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【南相馬】未来への決意を綴った記念誌『われら世紀の朝を行く』

2018.2.20   東日本復興支援

小高図書館の棚に置かれていた、南相馬市立小高中学校の記念誌『われら世紀の朝を行く』を借りてきました。

2018年1月に発行されたばかり。

小高、福浦、金房という地域に3校あった中学校の開校70周年、そしてその3校が小高中に統合され45周年にあたってまとめられたもの。記念誌らしく、統合後の初代・第2代校長が20周年に寄せた文章が再録されていたり、昭和40年代の卒業生の寄稿や当時の写真などが掲載されていたりします。

同時に、東日本大震災による避難、仮設校舎での授業を経て、2017年4月から本校への帰還・再開がかなったことから、記念誌全体の3分の1以上が、発災時、そしてその後生徒、教職員、学校が体験することになった苦労、苦悩、そして明日への希望に割かれているのは、大きな特徴でしょう。

小高中学記念誌

「われら世紀の朝を行く」=百年先の未来への決意

この記念誌の中で、何度か出てくるのが、タイトルにもなっている「われら世紀の朝を行く」という言葉です。小高中の校歌(和田甫作詞 天野秀延作曲)の3番に「水に拓けし 美し田よ/いさおの跡を 慕いては/われら世紀の朝を行く」とあり、これはどんな苦難や危機にも負けない、「百年先の未来や幸せを自分たちでつくるぞ」という決意を伝えるものだそうです。

百年先の未来。

昔から飢饉(ききん)に悩まされ続けた小高郷では、江戸末期、全長14.5キロに及ぶ大規模な用水路をつくる難工事に挑みましたが、村人たちも、末代までの人々の幸せを願って、心をひとつにして手伝ったといいます(南相馬市『おだかの歴史入門』参照)。シャンティ南相馬事務所でも、地元団体に協力して小高出身の方たちから聞き書きを行った際にも、確かにこの話をお聞きしました。

小高中校歌

 

離ればなれになっ仲間を想った曲『群青』

この記念誌には、統合前の各中学の校歌も掲載されています。そして、そのほかにもう一曲『群青』と題された曲の歌詞も掲載されています。第二の校歌とも言われるこの『群青』はどうして生まれたのでしょう。

東日本大震災の津波被害では、小高中学の在校生4人が犠牲になりました。東京電力福島第一原発から17キロの距離にあるこの学校も避難が強いられ、生徒は全国ばらばらとなり、発災時に106人いた1年生は、2011年4月22日、鹿島区の仮設校舎で授業を再開したとき、6、7人まで減っていたそうです。

記念誌に、『群青』を生徒たちとつくりあげた音楽教諭の次のような言葉がありました。
「さようならも言えないまま突然、たくさんの友達が小高中学から去っていきました。/日本地図を描いて仲間の写真を貼り付けていました。北海道から長崎まで埋まりました。遠いね。どうやったら行けるんだろう。でも地図の上の空はつながっているね。生徒たちの日々のつぶやきを紡いで詞ができあがり、合唱曲を創りました」と。

「またねと手を振るけど明日も会えるのかな」
「きっとまた会おう あの町で会おう」
「また会おう群青の町で」

『群青』の一節です。

小高中に置かれていたタイムカプセル

上)小高中学校に置かれていたタイムカプセル。過去と未来をつなぐ象徴。

 

言葉を紡ぐこと、つなぐことの大切さを、つくづく感じます。

未来に向けて、ひとつひとつの言葉を大切に。

南相馬事務所 古賀東彦

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