カンボジアの祝日、プチュン・ベンとは?
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本日は、カンボジアの大切な祝日についてです!

プチュン・ベン祭りの歴史と伝統
プチュン・ベンは仏教の宗教祭典で、カンボジアの中で重要な宗教祭事の一つです。
古代からカンボジア全土で途切れることなく祝われてきたと言われています。
祭りはカンボジアの暦Putrobot月(通常9月頃)の新月後1日目に始まり、15日間続き、新月後15日目に終了します。
毎年この時期は多くの人々が、家族と集うため、特に両親を訪ねるために旅をします。また寺院の僧侶へ捧げる供え物の料理を準備します。
「プチュン・ベン」の語源
「プチュン・ベン」という名称の由来は、
・ 「プチュン」:集まりや集会を意味し、
・ 「ベン」:パーリ語に由来し「米の塊」を意味します。ベンは先祖に捧げる米の塊を指します。
したがって、「プチュム・ベン」は「お米の塊(団子状の米)を捧げるための集い」、あるいは「先祖に捧げる米の塊の集い」と解釈できます。
プチュン・ベンに関連する宗教的物語
「ペティヤ・ダーマ」経典によれば、尊者ウパグプタという強力な僧侶が霊力で地獄を訪れました。地獄は猛烈な熱気に包まれ炎に満ちていましたが、僧侶の霊力により巨大な蓮華が現れ、彼はその上に座って地獄を巡り、熱に触れることなく移動しました。
地獄の苦しみを受ける人々は驚き、その僧侶の元にやってきました。人々は、人間界にいる親族に、プチュム・ベン期間に功徳を積む行いをし、食物供養を行うよう伝えてほしいと願い出ました。そうすれば人々はその恩恵を受け、一時的に苦しみが和らぐからです。
尊者ウパグプタは人間界に戻り、このことを王に伝えました。この報告を受けた王は、Putrobot月の1日から15日間、全ての市民が儀式を行い供養を行うよう王令を発布しました。
こうしてプチュム・ベンの伝統が始まり、今日まで続いていると言われてます。
プチュム・ベンと仏教の雨安居(ヴァッサ)の関連性
宗教学者らによれば、元来、僧侶たちは季節を問わずいつでも托鉢に出かけていました。しかし、仏教を深く支援したジャヤーヴァルマン王の治世下で、王は、特に雨季には泥や雨、雷、滑りやすい道など僧侶が多くの困難に直面していることに気づきました。
そこで王は、僧侶が雨季(ヴァッサ)の3ヶ月間は寺院内に留まり、托鉢に出ないよう王令を発しました。また、この期間中は一般の人々が僧侶たちに食糧や生活必需品を提供するよう奨励しました。
やがて、15日間のプチュン・ベン祭はこのヴァッサ期間と密接に結びつき、僧侶だけでなく亡くなった祖先、死者の霊への供養も行われるようになりました。


プチュン・ベンの時期と目的
プチュン・ベンは常に雨季に祝われ、この時期だけ、死者の霊が地獄から解放され食物を求めてさまよう時と信じられています。
この15日間、魂は功徳と食物供養を受けるため、生きている親族を探して寺院から寺院へと彷徨います。
七つの異なる寺院で親族を見つけられない場合、彼らは苦しみの叫びを上げ、恩知らずの子孫を呪うとも信じられています。
儀式の行われ方
15日間の祭りはPutrobot月の新月1日目から15日目にかけて行われます:
・ 最初の14日間は、家族が交代で寺院を訪れ、準備した食事を僧侶に提供します。
・ 各世帯はグループに分かれ、年配の人々が統括し、お米の塊やその他の伝統料理を含む食事の準備をします。
・ 早朝、人々は伝統衣装を身にまとい、食物やその他の供物を寺に持ち込み、法話を聞きます。
・ 最終日である15日目には、主要な儀式が行われ、大勢の人々が亡くなった愛する人を偲ぶために参列します。



娯楽と祝い
かつてプチュン・ベン祭では、牛車レース、競馬、その他の地域特有の娯楽が行われており、動物は色とりどりに装飾されました。
しかし、こうした習慣は時とともに衰退し、祭りの焦点はより宗教的・精神的な側面に移っていきました。
まとめ
プチュン・ベンはカンボジアにおいて、精神的・文化的に深く豊かな伝統であり、仏教の教え、祖先への敬意、共同体の集いが融合したもので、毎年雨季に開催されています。現代において一部の慣習は変化したものの、功徳積みの実践、追悼、家族の結束という核となる価値は、今もなおこの祭りの中心を成していると言えます。



