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「ここにある字を読んでください。私の息子を、どうか助けてください」

病に苦しむわが子を前に、困り果て、嘆き悲しむ母親が言いました。

「私は字が読めません。そのせいで医者からもらった薬の飲ませ方がわかりません。 目の前で息子が苦しんでいるというのに、私はわが子を助けることができないのです」

これは、病に苦しむわが子を前に、困り果て、嘆き悲しむ母親の言葉です。 文字さえ読めたなら、わが子をこんな目にあわせずにすんだのに。母親は、そう思ったにちがいありません。

Story of Cambodia カンボジアで調整員がみたもの

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Story

薬を飲ませてやりたいが、医師から与えられた薬の処方箋を自分は読むことができない

カンボジアの首都から100キロほど離れた、農村部の小学校でのことです。校庭の片隅に十代半ばの男の子が倒れていました。 傍らには母親らしき女性が寄り添い、途方に暮れた様子で男の子のおなかを撫でています。近づいて声をかけると、女性は目を潤ませながら事情を話してくれました。

カンボジア農村部の小学校(2001年頃)

カンボジアのクメール語で書かれた薬(イメージ)

腹痛を訴えた息子を背負い、30キロの道のりを歩いてようやく病院にたどり着いた。医師に診てもらい、薬をもらって帰途についたが、息子がふたたび激しい痛みに襲われた。薬を飲ませてやりたいが、医師から与えられた薬の処方箋を自分は読むことができない。女性はそう言うとポケットから一枚の紙を取り出し、必死の形相でこう訴えたのです。 「お願いです、ここにある文字を読んで。どうか息子を助けて下さい」と。

著しい経済発展の裏で、日常生活に必要な読み書きさえもできない人々が大勢いる

内戦終結後、カンボジアは著しい経済発展を遂げ、首都プノンペンは人口100万人を越える大都市に成長しました。 しかし、都市部の繁栄とは裏腹に、農村部では日常生活に困らない程度の読み書きさえできない人びとが、まだまだ大勢います。 字が読めない人々は、病院に行こうと都市に出たが、看板が読めず、どれが病院かわからなかった。秤の数字が読めないせいで、 仲買人に農産物をだましとられた。出稼ぎに出ても、読み書きできないために面接で落とされ、過酷な肉体労働に就かざるをえなかった、 などの事態に直面しています。読み書きができないということは、生きるために必要な情報すら得る事ができず、労働や雇用に不利益がもたらされるなど、 貧困に拍車をかける事態を招きます。さらに貧困により子どもに最低限の教育もあたえることができず、子どもも文字の読み書きができない… という負の連鎖が起こります。

カンボジアのスラムの様子

この貧困の連鎖を断ち切るために、最低限の読み書きを身につける「識字教育」が不可欠なのです。

そのために、私たちシャンティは図書館をつくり、本を通して、子どもたちに、読み書きを身につけてもらうための活動をしています。

people

難民となり全てを失った青年が、難民キャンプのシャンティの図書館で得たもの

Nimmith Men /ニミット・マンさん

10代前半の頃、ポル・ポト政権下のカンボジアで肉親を失う。10年以上難民として難民キャンプで暮らすうち、シャンティの図書館で本と出会った。
現在はカンボジア在住。労働者の人権を守る団体で弁護を行っている。

内戦により親兄弟を亡くし、一人ぼっちでの難民キャンプ生活。戦争は僕からすべての知識を奪っていきました。

1979年まで続いたポル・ポト政権下で、親や兄弟は兵隊に連れ去られたり、内戦中の飢餓や病気で死んでしまいました。僕自身も強制労働に借り出されました。極限の中の生活で何度も自分の命もここまでか、と思いました。その後、隣国のベトナムがカンボジアに軍事侵攻をして恐怖政治は幕を閉じましたが、逃げた先のタイでの難民生活が10年も続くとは思いもしませんでした。 難民キャンプに逃れたとはいえ、親も兄弟も亡くした自分は一人ぼっちでした。難民キャンプには小学校ができましたが、戦争の辛い記憶が僕からすべての知識を奪っていました。その頃16歳でしたが小学校3年生から入学せざるをえなかったのです。


