが、そのときは1週間前よりも話せた気がして嬉しかったです。そのときのmotherも少しですが、また話すことができて、彼女は髪型を変えていて、brotherは笑顔で話しかけてくれました。さらに次に泊まらせていただいたのが、チュアパーンスラムの住民委員会の会長さんのお宅で、そこは雑貨・駄菓子屋さんでした。何でも揃っていて、近隣の住民の方々からもとても信頼され、心の面でも物の面でも貧しさというものは感じませんでした。家庭も暖かくて、両親と娘1人(あと2人のうち1人は嫁いで別の県にいて、もう1人はアメリカで働いているということでした。)核家族でした。すぐ近くに副会長のお宅もあって、すごくここの家庭が(10人位の大家族)会長のお宅と密接な関係で、2日泊まったうちの2日とも副会長のお宅で夕飯をお世話になりました。しかも1日目はhostfamilyの家で夕飯を食べたあと、副会長の家を紹介していただいて、夕飯もごちそうになりました。Hostfamilyには26歳くらいのお姉さんがいて、2日間すごく私の世話を何から何まで、わからなければとことん説明してくれました。彼女と同じ年くらい奥さんが副会長のお宅にもいて、赤ちゃんを抱かせていただきました。一緒に夕飯を食べているとき、日本のTV番組がタイ語訳で放送されていて、私に家族は見せてくれました。Motherもずっと気を使ってくれて、ずっと朝から晩まで笑顔で私を迎えてくれました。私が好きなものを聞いて作ってくれたり、過ごしやすいようにしてくださったおかげで2日目にはだいぶ家庭の中に入れたと思えて嬉しかったです。近所の方々の顔も覚えて、スラムの構造もわかってきて、もっともっと話したいと思いました。まだ知らないことが多すぎました。けど、確実なことは、彼らのことを私が好きになったことでした。言葉を交わせば交わすほど、楽しいことばかりでなくとも、全て好きになりました。最後にお姉さんが言ってくれた言葉が忘れられません。「大好きだから、まだいてほしい。悲しいよ。必ずまた会いにきてね。」私も家族が大好きでした。Fatherとはほとんど話すことができませんでした(会長でもあるので、忙しいです)が、常に優しく見守ってくれていました。約2週間お世話になったチュアパーンスラムは一番思い出がいっぱいあります。これもhostfamilyだけでなく、図書館スタッフの方々が夜も様子を伺いに来てくれるなど常にケアしてくれたおかげだと思います。
また、住民委員会の副会長にインタビューした際、私は今のチュアパーンスラムの現状、そして未来を見た気がしました。それは、今住民が行政と色々な方面から力を借りながら話し合い、自分たちの生活を自分たちで改善するために働きかけている。貯金も貯まってきた。しかし、問題は簡単ではない。そのために住民委員会が活動しなければならないんだ。今はまだスムーズに働きかけることや活動することが難しいから、お金の支援も実際は必要だ。けど、由実のように外国から我々を訪問してくれる方々を今は歓迎している。お金より何より、あなた達は我々に刺激をくれる。とおっしゃってくれました。私は自分の中で、今回の研修の目的であったNGOと援助を受ける側の現実が見れた気がします。
スアンプルースラムはほんの30分程度しかいられませんでしたが、事前のお話と、現実を見て、タイ都市スラムに住む人々の現状を目の当たりにしました。このスラムは3年前の火事(スラムの方々が最も恐れるのが火事です。これは彼らの家が元々はほとんどが木造だからです。火事は短時間で彼らの全てを奪いとります。)によって8000人の方々が焼きだされ、さらに立ち退き問題が迫ったためです。(そもそもなぜスラムという場所ができたのか。この話を詳しく聞けば聞くほど、政府の責任を深く感じました。)そこでSVA(シャンティ国際ボランティア会)は全面的支援をしました。他団体の支援もあり、二手に分かれての復興活動となっています。今では身を寄せ合っていた家は家庭ごとに大きさの決められた、街として機能できる形になっています。そこで店も開くことができます。しかし、私が見学に行った際はまだ完成からは遠く、鉄筋コンクリートがむき出しで、まだ工事道具が散在し、危険が目で見てわかるところに住民の方々は住み、子どもは走りまわっていました。(スラムには基本的にどこにも遊び場所がありません。どこも遊び場所には適していません。常に危険が潜んでいます)それはここ以外の場所はないということを表していました。
