2018.06.08
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【南相馬】幾千万の馬を描いてきた画家のアトリエを訪ねて

津波
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相双地区に古くから伝わる「相馬野馬追」。7月下旬の開催に向けまちが活気づき、当日は勇壮な騎馬武者たちの姿をまちなかでも数多く目にすることができます。神事は国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

甲冑競馬や神旗争奪戦が繰り広げられる、雲雀ヶ原祭場地を擁するだけあって、南相馬市にいると、さまざまな場所で馬の絵や彫刻を目にします。大きな壁画であったり、隠れ家的な和風レストランの屏風であったり、田舎まんじゅうの焼き印であったり、ほんとうにいろいろなところで。

いったいこの絵はどのような方が描かれているのだろうということで、この地で、野馬追や馬をテーマにした絵画を描き続ける第一人者、朝倉悠三先生のアトリエを訪ねました。

朝倉先生は、全日本水墨画記念展大賞はじめ豊富な受賞歴を誇り、相馬市、南相馬市、浪江町などの公共施設を飾るパブリックアートも数多く手掛けています。また、原町高校、相馬高校、浪江高校で美術教師を長年務めたことから、「朝倉先生に美術を習った」という卒業生が実に数多くいます。
朝倉悠三先生

教員時代を振り返り、「生徒は仲間」「生徒のほうが私より大人だった」「先生そんなことしちゃだめだよって、私が叱られていたほう」と、朝倉先生は言います。美術をうまくなりたいのなら美術の学校に行けばよい。美術を通して、生き方や楽しみを教えるのが自分の仕事。楽しむことが先であって、そうでなければ絵ではない、というのが朝倉先生の考えです。生徒に親しまれ、人生相談を受けることも多かったようです。

ダムに沈む前の小学校に生徒たちと訪れ、みなで絵を描いた話、高校生たちが相馬野馬追を描いた展覧会を開いたら、会場の相馬の公民館に数千人もの来館者があって驚いた話。さらに、原町高校に音楽のロックを持ち込んだのも、自販機を持ち込んだのも自分が最初という話などなど、興味深い思い出話をいくつも聞かせていただきました。

朝倉先生のアトリエを訪問

既成概念にとらわれない、どちらかというと積極的にそれを壊していこうという、何にも縛られない「自由」を求める姿勢が、朝倉先生の言葉の端々から伝わってきます。

絵にしても、日本画であるとか油絵であるとか、素材やタッチで分けるのではなく、これは何を使って描いたんだろう、どうやって描いたんだろうとわからないものを描きたいと朝倉先生は言います。確かに、どうやって……と思わされる絵が、アトリエに何枚も飾られていました。

朝倉先生の絵の原点は、戦後の進駐軍が乗っていたジープ、そしてスズキ・ダイヤモンドフリーやホンダ・カブといったバイク。これらを子どものころ夢中になって描いていたのだそうです。

また、生まれ育った鹿島町(現在の南相馬市鹿島区)の実家は馬や山羊を育てていて、動物たちに囲まれ、彼らと触れ合いながら、大の動物好きに。「動物は言葉を話すんだよ」「特に馬の優しい目が好きだ」とも。野馬追のまちということもあり、それこそ数えきれないほどの馬の絵をこれまで描いてきた朝倉先生。それでも、馬の姿を見ると、新たな気付きがまだあると言います。

アトリエを案内する朝倉先生

朝倉先生に教えていただき、先生が関わったパブリックアートの陶壁画を見に、相馬市のスポーツアリーナそうま、県立相馬高校、浪江町の町立大堀小学校、同コスモス保育園、同請戸小学校を回りました。

スポーツアリーナそうま

スポーツアリーナそうま(相馬市)

県立相馬高校

県立相馬高校

遠くからでも目を引く大きな陶壁画。ただ、日常的に使われている相馬市の施設と、原発避難や津波被害を受けた時のままともいえる浪江町の施設では、受ける印象が大きく異なりました。

浪江町立大堀小学校

浪江町立大堀小学校

コスモス保育園

浪江町立コスモス保育園

浪江町立請戸小学校

浪江町立請戸小学校

アトリエにおじゃましている間に、「学校は楽しいオアシスでなければならない」と何度も強調されていた朝倉先生。浪江の保育園や小学校を飾った作品は、これからどうなるのだろう。

今の様子を先生にどうご報告しようか……。

南相馬事務所 古賀東彦