カンボジア難民キャンプから30年、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプから10年
ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所の小野です。
SVA30周年のキャッチコピーのような表題ですが、皆様、12月の記念イベントにはお申し込みされましたか?
最近現場で受け取ったチラシを見て、単純に参加してみたいなと思いました(たぶん無理ですが)。是非皆様におすすめしまます。詳しくはSVAのHPの情報をご参照の程。
さて、今日は記念イベントの紹介でなく、ちょっと「難民定住」のことを考えてみたいと思ったのです。
今、手元に「『インドシナ難民』受け入れ30年を振り返る―私たちは何を学んだのか―」(川上郁雄)という資料があります。
たぶん、2005年くらいに書かれたものですが、この中で川上氏は「定住の成否の鍵は、難民の側にだけあるのではなく、日本社会が難民をどのように受け入れてきたかという、日本側にもある」と規定しています。
その上で、日本側の課題は多言語多文化共生社会を基本政策とすることであり「『外国人管理行政』の視点からの脱却」が期待されていると指摘しています。
資料はこちらから:http://www.gsjal.jp/kawakami/dat/051126.pdf
なかなか、言い当てていると思いました。この資料には、インドシナ難民の人たちがどんなところで苦労されたかもよくまとめてあります。
一方、昨年から試験的に始まったカレン難民の第三国定住政策。インドシナ難民に比較して圧倒的に少数ですが、第1陣27名は定住2年目を迎えました。
ご存知の方々も多いでしょうが、日本語研修後、千葉県の農業法人に就職した2家族は残念ながら弁護士さんのお世話になって退職することになりました。雇用上の行き違いがいろいろと生じていたようです。
三重県に定住した3家族の方は、何とか頑張っているようです。確かキノコの栽培の会社にお勤めで、子どもたちも地元の学校にも馴染んでいることでしょう。
先月は、いよいよ18名の第2陣が来日、新たに半年間の日本語研修に入りました。彼らにはどのような将来が待っているのでしょうか。その後の就職先は?子どもたちの教育は?母語は?文化は?など、いろいろと考えさせられますよね。
今のところ、慎重な政府の姿勢から、川上氏のいう「外国人管理行政」の域はまだまだ脱していないように見えるのは、決して私だけではないでしょう。インドシナ難民の受け入れによく学び、民間とも連携しながら、もっとオープンで手厚い受け入れする!私は、そうした官民連携型のユニークな定住政策を模索できる要素は揃っているように思います。
SVAも、1980年代、カンボジア難民キャンプで出会った人たちが日本社会に定住する過程を目の当たりにしました。さらに、2000年から付き合ってきたミャンマー(ビルマ)難民キャンプで出会った人たちが、また日本社会に溶け込もうとしている場面に遭遇しているわけです。
30年の歴史の中で淘汰されてきたものも多いですが、SVAという組織の記憶は意思を持って継承されるでしょうし、その中の大きな部分にこうした「難民の人たちとのかかわり」があるように思えます。もちろん、ラオス難民、アフガニスタン難民の人たちとも大きく関わってきた経験もあります。
今後も、現場事務所でも、東京事務所でも、難民の人たちに対して「そばにいるよ」と言える組織でありたいもの――。
なんだか、私の「SVA30周年に寄せる思い」みたいになってしまいましたが、12月を前にそんな心境のこの頃です。
文字だけで、長文、読みにくくてすみませんでした。
以上