2012.06.13
海外での活動

カンボジアの仏教とシャンティ

カンボジア

「カンボジア人であることは仏教徒である。」と言われるほど、カンボジアの人々にとって仏教(上座仏教)はなくてはならないものです。
2008年に実施された第2回目の国勢調査によると、全人口1,340万人の内、96.93%が仏教徒、1.92%がイスラム教徒、0.17%がキリスト教、0.78%がその他となっています。
また、1993年に発布された新憲法には、仏教を国教とすることに加えて、国家が仏教学校や仏教研究所を普及、発展させなければならいことが定められています。
2000年の歳月を経て、カンボジア人の血となり、肉となった仏教は、カンボジアに内戦が勃発する直前の1970年には、全国で約3,500の寺院、僧侶数67,000人を数えるほどになっていました。
しかしながらその後の4年間の内戦で約1000カ寺が破壊されました。さらにその後に続いた、1975年4月から1979年1月までのポルポト政権下での容赦ない宗教弾圧で仏教をはじめとする全ての宗教が禁止となりました。僧侶は強制的に還俗させられ、強制労働に駆り出されました。寺院は学校と同じように虐殺場や倉庫となり、人々は心のよりどころを失い、仏教はカンボジアから姿を消してしまいました。
そのポルポト政権が崩壊し、ようやく人々は日常を取り戻してゆきます。破壊されたお寺を修復し、僧侶を迎え入れ、祈りの復活とともに心に安らぎが戻ってきました。そして、お寺を磁石にして人々は心を一つにし、村のコミュニティーの復興が始まったのです。
しかしながら、仏教サンガの本格的な復興の開始は1989年まで待たねばなりませんでした。ポルポト政権下で多くの成年男子がなくなったために、国家の再建に成年男子を必要とした政府は50歳以下の男子の出家を制限していたからです。
カンボジア政府はまず僧侶育成のための仏教学校の復興に乗り出しますが、そこで使う教科書がありません。タイ国境のカンボジア難民キャンプで100万冊を超えるカンボジア語図書を復刻、出版していたシャンティに1990年8月、カンボジア政府から仏教書を中心としたカンボジア語図書50タイトルの復刻要請が届きました。
これに応えるべく、1991年3月にシャンティはプノンペン市内に事務所を開設し、印刷を中心としたプノンペン市教育局職業訓練所を開設。1992年から活動を開始しました。そして、日本の宗教界の皆様のご支援を受けて、待ちに待った仏教教育のための教科書の印刷が始まりました。
これを契機にして、全国の寺院に仏教学校が次々に開設されるようになりました。2011年の宗教省の統計によれば、全国に4,466か所の仏教寺院があり、僧侶の総数は56,304人となっています。仏教初等学校は523か所、そこで学ぶ僧侶や一般在家者数は11,141人。仏教中等学校は30か所、4,537人。仏教高等学校は15か所、2,092人。そして、仏教大学は全国に4か所、2,678人(内女性、478人)となっています。
シャンティはこのほかにも、カンボジアの和平の構築やカンボジア市民組織の形成にあたって精神的に大きな役割を果たしたと言われている、仏教を基盤にした平和行進『タンマ・イエトラ(法の行進)』に協力するとともに、地域社会の核である仏教寺院、そのリーダーとしての僧侶の能力強化のための「仏教と開発」研修会のなどをカンボジア政府宗教省や地域社会の人々と協力して開催してきました。この間、カンボジアは内戦、和平、復興、開発そして最近では経済発展へと、大きく社会が変わってきました。カンボジア社会の変化とともに、文化や社会規範、価値観の基層をなす仏教が今どうなっているのか、今後果たすべき役割とは何か。シャンティがこれまで復興に協力してきたカンボジアの仏教を改めて見つめなおすとともに、私たち日本人がそれから学び取るべきことは何か。
今年1年かけてカンボジアの仏教について調査し、皆さんに報告できればと思っています。

カンボジア事務所
アドバイザー
手束耕治