2019.12.25
読み物

カーテンの向こう側

ミャンマー事務所の市川です。

ミャンマーに来てから半年が経過。お店や入手可能な生活用品を把握したり、床屋に行ったり、不覚にも指にばい菌が入り抗生物質を服用しましたが、生活にも慣れてきました。しかし、ミャンマーの本当の姿が見えているのか、ふと不安になることもあると思った矢先、ある出来事がありました。

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ヤダナミンズリ寺院の孤児院の子どもたちの夕食風景。食事前のお祈り

ある日、久しぶりにヤダナミンズリ寺院学校のドーワナリティリ尼僧を訪ねました。以前、ブログでも紹介されていますが、公立学校に通えない貧しい子どもにとって、寺院学校は“学び”の最後の砦になっています。また、ここは、どんな孤児でも預かる施設になっていて、350の孤児が生活しています。ドーワナリティリ尼僧は、チン族出身でクリスチャンでしたが瞑想に興味を持ち、尼僧になった伺いました。小柄な尼僧のどこに、子どもたちを支えようというエネルギーを秘めているのか、お会いする度に頭が下がります。

350人の子どもの親であり、先生でもあるドーワナリティリ尼僧

350人の子どもの親であり、先生でもあるドーワナリティリ尼僧

帰り際、同行した当会スタッフの古参株であるトータさんが「もう少し、ここにいます」とのことで、私は寺院学校を後にしました。しかし、その後にある光景に遭遇したと報告を聞きました。就寝時間の午後9時前に、女性と4歳くらいの男児が、この寺院を突如訪問。女性は非番の新人警察官で、偶然、迷子のこの男児を発見。親が見つからず、周りの人から、ここに連れてきたら良いと勧められたとのことでした。警察官は、この地域には縁がなく、上司に相談しても取りあってもらえず、やむを得ず、ここを訪ねた感じようです。男児は安心したためか、その場で失禁をしましたが、すぐに水浴びをさせて、寝床に連れていかれたとのこと。また、通常、この男児は母親と駅で野宿をしていましたが、この夜は母親を発見できませんでした。後日談によれば、母親は精神的な疾患を抱えており、すでに、この街を出て行ってしまい、その結果、この男児はこの寺院に引き取られたと聞ききました。この話はほんの一例でありますが、このような子どもたちのことが、見えていなかったことが改めて感じました。

女性の警察官と連れてこられた男児。事情を聴くドーワナリティリ尼僧

女性の警察官と連れてこられた男児。事情を聴くドーワナリティリ尼僧

現場に行かないと真実が見えないが、現場に居ても見えないことも多々あり、感性を研ぎ澄まするしかありません。教育支援事業を実施することが我々のミッションではありますが、一方で、より困難な人と寄り添うことが当会のモットーでもあります。そのことを意識しないと、「裸の王様」になってしまうと今回の出来事で気づかされました。

寺院に引き取られて、名前はイェタイ(写真真ん中)と命名。他者との会話はできないようだが、子どもと共にはしゃいでいる
寺院に引き取られて、名前はイェタイ(写真真ん中)と命名。他者との会話はできないようだが、子どもと共にはしゃいでいる

トータさんが、「真実は、カーテンの向こう側にあります」とつぶやく言葉に、真実を見抜こうとする姿勢が問われていると感じました。

ミャンマー事務所長 市川 斉