「国際女性の日」政変から2年半が経つアフガニスタン 女性たちの今
サラーム・アレイクム سلام علیکم!(あなたがたの上に平安がありますように)
本ブログをご覧の皆さま、こんにちは。
今日、3月8日は「国際女性の日」です。国際女性の日が3月8日となった背景は、1904年のその日(3/8)に、アメリカ・ニューヨークに住む女性労働者が政治に参加する権利を求めて運動を起こしたことが起源となるようです。その日から今日で120年という年月が流れました。近年、多くの女性が世界中で素晴らしい活躍を見せている一方、ジェンダー間の格差は、未だ世界中で存在しています。
世界経済フォーラムは、男女格差の現状を示した『ジェンダーギャップ指数2023』を発表しました。146か国を対象に行われた本調査、最下位、つまり男女の格差が最も大きい国となったのは、シャンティの活動国の1つでもあるアフガニスタンでした(日本は125位)。
2021年8月に起きたタリバンによる政変以降、アフガニスタンの女性の生活や女の子たちの教育状況は日を追うごとに悪化しています。
政変以降のアフガニスタンの女子・女性に関わる制限を示した年表
女性用の衣服店にて、マネキンの顔が覆われている ©安井浩美
看板の女性顔が塗りつぶされている ©安井浩美
本ブログでは、そんなアフガニスタンの女の子や女性が置かれる現状を本人たちの声を通して紹介します。
情報を提供してくれた女性や女の子の安全を守るため、写真の掲載に限りがあることを予めご了承ください。
ファティマさん(仮名、45歳)
ファティマさんは、4名の子どもを持つ母親です。毎日家族のために家事や育児に奔走しています。実は、彼女は、糖尿病と高コレステロール血症の問題を抱えています。この生活習慣病が診断された時、お医者さんからは健康のために「歩く」ことを勧められました。
それからというもの、彼女は、家から一番近い公園に毎日散歩に通っていました。しかし、2021年の政変の後、女性に対する様々な社会活動の制限が課せられるようになりました。その中には、外出制限(家から出ることの制限)も含まれます。それでも、ファティマさんは、健康を保つために(健康でいることで家族を支えるために)、できる限り公園に通い散歩をしていました。
ある日のこと、いつものように公園で歩いていると、タリバンの職員が来て、ファティマさんに向かって、「お前は、女性なのに、なんで一人で外に出ているんだ!」と怒鳴りつけました。暫定政権下のアフガニスタンにおいて、女性が家から出るためには、「マハラム」という、夫や男性親族を帯同させる義務が課せられています。
その職員は彼女に対して、「今日からお前はここに来てはいけない。」と命令を下しました。
ファティマさんは、ひどく不安になりました。その時の気持ちをこう振り返ります。
あの日、私は、病気が悪化してしまうことを想像してとても怖くなりました。もし、私の体に何か起こってしまったら、どうやって、そして誰が、子どもたちや家族の面倒をみていくのでしょう。
アパートに部屋を借りて住むファティマさんの家族。彼女は、この狭い部屋で健康のために歩き回ることはとても難しいと感じています。
突然の政変や度重なる女性への制限は、人々を精神的な不安に陥れました。それだけではなく、ファティマさんのような女性は、外出制限等により、体の健康を維持することも困難になってしまったのです。
マナヘルさん(仮名、14歳)
マナヘルさんは、14歳の女の子で、今は公立の学校に通うことはできません。それでも、勉強を続けたかったので、英語や数学の基礎が学べるノンフォーマル教育の教室に通う予定だったと言います。
「ノンフォーマル教育の教室」は、事実上禁止となっている公教育に代わり、授業料を受けて学習の機会を提供しているところです。現状、暫定政権は、中等教育レベル以上の女子のノンフォーマル教育の利用について、公式に禁止していませんが、同時に「認める」とも明確に発表してはいません。そういう意味では、本教育機会の在り方は不安定ですが、アフガニスタンの女の子たちにとって数少ない学びの機会の一つとなっています。現状では、女の子たちがこの教育機会を利用するのは、ほとんどの場合、午前の時間帯しか認められていないとのことです。
実は、マナヘルさんは、午前中2歳と3歳の妹の面倒を見ています。家計が苦しく、妹たちを保育園に送ることができないため、マナヘルさんが面倒を見なくてはいけないのです。午後になると、お母さんが家に返ってくるので、マナヘルさんには自由な時間ができるのですが、その頃には、すでにノンフォーマル教育の教室は閉まっています。そこに通うことができないことを悲しく感じるマナヘルさんですが、それでも2人の大切な妹のため、そして家族を支えようとする母親のため、自分にできることを一生懸命行い日々過ごしています。
マナヘルさんのお母さんは、政変後、助産師の資格を取るために医療の専門機関に通うことを決めました。女性の社会活動が制限されているアフガニスタンですが、医療や教育といった一部の分野では、女性が働くことが認められています。マナヘルさんのお母さんは、それで助産師の資格を取る決断に至ったのです。
このように、アフガニスタンの女性たちは、様々な制限下の中でも大切な家族を支えるために、可能性を模索し続け、時にはリスクを冒しながら今日を生きているのです。
マララさん(仮名、25歳)
マララさんは、教育の分野で現在も仕事を続ける25歳の女性です。多くのアフガニスタン人が感じるように、彼女もまた、政変後の生活が一変したと感じる人の一人です。
政変前、マララさんは、仕事をしながら英語教室に通い英語の資格を取るために勉強していました。さらに、英語の勉強や仕事が落ち着いたら修士号の取得に挑戦したいとも考えていました。
そんな夢をいつ叶えることができるか、今はまだ分かりません。
しかし、マララさんは、こんな状況に陥っても「希望を失って、諦めることはありませんでした」と、力強く述べます。
だって、もし私が学ぶことを諦めたり、今の仕事を辞めたりすると、誰がアフガニスタンの女の子たちに教育の大切さを伝えるのでしょうか。
今の私の仕事は、アフガニスタンの女の子たちに知識を届けることができるとても大切な仕事です。こんな状況の中でも、女性として働けて教育に携われていることを心から誇りに思っています。
女の子たちに読み書きを教えるマララさん
3名のアフガニスタン女性たちの声からは、現地の厳しい状況がひしひしと伝わってきます。しかし、そんな中でも、ひたむきに自分にできることを考え、一生懸命生きる彼女たちの「強い意志」を感じました。
また、マララさんが述べた、今だからこそ「教育の重要性」を伝え続けることに意義がある、ということばには胸が打たれました。
シャンティは、そんなアフガニスタンの人々に寄り添いながら、この国の明るい未来を信じ活動を継続して参ります。
本ブログのアフガニスタンの女性の声が、国際女性の日について、振り返る機会になれば幸いです。
アフガニスタン事務所職員