「出身はどこですか?」が突きつけるもの
Where are you from? (出身はどこですか?)
皆様は、外国の方にこの質問をされたとき、どう答えるでしょうか?
私は何の迷いもなく、日本と答えてきました。そして、日本出身だと答えるとき、同時に私の頭の中には、「つまり私は日本人」という発想が付きまとっていました。そう、「日本出身=日本人」。
しかし、そう素直に思考している人は世界ではそれほど多くないのではないか、ということに、事務所のある町メーソットでの生活で気づかされます。メーソットには、タイ人はもちろん、ビルマ、カレン、モン、シャン、インド系、ベンガル系、(自称)ロヒンギャの人々などが暮らしており、彼らは、難民として、あるいは、合法違法を問わず労働のための移民として、ミャンマーから来ている場合があります。
ミングル、チャンプルー、ハルハロの町メーソット。
この「○○出身=○○人」が彼らとの会話の中で問題を引き起こすことがありました。
例えば、「ミャンマー出身です」と答えたひとを、「ミャンマー人」と呼ぶと、中には明らかにそれまでの穏やかな態度を変えて、こう訂正する人たちがいたのです。
「私はミャンマー人ではなく、カレン人です。」
そして、カレン人をとりわけ、ビルマ人と同様に扱ったとき、それはより敏感に問題発言として受け取られているように思います。
例えば、以前私が以下のような質問をカレン人の職員にしたときです。「国境を越えてくるビルマ人には、伸ばした自分の髪の毛を売りに来てる人たちがいると聞く。ここ(カレン人のコミュニティ)でも同じことが起こっているのか?」
その職員は即座に言いました。
「でも、彼女たちはカレン人よ。」
その職員はそれしかいいませんでしたが、その言葉の裏に隠された強烈なメッセージを感じ取らざるを得なかったのです。
カレンの人々。
つまり、「でも、彼女たちはカレン人よ。(ビルマ人の問題を、カレン人の問題のように語らないで。)」
メーソットの町で、そして世界の多くの地域で、これは、相当程度に注意を払うべき問題なのかもしれません。私の民族に対する意識は国際感覚を欠いていたと気づくと同時に、民族の問題には常に敏感にならなくてはいけないと感じました。
国境の橋を超える人々。彼らをなんと呼べばよいのでしょう?
そして、日本についても考えるようになりました。日本では、「日本人」と「外国人」との二元化は、かなり大雑把に、しかし相当程度の意識的な排外性もって行われているように思われます。アイデンティティを捨象し「外国人」と括って扱えるほど、その内実は単純なのでしょうか?「日本出身」とは何だろう?そして、「日本人」とは、誰なのだろう?
Where are you from? (出身はどこですか?)
この短くて便利な言葉の深遠なる意味を改めて考えたいと思います。
ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所インターン 佐藤有生