2022.01.31
海外での活動

ミャンマー 軍事クーデターから一年

ミャンマー

ミャンマー事務所の中原です。
2021年2月1日、ミャンマーでは軍事クーデターが起きました。
当日の朝、カレン州パアンの自身のアパートにいました。インターネット、通話が繋がらなかったもの、時々生じるシステム障害によるものかなと思い、身支度を整えて事務所に向かいました。町の様子もいつもと変わらず、車やバイクが走り、道行く人たちがいて、そうした景色を見ながら事務所に着きました。

「今朝クーデターが起きたようです。それでインターネットも通話も使えない状況です」と出勤してきた職員から聞かされ、状況を知ることとなりましたが、周囲がいつも通りだったため、クーデターという単語が頭に入って来ませんでした。しかしこの国で何度となく起きているクーデターの歴史から、これから大変な事態になっていくのかという大きな不安と怖さが過ったことを覚えています。

1年経っても止まらない犠牲

街中に張り巡らされるバリケード
写真:警察署の前などに張り巡らさているバリケード

この1年の間に多くの尊い命が失われました。死者数1,499人、拘束者数11,810人までに至りました。(政治犯支援協会1月28日現在)平和的な抗議デモを続ける市民に軍は銃弾やロケット砲を撃ち込み、それでもデモ隊は「暴力でやり返してはいけない」と諫め合っていました。実弾で頭部を狙ってくる治安部隊に打ち上げ花火で対抗していた若者たち。犠牲者は抗議デモ参加者だけではなく、人命のために行動を起こした医療従事者、自由を綴った詩人、イデオロギーなど分からない小さな子どもたちまでもが標的にされました。

外国人そしてNGO職員としての思い

寺院学校の子どもたち
写真:長期の休校を経て再開した寺院学校で学ぶ子どもたち

2021年5月に国民防衛隊(PDF)が結成され、主に10代後半から20代の若者たちが参加して自作の武器で軍や警察と戦い始めました。その後、国境地帯を拠点とする少数民族武装勢力の下で軍事訓練を受け、武器なども提供されるようになると、より激しい戦いが各地で行われるようになりました。PDFの参加者だけでなく、一般市民、軍や警察側からも死者が後を絶ちません。軍を倒すまでは様々な手段で臨む、これは戦いではなく革命だと掲げる若者たちに対して、命を大切にしてほしいと願う自分の思いは、所詮は外国人だから言えることなのだと日々のニュースを見聞きする度に感じてきています。ヤンゴンでは以前爆破事件などは起きており、地方における戦闘も今なお続き、悪化の一途を辿っているように思います。近い将来、仮にクーデターが終わったとしても、悪夢の記憶は簡単に消え去ることはなく、特に若い人たちや子どもたちに対する心のケアが重要になってくるはずです。

「日常の様子は元に戻っても、記憶は消えることはない、あのおぞましい光景はしっかりと目に焼き付いているし、絶対に忘れません。」ヤンゴンで市民と治安部隊による衝突が激化して風景が変わってしまった時、あるミャンマー人が言った言葉です。今もこの言葉は頭から離れることなく、未来のミャンマーを考える時にNGOとして何が出来るのか、すべきなのかを考えてきています。