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【対談:第二回】読書にこめた平和な国家への願い

2013.6.26   対談

対談:第二回「読書にこめた平和な国家への願い」

読書推進運動協議会 会長 / 小峰 紀雄さん × シャンティ広報課 / 清野 陽子

2013年6月26日 株式会社小峰書店にて

10月になると「読書週間」のポスターを図書館や書店で目にするのでは。終戦まもない1947年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと立ち上がった運動です。その事務局である読書推進運動協議会の小峰会長からお話を伺いました。

読書推進運動協議会 会長 小峰 紀雄さん

  • 公益社団法人読書推進運動協議会会長。子どもの読書推進会議代表。株式会社小峰書店代表取締役社長。宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
    「1938年生まれで、戦争体験があります。平和じゃない時代に、本が自由に読めなかったということを日本人は身近に経験していたからこそ、その大切さは今でも生きているのではないでしょうか」。

シャンティ広報課 清野 陽子

  • 2005年シャンティ入職。国内事業課を経て、2009年から広報課でニュースレター「シャンティ」を担当。宮城県生まれ。東北工業大学卒業。日本ファンドレイジング協会認定ファンドレイザー。「自分にはいつも身近に本がありました。その幸せを一人でも多くの子どもに届けたくて活動しています」。

第二次世界大戦の経験を通して、戦後の読書推進運動が作られていった

清野:本日はお時間をいただき、ありがとうございます。まず、読書週間が立ち上がったときの経緯についてお聞かせください。終戦後2年しか経っていない時期に開催されていますね。戦後の貧困の中だったと思いますが。

小峰:現在の読書推進運動協議会(以下、読進協)が全国展開している春の「こどもの読書週間」、秋の「読書週間」は、関東大震災で大量の出版物が消失した翌年(大正13年)、日本図書館協会によって始められた「図書館週間」がルーツです。しかし、昭和に入り自由に本が出せる状態ではなくなり、昭和14年の「一般週間運動廃止令」によって廃止に追い込まれてしまいます。
その後、日本は第二次世界大戦を起こして、他国を傷つけるだけでなく自国も大きな被害を受けるような状態になりました。読書推進活動の原点は、戦争抜きでは語れないと思います。言論や出版、紙も統制されました。第二次世界大戦の悲惨な経験を通して、戦後の読書推進運動が作られていったと言えます。

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第1回ポスター展より

敗戦後の日本が平和憲法を選んだということは、民主主義、国民主権という考え方を選んだんですね。出版活動の活発化や読書意欲の高まりから、出版社・図書館・取次・書店・報道・文化関連各団体が読書週間実行委員会を結成し、「読書週間」が誕生しています。その動きは早く、第一回の案内が新聞に出たのは昭和21年でした。戦前も読書運動があったことも大きいでしょう。

清野:当時の関係者は読書の力に平和な国家への願いを込めたのですね。

小峰:「良書をつくって普及させる」ことは、当時も今も変わらない読書週間の理念です。戦時中の出版言論統制の中で殺されてしまった本はたくさんありました。埋もれてしまった本を読みましょう。また、書きたくても書けなかった作家を発掘して新しい時代にふさわしい本を作ろうと、出版界は意欲的でした。良書とはなにか、みんな真剣に考えたと思います。良書が新しい国家を作るのですから。

戦争はしない、命は大切にする―そのことを出版物によって伝えようとしたのだと思います。復興の端緒にかかったばかりのころです。今とは言葉の重みが違いますよね。「平和」とは「和を大切にすること」。戦後68年を過ぎた現在、そのときに切望していた平和という言葉の意味が薄れて変容しているのではないかと危惧しています。

良い本とは

清野:良書とはどう選ばれるものでしょう?

