チェンライのビルマ国境と隣り合わせになったメーサロンには、第二次大戦後、中共軍に追われ、中国大陸から逃走して来た中国の九三師団の部隊が移住した所である。 はじめの頃は麻薬などに手をだしていたが、今はお茶の産地になっている。山間全体が青々した茶畑で覆われ、ピックアップ車で運ばれて来たアカ族の女性が現場へ向かい、段々畑でせっせとお茶の葉を摘み、大きな袋に入れ、傾斜した山道を担いで移動していた。
タイのキャッチフレーズは、通常「微笑みの国タイ」と、言われているが、仏教国であるタイは「お守りの国タイ」でもある。仏教信者であれば、ほとんどの人たちが身の安全を守るために、小さなお守りを身に付けている。お守りには、盗難、火災、天災、不死身、繁栄、水難、魔除け、事故防止など、この他にもまだいろんなお守りがあるが、寝る時以外は常に肌身外さずハンドバックの中や、お守りをセットしたネックレスを首からかけ、自分の運命をお守りに託している。
お寺の本堂から僧の読経が静かに流れていた。読経の旋律に引かれ、無意識のうちに本堂内に引き込まれた。本堂に安置されている大仏をママルカのように、横に無数の小さな仏像が行儀良く並んでいた。
SVA主催で毎年開催されているかわいい子どもたちの、アジア子ども文化祭を毎年鑑賞してきたが、2003年はラオスのビエンチャンで、ミャンマーの子どもたちが演じる大人顔負けの素晴らしい「灯火のおどり」の演技に感銘した。今年は10月末にカンボジアのプノンペンで開催される予定になっているが、貧しいアジアの子どもたちがどんな素晴らしい演技を披露してくれるのかと思うと、胸が弾む。
パンガー県のとあるタイ料理屋の広い敷地内に、大きな池に威勢の良い黒っぽい魚が楽しそうにすいすい泳いでいた。こんもりとした木々に覆われた池に、一輪の美しい睡蓮の花が、水面から顔を覗かせて物静かに囁いていた。
2004年12月26日の、アンダマン海の悲惨な津波で、タイでは1319人の最愛の親を亡くした孤児が、親族関係に引き取られて淋しく暮らしている。孤島にいたモーケーン族の少女の家族は全員無事だったが、可哀想に、学友を亡くした少女は、うつろな瞳で淋しそうに物思いに耽っていた。
ソムタム売りの若いカップルは、毎朝サパーン・プッの橋を渡って来る。排気ガスで充満している車の波間を縫いながら、ソムタムの材料を満載した手押し車を二人で操り、パーク・クローン市場周辺を目標に練り歩く。 果たして全部売れるかどうかは定かではないが、雨が降っても、風が吹いても、体調が悪くても売り歩かなければならない苦しさを味わい、その日暮らしの人生を送る。
タイとビルマの国境を歩いていると、いろんな種族の人たちとの出会いがある。カーンチャナブリー県サンカブリーのスリーパコダで、蘭を売っていた可愛いビルマの少女に巡り会った。 写真を撮らせてと、頼むと快く引き受けてくれた。彼女は毎朝イリーガル(不法)で、ミャンマー領からタイ領に越境し、蘭の商いをしているが、国境の町は異変さえ起こらなければ、お互いに兄弟のように自由に行き来できる和やかな場所でもある。
タイ北部の山や、東北部の奥地の部落へ入って行き、土地の人たちに「いま一番欲しいものはなんですか」と聞けば、水であり、次に道路、そして電気となるが、この回答は40数年経った今でも未だほとんど変っていない。 現在、水道が普及していない村落が、未だ一万7,000ヵ所もあるが、水不足で水を汲んだりするのは、イサーンの農村の方がまだましな方で、山岳地帯の高地に住んでいる山岳民族にとっては、一滴の水は、お金や金塊よりも人事な生命線となる命の綱である。
家もなく何処にでも平気で野宿するルンペン仲間は、街角のごみ箱を漁り、金になりそうなものを掻き集めて売り、その日の生命を食い繋いで生きている。 食べ物は有り合わせの物を皆で突っ突いて食べているが、お腹を空かした野良犬が涎を流してよってくれば、哀れみを感じ、貧しいながらも可哀相な犬にも食べ物を与えている。そのうちに犬とも仲良くなり、何処へ行くにも行動を共にし、犬も家族の一員として一緒に暮らしている。
2004年12月26日午前8時にマグニチュード9.0の地震がインドネシアのスマトラ島沖で発生し、インド洋周辺のタイ南部を含め、インドネシア、スリランカ、インド、ソマリア、ケニア、タンザニア、セーシェル、マレーシア、モルディブ、ミャンマー、バングラディッシュ12カ国が津波に襲われ、家屋もろともに約30万人(死者16万6102人、行方不明者13万6482人)の生命を瞬時に奪い、かつてない史上最悪の被害を被った。 我が故郷のプーケットの親族関係は全員無事だったので、ホッとしたが、現場を取材して唖然となった。何処へ行っても死臭が漂う中約1,000体に上る亡骸が安置されているお寺では、両親を、我が子を、恋人を、家族を、親族を、もくもくと探している遺族の姿や、着の身着のままで何もない家の跡で放心したようにじっと海を凝視している村人たちの哀れな姿を見つめていると、自然と目頭が熱くなってくる。あーぁ!もう二度とこのような悲惨な惨事が発生しないように祈るのみである。
