【ミャンマー】貧困を断ち切る夜間小学校
今日も朝が来た。
起きてすぐ、村の仲間と一緒にピックアップトラックで精米工場まで移動する。
7時、工場で米の籾殻の袋詰め作業開始。
この袋を店と工場を往復するトラックに何度も積める…。
これが私の仕事。
少女の名前はネインネインテ、14歳。
仕事をする彼女は無表情で、ただ目の前の肉体労働に従事しています。
彼女は昨年、村で開催されることになった夜間小学校のプログラムに通い始めました。
昼ごはんも食べられずに3時まで働き続けたこの日、授業が始まる少し前に仕事を終えて家へ戻り、
バックを背負って急いで教室へ駆け込みました。
昨日、一昨日は仕事が長引いて授業に参加できなかったので、
休んだ分を取り戻すために一心不乱にノートとテキストに向かいます。
机が足りないので、長いすを机代わりにしながら…。
彼女は妹が生まれた時から、妹の世話のために小学校3年生で中退せざるを得なくなりました。
父親は無職、母親は自分と共に精米工場で仕事をして3年になります。
無職の父親は一体何をしているのだろうか。
噂ではアルコール中毒だという話を聞きました。
彼女が仕事に出かけている間、彼女の家を訪れ、父親に話を聞いてみました。
父、コーナインは38歳。この村で生まれ育ちました。
やはり妻・娘と同じ精米工場で働いていましたが、去年の4月に仕事を辞めざるを得なくなりました。工場でマスクを支給してもらえなかったがために肺の病気を患ってしまったそうです。
彼の両親もまたこの村で生まれ、同じく精米工場で働いていました。
彼は小学校3年生のときに中退し、精米工場で働き始め、
以後30年間休みなく働き続けました。
「今の娘さんと、ほとんど同じ状況ですね」と言うと、
「そうだ」と悲しそうにうなずきました。
自身の昔を回想し、今の娘の姿を自分に照らし合わせるような、
しばしの沈黙がありました。
その後、ぽつりと彼はつぶやきました。
「娘には、夜間小学校を卒業した後、絶対に中学校へ進学してもらいたい。
これ以上、自分と同じ人生を歩ませたくない」
貧困は繰り返します。
狭い村の中で、三世代共に同じ工場で働き続け、
後に病気になって仕事を辞めざるを得ず、その時には自分の子どもが同じ工場で働き始めている。
この絶望的な連鎖を打破するもの、それは教育です。
* * *
8時間工場で働き続けた後に駆け込んだ夜間小学校の授業で、
一心不乱にノートの書き取りをしていたネインネインテ。
先生へノートを見せて、丸を付けてもらった瞬間に、この日初めて顔がぱっとほころび、
ただの14歳の少女に戻りました。
この夜間小学校で2年間集中して勉強し修了試験に合格すれば、彼女は小学校卒業資格を得ることができます。
ミャンマー事務所
本丸愛子