お別れの言葉に替えて ーカンボジア、そしてSVAとともに歩んだ30年。そしてこれからー
本日、2014年12月31日。いよいよ今日が私にとってSVAに務める最後の日となりました。
思い返せば30年前の1984年。三部さん(現SVA副会長)にお会いしていなければ、SVAにお世話になることはなかったでしょうし、今の私はありませんでした。
これまで本当に多くの方々と出会い、素晴らしい御縁をいただき、今があることに心から感謝しています。
本日はこれまでご支援いただいたSVA関係者の皆さま、そしてSVAのスタッフの皆さんへお贈りする感謝とお別れの言葉に替えて、
これまでの30年を振り返り、さらにこれからに向けてのメッセージをお贈りしたいと思います。
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(バンコクへ)
1984年3月5日、同期の山内珠子さんとともにSVAバンコク事務所に赴任。
山内さんは、その後カンボジア難民キャンプで知り合ったSVAスタッフ、ソムラック・パンティブーン氏と結婚。現在タイ北部のチャンラーイに在住。氏はタイで最も有名な陶芸家の一人
そして、その1カ月後、秦さん(現SVA理事、近畿大学教授)がバンコクに到着。
先輩の八木沢さんと共に、我々3人は一つの部屋で仲良く寝食を共にし、何でも話し合うことができたことも、私がSVAにこんなに長く務めることができたことのひとつです。
さて、1週間のタイ語研修の後、いよいよカオイダン・カンボジア難民キャンプの訪問です。
(生まれて初めての難民キャンプ訪問)
当時カオイダンキャンプは、最大のカンボジア難民キャンプで人口約7万人、ニッパヤシの粗末な小屋が並んだ、鉄条網で囲まれた大きな町ということを知り驚きました。
大量の難民が発生した1979年から5年、当時の視察団の報告書にあるような「難民キャンプに地獄を見た」悲惨な状況は落ち着いていました。
キャンプには病院や安定した食料の配給もあり、多くのNGOが教育や職業訓練などいろいろな活動をしていました。
そのひとつにSVAがあり、教育文化活動をしていました。
難民キャンプは閉鎖的で将来も不明確な空間です。
難民の人々や子どもたちがカンボジア人として生きてゆくためには、衣食住だけではなく精神的な活動、教育文化活動がいかに必要か、
SVAの活動に実際に係わるようになってようやくわかってきました。
そして、さらに驚いたことにSVAの印刷や図書館、クメール陶芸教室、伝統文化活動の担い手は難民の人々自身でした。
(ボランティアとは何か)
ボランティアとは何か、難民の人々を手助けするのがボランティアである。
ボランティアとは触媒である。そのこともSVAの活動を通して学んだ重要なことのひとつです。
(伝統文化の大切さを知る)
1985年から私はユースプログラムを担当するようになりました。
次世代を担う若い人々にカンボジアの伝統舞踊、音楽、スポーツ、職業訓練などの活動をしていました。
その中でも心に強く残ったのは伝統舞踊教室です。
ポルポト時代を生き抜いた芸大の先生が自分たちの伝統舞踊を懸命に子どもたちに伝えようと真剣で厳しい姿に、心を打たれました。
(図書館活動、お話しの大切さを知る)
ご存知のように図書館活動はSVAの中心となる活動です。
その中でも「お話し」「読み聞かせ」の活動を重視することにSVAの特色があると思います。
このお話しの重要性を私たちに知らしめてくれたのが、「おはなしキャラバンセンター」の1984年12月のスラム、難民キャンプ、農村をめぐったタイ公演でした。
その時、タイ・カンボジア国境はベトナム、ヘンサムリン軍が国境の3派に大攻勢を仕掛け、連日連夜休みなく大砲の炸裂する音が聞こえ、あちこちから黒煙が上がっていました。
国境からわずか7キロのところにあったカオイダン難民キャンプからもはっきりと見えました。
難民の人々は大変緊張していました。
そのような状況の中、「おはなしキャラバンセンター」の図書館活動、故石竹先生の「太陽に向かって飛ぶ矢」のお話しが始まりました。
竹とニッパヤシでできた講堂の中にいた数100人の子どもと大人全員がまるで砲声が聞こえないかのように、一生懸命に日本語のお話し!に聞き入っているではありませんか。
「お話しは教育の原点」とは故石竹先生の言葉ですが、まさにその力を私たちは見た思いがしました。
