【東北】「共に」の気持ちをこれまでもこれからも
シャンティ南相馬事務所長・元岩手事務所長の古賀です。
昨日、本サイトにて正式にお知らせしました通り、2018年12月末、福島県南相馬市を中心に取り組んでおりました福島事業の終了に伴い、東日本大震災被災地におけるシャンティの支援活動は終了します。南相馬事務所もすでに閉所となり、これで東北各所の事務所はすべて閉じられました。
私も、2011年6月に岩手県遠野市に赴任して以後、東北三県で現地事務所長として主に移動図書館活動に従事して参りましたが、事業終了・事務所閉所とともにいったん東北を離れます。
シャンティは、発災直後の緊急時救援から始まり、宮城県気仙沼市での活動、さらに岩手県(陸前高田市、大船渡市、大槌町、山田町)、宮城県山元町、福島県南相馬市へと活動場所を広げてまいりました。この間7年9か月あまりにわたり、東北各所で活動を続けることができましたのは、ひとえにあたたかなお気持ちを東北へお寄せくださったみなさまのおかげです。僭越ながら、東北3事務所最後の職員として、これまで事業に携わったスタッフを代表し、心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。
今回シャンティは、活動地に事務所を開きましたが、東京に本部を置く団体であり、いわゆる「よそ者」支援者でもありました。しかし、そんな私たちを、大きな災害に見舞われた地元のみなさまはあたたかく迎え入れてくださいました。「支援」と言いつつも、一方通行ではなく、教えていただくこと、助けていただくことのほうが多かったようにさえ思います。活動に当たっては、後援名義などの使用を快くご許可くださった、地元の社会福祉協議会、教育委員会ほか関係機関も多く、これもまた心強い限りでした。
現地事務所のスタッフやドライバーのほとんどは地元出身者でしたが、その存在もとても大きかったと思います。所長として現場に立った身としましては、活動を共にした地元スタッフひとりひとりへの感謝の気持ちも大きなものがあります。
シャンティの東日本大震災被災地支援活動は当初の計画から大幅に延長した長丁場となりました。のべ数十名のスタッフ、国内外からかけつけた大勢のボランティアが気持ちをつないでつないで、途切れることなく活動に取り組みました。
その際、大事にしたことのひとつが「声」です。いわゆるニーズを拾うということもありますが、心通わす雑談、おしゃべりの場も大切にしました。苦しい状況、環境に置かれた方たちが出しづらい声、声にならない声も少しでも発しやすいように、またそれを少しでも聞かせていただきたいと、スタッフみなお会いする方お会いする方に対し、しっかりと向き合い、耳を傾け続けました。それだけで、想像を超える悲しみや苦しい体験を本当に理解することなどできるものではないでしょうが、その溝はお話をする中で自分たちの想像力で埋めるしかないという考えもありました。
辛く悲しい話ばかりでなく、みなで大笑いして、笑い飛ばして、泣き笑いいろいろありました。
「声」で言えば、スタッフが各所に散っていたこともあり、離れて活動するスタッフ同士、その日その日に感じた思いを、メールを通じて回し合うといったことも続けていました。
声を聞くというのは、相手を大切に思うことだと思います。ひとりひとりの存在を大切に。見ようとする。見ないふりをしない。でも、時には知らないことにする…。簡単なようで難しいことです。なかなかこれが、「できました」「できていました」と胸を張って言えるまでにならず、悩みながらの活動でもありました。
「共に」という気持ちも、スタッフみなが忘れずにいました。活動地では平穏な日常を取り戻すことがなにより大切であり、その意味では、私たちのような非日常的な存在が1日でも早くいなくなることが望ましいと思います。ただし、そのタイミングを自分の都合で決めてよいはずもありません。ひとりよがりになってはいないか。押し付けになってはいないか。先に「長丁場」と書きましたが、長いというのは自分の感覚でしかありません。岩手県4市町、宮城県山元町、福島県南相馬市での移動図書館を中心とした支援活動、そして私は直接携わってはいませんが気仙沼事務所のさまざまな取り組み、いずれも事業終了のあるべき姿、時機を考え、また考え、さらに考え、実行してきました。「共に」が言葉だけになってはいないか、いつも悩みながら。
現地事務所は一旦閉所しましたが、シャンティが「東北と共に」の気持ちを忘れたわけではありません。東京事務所を中心に、東北各所の復興に向けた動きをさまざまな形で応援していきます。また、シャンティ関係者は東北にも大勢います。2019年以降の取り組みも、どうかあたたかくお見守りください。
これまで本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。
南相馬事務所長 古賀東彦(2018年12月31日退職)