震災から27年 識字学級「ひまわりの会」の思い出、桂光子さんを偲ぶ
今日は、阪神・淡路大震災の発災から27年となります。
1月22日の深夜、私はシャンティの先遣隊の一員として神戸へ向かいました。事務所を立ち上げ、避難所へのボランティアの派遣、曹洞宗僧侶との炊き出しをはじめ様々な活動を展開。その中、今でも地元のボランティアの方を中心に継続しているのが識字学級「ひまわりの会」です。
その中心的なボランティアであった桂光子さんが、昨年5月に逝去されていたことが、最近の神戸新聞『読み書きできない被災者支援 桂光子さん死去 震災後、神戸で教室運営20年超』で報道されました。
当時、高齢者が多く住む市営住宅群の巡回活動をする中で、垣間見たのは、「市の広報の文字が読めないので、罹災証明の手続きをどうしてよいかわからない」と語る、非識字者である高齢者でした。そこで、識字学級が開設できないかと考えて相談にのっていただいたのが、夜間中学校の元先生であった桂さんでした。
1996年3月私たちの思いや計画をお伝えしたところ、桂さんは「本当に識字学級を立ち上げたいんですか?識字というのは、一度、始めたら辞められないんですよ。学習者の人が学び、字を覚えて喜びを知り、さらに学んでいく。その様は、ローソクについた火がゆっくり燃えていくのと似ています。一度、火をつけたら消せないんですよ。わかっていますよね?」と語られ、覚悟を問われたような気持になり、ドキッとしたことを昨日のことのように覚えています。
そして、96年9月に、識字学級「ひまわりの会」をスタート。口コミで次から次へと学習者の方が集まり、多い時には50人以上が登録。その多くが戦前戦後を通じて、文字を学ぶ機会を奪われた、在留韓国・朝鮮人の60~80歳のオモニたちでした。週に一度の識字学級に雨の日も風の日も、杖をつきながら集まり、ひらがなを一文字ずつ覚えていました。ある学習者は「字が書けんから、役所に行く時、包帯を指に巻いてくねん。係のお兄さんに、「指を怪我して書けないから、代わりに書いて」と、言って書いてもらうんねん」と話して言いましたが、数年後に、自分で文字を書けるようになったと喜んで話してくれました。
シャンティとしては97年5月に現地事務所を閉鎖、2000年まで活動資金の支援をさせていただきました。その後、地元のボランティアの方が「ひまわりの会」の運営を継続して、今でも十数名の学習者が参加されているとのことです。
2014年11月、当会シャンティの対談『【対談:第七回】文字の読み書きと人間の尊厳』のために、お会いしたのが私にとって最後の対面となりました。対談の最後に「字を知ることで拓ける世界とは、どんな世界でしょうか?」と伺いました。そうしたら、桂さんが「「もっと書きたい、もっと知りたい」という思い、文字を知り始め文字を知る喜びを知ったということでしょう。ここまで覚えたからもういいわとか、そんなんじゃない世界に彼女たちは引き込まれている。文字を手にしたその後は「もっと知りたい、拓ける世界はある」という希望がもてる。その希望の扉を自分で開いていく。そういうことじゃないかなと。ひとつ知るでしょ、新しい世界を開けよう、扉をあけよう、そうすると次から次へ、自分で開けるでしょ。周りから指図されたりじゃなくて、自分で表現する喜びを知ったわけですよ」。
末筆ながら、桂光子さんのご冥福をお祈りいたします。
公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会
地球市民事業課長 市川 斉(元神戸事務所長)
学習者と共に 中央が桂光子さん