ミャンマーの歴史を心に刻む ~必ず、夜明けが来ることを信じて~
ミャンマー事務所の市川です。
コロナ禍で昨年4月に帰国してから、1年が経過。クーデターの影響もあり、遠隔での事業調整を継続中です。
市民の犠牲が500人を超える
ご存じの通り、2月1日の軍のクーデター以降、4月4日までに国軍の弾圧により564名(政治囚支援協会の発表)が死亡し、弾圧が一段と激しいものとなっています。3月31日には、3度目の国連安全保障理事会の緊急会合が開催されましたが、「暴力を強く非難」っする議長談話に留まり、市民への弾圧が続いているにもかかわらず、国際社会の対応に手詰まり感が出ています。
市民生活にも大きな影響が出ています。銀行業務が2月8日からほぼストップ。職員の給与遅延、事業関係の支払いが滞るなど、事業が進まず在宅勤務で凌いでいる状況が続いています。現地職員の安否確認も毎日、SNSを通じて確認していますが、携帯電話によるインターネットは遮断されており、連絡を取り合うことも困難になっています。
繰り返されたミャンマーの歴史
改めて、『物語 ミャンマーの歴史』(根本敬著)を再読しました。
1962年に軍事クーデターにより、国軍が政権を奪取。経済は国営化され、外交では国境を接する国々に限るという政策、そして、官僚機構は軍の下部機関となりました。具体的には、大臣、局長など各省庁のポストは、退役軍人が就くというものです。その中で、市民の言論の自由を封じ込まれ、批判や不満を表に出せず、過ごすことを余儀なくされました。
そして、1988年、抗議活動が学生から端と発し、全国的な運動へ広がりました。しかし、その大きなうねりも、弾圧されました。それから2011年の民政移管まで、軍事政権が続いた理由として、同書では、①非暴力で抵抗する市民を暴力で封じこめたこと、②国際社会の中で、中国、インド、ロシアなどの支持を集め味方を作ることに成功したこと等を挙げています。ある意味、今回も同じ方法で抗議活動を封じこめようとしています。
一昨年7月、ミャンマーに赴任前に、この本を読んだ時と今では、自分の感じ方が全く違うことに衝撃を受けるとともに、この国の人々の長い受難の歴史を、自分事として実感できていただろうかと自省の日々です。
「国軍だけが父、国軍だけが母」
軍政時代はスローガンを多用し、国民に対するイデオロギー操作を長期的に行ってきたとも言われています。例えば、「国軍だけが父、国軍だけが母、まわりの言うことを信じるな、血縁のことだけを信じよ、誰が分裂を企てても我々は分裂しない」というのがあります。国軍は国民全員の両親(血縁)であり、まわり(政党)は間違ったことを吹聴するから一切耳を貸さないで、親の言うことを黙って聞けというものです。第2次世界大戦中から今まで、祖国のために戦ってきたという軍の自負、独特のDNAがあることを垣間見ることができます。
“After darkest time, dawn is coming “(暗い時間が過ぎれば、夜明けは必ずやってくる)
1962年以来、ミャンマーの市民は、基本的な人権も尊重されず、生きていくことを余儀なくされました。今回も、いつ平和な日々がくるかが誰も予想できません。
最近、ミャンマーの友人から、「軍政下で貧しい生活を経験したので、小さいころから、“最善を望みながらも、最悪に備える”ことを心がけてきました。今も、それを意識して淡々と毎日を過ごしています。近頃、”After darkest time, dawn is coming “(暗い時間が過ぎれば、夜明けは必ずやってくる)という言葉が流行しています。私たちは夜明けを信じています」と、メッセージをもらいました。
このような状況下でも、団結して頑張ろうとするミャンマーの人々に、むしろ、励まされる日々です。ミャンマーでのインターネットの遮断が日常茶飯事であり、SNSの投稿が激減しています。しかし、ミャンマーで今起きている問題を自分事として捉え、報道が減る中でも思いを馳せ、繋がることの大切さを感じます。
必ず、夜明けが来ることを信じて。