タイ北部メーホンソーンにはビルマから逃げて来たカレンの首長族の小さな難民キャンプがある。はじめの頃は一ヶ所しかなかったが、今では四、五ヵ所に首長族の村が出来、メーホンソーンの有名な観光地になっている。首に金色の真鍮の輪を嵌めた首長族の人たちは、茅葺きの掘っ建て小屋で機織りをしたり、土産物を売ったり、観光客に踊りを披露させられたりして細々と暮らしている。「首長族は難民であり見世物ではない、人権問題だ」との声が高まっている。
スクムヴィッ・ソーイ四九の入口にはいつも数台の小型のシーロー(四輪車)が一列に行儀良く並んでいる。顔見知りの人懐こい顔をした運ちゃんたちが「サワッディー、乗りませんか?」と、優しい目をした愛敬のある声で話し掛けてくる。いつも冗談を言ってペラペラ喋っているうちに親しくなった運ちゃんが、「いつもカメラを持っているけど、俺たちの写真も撮ってよ」と、きたので、パチリと、撮ったのがこの写真。
イサーン(東北)から出稼ぎに来ている学歴のない人たちは、ほとんどが疲労する労働力となる力仕事に従事している。主に道路工事や、建築現場で働いているが、家族連れで出稼ぎに来ている人もいる。道端でもくもくと仕事をしている両親の側で、二人の子供が無心に遊んでいる姿に接したが、学校にも行けないこの二人の娘の将来も、このままの状態では、厳しい前途が待ち構えているのではないかと、他人事ながら気に掛かる。
街角で、象牙を切られた象を良く見掛けるが、象牙は高価(1キロ4000バーツ)な代物なので、象使いが生活費に困って売ったのかと思いのほか、牙の長い象を狙っている象牙泥棒がはびこっているからである。従って、綺麗な牙を蓄えた象を飼っている象使いは、象を大切にし、寝る時は泥棒が近寄れないように配慮している。だがそれでも、チャイヤプーム県の象村のように、数頭の象が頻繁に象牙を切り取られた例が残っているし、可哀相な野象は、密猟者の手によってズドーンと射殺され、牙を頭蓋骨(牙の三分の一は頭蓋骨の中にあるため)斧で付け根から切り取られ、世界の闇市に流されているのである。
夕日を浴びた公園で、タイのコスチューム姿に身を固め、姿勢を正し、タイの伝統古典楽器で美しいメロディーを演奏している姿に接し、珍しい光景にしばし釘付けにされた。しかし、周囲で聴いている人たちは皆無に等しく空しい気持ちにかられた。 現代の若者は、綺麗に着飾った大勢の美女に囲まれて踊りながら歌うイサーンのモーラムや、テンポの速いジャズ調の歌に熱狂するようになった。時代の流れとともに人々の心境も変ってしまったのだ。
タイの男性は兵役と、一生に一度は出家しなければならない義務がある。毎年三月から五月の夏休みの時期になると、集団で仏門に入る学生が多く、親族一同がお寺に集まり、高僧の説教を聴き、厳かに得度式が行われる。国民の94.5.パーセントが仏教徒であるタイには、大小様々な3万余りの寺院と、30万人以上の僧侶が黄色い衣を身に纏い、静かな境内で仏教の教えを学び、お寺を見守り、国家の安泰の安泰を祈っている。
現在のチャックリー王朝が誕生した1782年の頃のバンコクには、野象の大群が群れを成して歩き回っていたが、民家が増え、森林が切り開かれるに従い、当時10万頭はいたといわれる野象は、徐々に姿を消し、山奥へと姿を消してしまった。 しかし、 102年後の1884年の統計によると、僅か2万頭しかなく、現時点の推測では野象が1800頭弱、家象が2800頭弱と急激に激減している。このために、ラムパーンやスリンの象村などに象保護センターが設立されているが、設備も完璧に整っていないし、資金面でも四苦八苦している現状で、象の未来に大きな陰りが生じている。
田舎の市場は、何処の市場も似たようにサムロー (三輪車)や車で埋まり、売り子は屋台や地べたにぺタッと座り、所狭しと商品を綺麗に並べて売っている。 活気に満ちた市場を除くと、その土地の庶民の生活がありありと伺えるが、ふと見ると、ねこ(手押し車)の上でスヤスヤ眠っている可愛い子供が目に付いた。真っ暗いうちに両親と一緒に市場まで連れてこられたのであろうが、学校にも行けず、疲れきってぐっすり眠っている子供の安否を考えると、切ない気持ちにかられる。
タイ社会の一日は、昔から、早朝の托鉢から始まる。ふわーっと浮いているような真っ赤な柔らかい太陽の光りがぎらぎら輝くに従い、寝静まった街は徐々に活気づき、黄昏迫る大空を飛び交う小鳥がピーピー囀り、愛の古巣へ戻る頃に、一般庶民の一日の生活かが終わる。
タイの子供たちは男も女も、幼稚園の頃から踊りを習っているが、しなやかな身体をした踊りが好な国民である。お祭やいろんなイベントは勿論のこと、ストを起こしても、太鼓をドンドコドンドコ叩き、みんなではしゃぎ、柔らかい姿態をくねらせ、リズムに乗って陽気に踊りだすゆとりを持っている。
子どもは何処へ行っても、何処で出会っても、元気で無邪気にはしゃいでいる。きらきら輝く可愛い瞳に接していると、子どもの純真な気持ちがジーンと胸に染みてくる。子どもの世界は実に素晴らしい美しい世界だ。