1981年 カオイダン難民キャンプの様子
写真下の左端がニミットさん

今の姿を難民だったころは想像できなかった。そのチャンスをくれたのはシャンティの図書館。

カンボジア難民キャンプにあった図書館の様子

難民キャンプに図書館というものができ、そこには「本」がありました。そして笑顔で迎えてくれる図書館員がいたのです。年齢も、性別も、親がいるかいないかも関係なく通える場所がこの世の中にあったのです。クメール語だけではなく英語の本もあり、むさぼるように読みました。 1991年フランスのパリでカンボジアの内戦終結に向けた和平交渉が行なわれることになり、その使節団のメンバーとして難民キャンプから選ばれました。ジャングルの中の自由のない難民キャンプに暮らす僕がフランスに行くなんて夢のようでした。後に状況の理解やコミュニケーション力が買われたので選ばれたと聞きました。これも図書館で他国のことや聞く、話す、読む、書く力をつけたからだと思っています。

僕のように図書館に来たことで、生きる力を身につけ、未来を切り開くことのできる子どもが増えてほしいと願っています。

図書館でつけた語学力や得られた知識があったからこそ、オーストラリアの博士課程で学ぶことができました。大学院では、法律を学びました。今はカンボジアに戻り、不当な扱いを受ける人たちを救うべく民事裁判に関係した仕事をしています。今の自分の姿は難民だったころは想像もできませんでした。僕にチャンスをくれたのは図書館だと信じています。 カンボジアの図書館はまだまだ発展途上です。まずは子どもたちが気軽に通える、シャンティの図書館のような、魅力的な図書館がこの国に増えることを願ってやみません。 そして僕のように図書館に来たことで、生きる力を身につけ、未来を切り開くことのできる子どもがカンボジアに増えてほしいと願っています。

カンボジアのオフィスで働くニミットさん(一番奥)。弁護士として労働者の人権を守るために活躍している。

私たちシャンティは、ニミットさんのように 生きる力を身につけ、未来を切り開くことのできる子どもを増やすために 図書館を作る活動しています。

message

図書館を通じて「貧困の連鎖」を断ち切り子どもたちが「未来を創造する力」を育むんでいくために

本を読むことで、子どもたちは文字に接する機会を得ます。
字を知ることで生きるのに欠かせない情報を知り、教養を身につけます。
そして、本を読むことは子どもの心の成長を促し、物事に取り組む力や自信、困難に立ち向かう勇気を育んでくれるのです。
「本を知らない子どもたち」が「本の力」に出会う機会を、みなさんと一緒に広めていきたいと思っています。

萩原宏子 / シャンティ カンボジア事務所調整員

学生時代にNGOの インターンとしてイランのアフガン難民支援にかかわる。民間企業勤務を経て、2010年シャンティに入職。東京事務所でアフガニスタン事業担当を務める。2013年よりカンボジア事務所調整員。学校図書館事業、幼児教育事業を担当。

「この子たちの将来が、私たちとは違う素晴らしいものであってほしい」。

かつて強制労働を経験し、今も読み書きができないという村の女性は、 孫娘の未来に夢を託し図書館に寄付をしてくれました。 カンボジア北西部バッタンバン州。内戦時代に激しい戦闘を経験したラタナック・モンドル郡の小学校では、休み時間になると子どもたちが図書室へなだれ込みます。 「たくさん子どもたちが来て大変なんだよ!」と笑う図書館の先生もかつて、地雷で足をなくしました。
ポル・ポト政権下の恐怖政治と内戦で多くの人が犠牲になったカンボジア。最近では経済成長が注目されていますが、農村部では今も、厳しい貧困状況から 小学校すら卒業できない子どもたちが多くいます。

私たちが図書館活動を行うのはそんな村の小学校です。目を輝かせ、文字を一つ一つ指でたどり、大声で読む。絵本を“食べて”いるかのような子どもたちの 勢いには目を見張りますが、これは教育への渇望の裏返しでもあります。
「この子たちの将来が、私たちとは違う素晴らしいものであってほしい」。かつて強制労働を経験し、今も読み書きができないという村の女性は、 孫娘の未来に夢を託し図書館に寄付をしてくれました。
教育とは、それ自体が権利であると同時に、貧困の連鎖を断ち切る武器でもあります。本を読むことで、知識を得、文字や文化を学び、 世界を広げることができます。私たちはこれからも村の人たちと協力して、本を届けていきます。あたたかいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

文字が読めないことで、困難に合ってしまうことがないよう、これからも子どもたちに本を届けるために私たちシャンティの活動を継続的にご支援ください。

3,000円で
10冊の民話絵本を出版できます。子どもたちに親しみがある民話を絵本にします。
10,000円で
2セットの机と椅子を購入できます。小学生が二人ずつ座れるしっかりした机と椅子です。
30,000円で
31台の図書館用本棚を購入できます。大人も子どもも本に親しめるコミュニティ図書館に設置します。
50,000円で
20組の紙しばいを出版できます。先生が読んでくれる紙しばいは子どもに大人気です。

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