小峰:昭和33年に文部省(当時)が選定図書を選ぼうとしたとき、出版界が抵抗しました。「良い本は国が決めるものではない。良書というのは読者が決めるもの」という思いからです。「こういう本が生きるヒントになった」「元気が出た」…それぞれの人が固有の感性で本を選ぶという自律性、心の多様性が大切です。読進協も「これが良書です」と勧めることはしません。「国が『良い本』と言い出したときには、なにかきな臭いことになる」、経験していますよね。

なにが良書かというのは、本当に難しい。人の価値観は時代にあわせて動いていくものでもあります。だからこそ出版の自由を確保して、いろいろな本が読めるようにしていかなくては。本は生き物なんだと思います。

清野:シャンティ国際ボランティア会(以下、シャンティ)は読書によって生きる力を養い、多様な人々が共存する平和な世界をめざしていきます。読書、本によって達成される平和について詳しく伺いたいのです。

小峰:不安と困窮の時代にあって、知を深め、心を豊かにする読書はますます必要になるでしょう。本は文化の種をまき、育てます。本によって「命の大切さ、平和の大切さ」といった生きる指針を伝えていく。平和だから出版物が生まれるし、平和じゃない時代に、本が自由に読めなかったということを日本人は身近に経験していたからこそ、その大切さは今でも生きているのではないでしょうか。

戦後に生まれた読書週間の精神というのはずっと生き続けていると感じます。そこに多様な価値観、見方があることが大事です。良書と呼べない本があったとしても、そのことを包括したうえでの出版の自由があるということ。国家の立場から見て「良くない」という本があったとしても、です。民主主義は出版の自由の上じゃないと成立しないのではないでしょうか。

清野:小峰会長が社長を務める小峰書店では児童書を出版されていますね。本にかける思いを伺わせてください。

小峰:私自身の戦争経験があります。1938年生まれで、国民学校の最後の一年生でした。あのまま戦争が続いていたら出征していたのではないでしょうか。それ以外の価値観がありませんでした。宮城県本吉町(当時)という自分の町から、石巻や仙台の町が空襲を受けて空を赤く照らすのが見えました。しょっちゅう艦砲射撃があって、その音から身をひそめるのが、私の戦争でした。父は広島で被ばくし、1954年、私が高校一年の時、亡くなりました。それからずっと「なぜ父は亡くなったのか」という理由を考え続けて、本としての『ひろしまのピカ』という形になりました。

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そこまで、30年近くかかったわけですね。小峰書店では、1948年に『赤い鳥 童話名作集』(全3巻)を発行しました。まだまだ紙などの物資が足りなくて、東京では印刷ができず、新潟まで夜行に乗って印刷したそうです。『赤い鳥』は大正デモクラシーの時代の中で生まれました。優れた作家が子どものために書いた作品を掲載し、子どもの作品や詩、絵を載せて、子どもの表現・主体性を大切にしました。外国の作品の翻案もありました。「少国民」といわれて国家のいうとおりにすることが推奨された時代に、子どもの主体性を活かそうとしていたのです。この『赤い鳥 童話名作集』が、小峰書店の出版の原点になりました。

清野:シャンティは「絵本を届ける運動」や「アジアの図書館サポーター」で、読推協から後援をいただいています。読推協から、当会の海外での読書推進活動はどう見えていますか?私たちの活動にご提言もいただけましたらと思います。

小峰:アジアでの活動が30年以上になるそうですね。私たち読推協も今までは活動を国内だけで展開していましたが、4月に公益社団法人へ移行し、定款も活動範囲を「国内外の」と謳っています。公益社団法人ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)とのつながりも活かして、アジアでの読書の推進活動へも目を向けていくべきだ、と考えています。

読進協は出版社との関係がありますので、読書普及の推進をささえていくバックアップの役目を負うことができますから、アジアの本がない環境で、識字教育を行っているシャンティと連携協力できることがあったらいいと考えます。出版社や地方の団体への呼びかけなどを仲介することが可能です。

読書運動は関東大震災、第二次世界大戦など危機的な状況をきっかけに高まりました。東日本大震災でもそうなっています。本の持つ力が問われている時代だと感じています。

清野:本日は貴重なお話をありがとうございました。

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