チェンカーンは2週間のバンコクでの生活のあと、1週間滞在したところです。バンコクから11時間バスで東に北上したところで、寮の管理、奨学生の管理をされているブンラートさんが日本語を話せる以外、全てタイ語の世界でした。寮生は3人だけいて、3日目からは1人になりました。事業見学は午前中でほとんど終わったので、午後は寮生と話すか、散歩をしました。寮はメコン川からすごく近くにあって、散歩で何度か行きました。メコンの向こうにあるラオスという別の国が目で見える。この感覚は日本では味わえないもので、新鮮でした。向こうの日常の煙が目で見えるのです。毎日奨学生のお宅を訪れることがあったのですが、何かとブンラートさんが深く知り合っているのと、日本人が来たということで、行くところ行くところで食事やお菓子などをご馳走になり、申し訳なく、おなかいっぱいな日々が続きました。バンコクでは逆に暑くて食べないときも多々あったので、確実に増量しました。しかし、善意であるし、貴重な経験と自分を甘くして毎日たくさん食べさせていただきました。2泊3日でhomestayもさせていただいて、寮から2時間くらいのナモー村に行きました。Hostfamilyは美系の一家で、バナナ農園のお仕事をしていました。子どももかわいくて、村を案内してくれたりもしました。おばあちゃんもいつも私を気にかけてくれました。Sisterとは夜一緒に寝ていたのですが、朝彼女は早く起きて朝ごはんをつくり、両親の農園の手伝いもしていました。2日目には私も手伝いに行ったのですが、バナナの山を登っただけで疲れました。その傾斜といったらすごくて、砂はさらさらで、何度もすべってしまいsisterを心配させました。作業も午前中で私は切り上げてsisterと話していました。炎天下の下での作業は作業自体は単純なのですが、その暑さと渇きが想像以上でした。大変な仕事だと思いました。朝7時過ぎから夕方6時くらいまで、1時間少しの休憩のみです。すごいです。
タイ語学校は計3週間程行きました。1週目は1日3時間、2週目からは1日2時間で、地方に行っているとき以外は行きました。おかげで少しはしゃべれるようになりましたし、先生とも仲良くなれました。学校に行かなかったら私のタイへの理解は変わっていたかもしれません。それほど私にタイ語を話すということは重要でした。新たな言語を理解できた達成感と、今後継続してもっと次は今回お世話になった人と深い話をしたいと思いました。人間味溢れる人々と出会えてよかったです。

6、海外研修希望者へのアドバイス:
事前に準備できること、学んでおけることは沢山あります。自分のイメージと現実のギャップや、日本で培った価値観との違いなどと比較して自分の中に拒否でなく受け入れや、理解という形で浸透していく感覚を楽しめたらよいと思います。そして、タイに初めて行かれる方は現地では主に外国人はカネづるにしか見えていないということを覚えておいてください。バスを利用するのが便利なのですが、どうしてもTAXIを使わなきゃいけなかったり、物を買うとき、必ずタイ語を使ったほうが安心です。少しでも使えると反応が違います。(それこそ本を見ながらでも。私は最後には値切りもできるようになりました。)ここには書ききれないほどの経験をしましたし、書ききれないほどのことをしてもらいました。タイは面白くて、素晴らしいです。日本とは違う素晴らしさをもっています。
ここで、最後に私がタイに行ってからずーっと欲しいと思っていても、売っていなかったものがあります。それが「サラサラパウダーシート」です。汗っかきの私にはあの暑さと汗は大変でした。すぐべたつきますから。他のものは大抵なんとかなりますが、初めから最後までこれだけが本当に欲しかったです。あると便利だと思います。


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