憎しみの負の連鎖を止め、学びの喜びを届けるために|9.11に寄せて
(写真:安井浩美)
世界から忘れられたアフガニスタンが注目されたのは、24年前の9月11日に勃発した同時多発テロでした。なぜこのような悲惨な事件が起きてしまったのか、さまざまな検証がなされましたが、今ではあまり報道されることもなく、事件のことを知らない世代も増えてきました。
それよりさらに遡り、70年代以降アフガニスタンが冷戦時代、分断する国々の権力争いに翻弄され、紛争が長期化したことは遥か昔のこととして話題に上がることはもはやありません。
2021年、タリバン復権に伴い20年以上にわたり国際社会が力を持って達成しようとした平和への道は失敗に終わりました。タリバンが再度政権を奪取した背景には、政権を支持するというより、長く続く治安不安、いつ巻き込まれるかわからない空爆、爆弾攻撃に疲れきっている人々は、ただ平穏な日々を取り戻したい、そんな声が多く聞こえていました。
(写真:安井浩美)
アフガニスタンと関わる中で驚くのは、アフガニスタンの人たちが日本にとても親しみを感じていることです。
23年前、選挙監視団を担うことになり、東部地域のある村を訪れた時のことです。村で唯一の建物として残っていたモスク内で選挙が開始されようとしていました。私たちもモスク内に招かれ、そこから選挙が始まるのを見守っていました。
そこに、村で対立する武力勢力の一つが、選挙を妨害するために武装した民兵を引き連れ、選挙会場を取り囲みました。別の武力勢力がそれを抑えようと集結し、モスクは数百名以上の武装兵士に取り囲まれ、威嚇する銃声が聞こえ、いつ武力衝突に発展してもおかしくない状況でした。
モスクにいた人たちは、みな事態を収束させようと外に出て、私と一人のアフガン職員だけがモスク内に取り残されていました。ますます怒声や発砲音が広がっていく中、その村の調整員が声を張り上げているのが聞こえ、しばらくすると早く立ち去ってください、と私たちを迎えに来てくれましました。武力勢力が対立を休止し、人ひとりがようやく通れるほどの道を私たちのために開けてくれていました。私たちが車に乗り込み、村を離れたとたん、再び激しい発砲音が聞こえてきました。
後から聞くと「日本人の客人が来ている、絶対に傷つけるようなことがあってはいけない、安全に退避させてからにしてほしい」と長老が呼びかけ、それに対立する勢力も応じ、休戦に至ったとのことでした。アフガニスタンの客人を敬うという習慣がこのように大事にされていたのです。
(写真:安井浩美)
長期化する紛争下で、多くの親が貧しさのために幼い子どもを育てられず、民兵として軍閥に預けざるを得ませんでした。子どもたちは、命令に従い戦うことだけを教え込まれ、読み書きも学べません。そのため大人になっても、近くの大人から聞く情報がすべてだと信じるようになります。
やがて、親を失った子は復讐を誓い、銃を手にします。こうして貧しさから生まれる憎しみの連鎖が続いていくのです。
(写真:安井浩美)
かつてシルクロードの十字路の中心とされたアフガニスタン。今でもこの地域の安定は、国際社会にとっても、日本にとっても重要な意味を持ちます。
私たちの活動も20年を超え、活動に参加してくれた子どもが成長し、活動を引き継ぎ、子どもたちに平和や教育の重要性を唱えてくれています。
憎しみの負の連鎖を止めるため、銃ではなく本を。学ぶ喜びを届けることが今私たちにできることだと思っています。
動画:「アフガニスタン・子ども図書館の一日」をご覧ください
(写真:2005年子ども図書館にて)
事務局長 兼 アフガニスタン事務所 所長
山本英里
サムネイル写真:加納将人