今から見れば、1984年はSVAにとって転換期であった気がします。
山内さん、秦さん、手束の3人が新しくタイの活動に参加。澤田さんが東京事務所に参加。
八木沢さんはタイの農村開発、図書館活動、秦さんはバンコクのスラムの図書館活動、山内さんはバンビナイ・ラオス難民キャンプの印刷教育活動を開始し、これからSVAの活動が大きく広がってゆくことになりました。
1986年8月、私は、退職した山内さんの後を引き継ぎ、バンビナイ難民キャンプでの文字を持たない山岳少数民族の人たちとの教育文化活動、そしてキャンプ周辺のタイの小学校への図書館活動を担当することとなりました。
(カンボジア国内へ)
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が崩壊してゆくに従って、カンボジアにも和平の動きが見られるようになってきました。
1990年8月、SVAからカンボジアの復興を念頭に置いた事業形成の現地調査を命じられ、私は約1カ月プノンペンに滞在しました。
その時、カンボジア政府より仏教と文化の復興のための50タイトルの図書の復刻を依頼されました。
(カンボジア事務所開設)
そして、1991年3月、名倉所長と私の二人でプノンペンに事務所を開設し、SVAの得意とする印刷出版活動を中心にした教育文化事業を開始しました。
先ず、プノンペン市内のバントラバエク高校の敷地内に職業訓練所「日本・カンボジア友好職業訓練センター」を建設し、日本より田中専門家を招き1992年7月より印刷活動を開始。
カンボジア政府から依頼された仏教や文化の図書ほか、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)より依頼の選挙関連のポスター、文書などを大量に印刷し、
カンボジアの歴史的な時期に係わる印刷所となってゆきました。
(図書館活動の始まり)
1993年10月からは、難民キャンプで図書館活動を担当していた、高山さん、カンボジアスタッフが参加していよいよ図書館活動が始まります。
図書館チームが巡回した40校余りの中で、SVAのお話しの活動を見て、それに聞き入る生徒の様子に感動した一つの小学校、カンダール州キエンスヴァーイ郡ダイアット小学校の女性の先生からカンボジアの図書館活動は始まりました。
先生が変われば生徒が変わる、そして学校が変わる。その学校の変化を聞いた周りの学校が先生に頼んで、先生は自分の自転車に絵本を積んで巡回を始めます。
図書館活動に感動した先生によって、一つの小学校から周りの地域へ、州全体へ、さらに隣の州へ。
やがて教育省も図書館活動の重要性を認識し、
2008年に発布された教育省の基本方針となる「チャイルド・フレンドリー・スクール」のプログラムの中で全国の小学校に図書館活動を広めてゆくことが決まりました。
2012年にはSVAなどのNGOも協力して小学校図書館スタンダードが定められ、今はその普及が図られています。
(学校建設活動開始)
学校教育活動のもう一つ、学校建設活動は国内の戦争避難民、国境の帰還難民の支援事業として始まりました。
そのひとつが、スヴァイリエン州やバッタンバン州ラタナモンドル郡バンアンピル村の小学校建設でした。
バンアンピル村の周りは地雷原。まだ地雷除去も始まっておらず、村には地雷を踏んだ障害者の人々が当たり前のように見かけられました。
その数千人の村にニッパヤシでできた小さな小屋の小学校が一つ。
1992年、東京文京ライオンズと宮城県曹洞宗青年会の皆さんのご支援で木造2棟、10教室の校舎が完成しました。
これを契機に、SVAはあちこちの村人から学校建設の直訴を受けるようになり、その期待にこたえて活動を広げてゆくようになりました。
(伝統文化活動の始まり)
1992年8月より、SVAの伝統文化活動は宗教省国立仏教研究所をカウンターパートとして、仏教書、文化図書の復刻配布活動が始まりました。
この活動はポルポト時代に破壊され、カンボジアの文化の基層となっている仏教の復興を支援するためでした。
(トリピタカ復刻配布事業)
1995年には、仏教の根本聖典であるカンボジア語版トリピタカ(南伝大蔵経)を復刻し、全国の約千の寺院に贈呈しました。
1995年6月20日のトリピタカ贈呈式の日は休日となり、シハヌーク国王陛下はじめ閣僚も出席して盛大な式典が行われました。
日本からも約90名の方々が式典に出席しました。
(仏教研究所復興事業)
そしてSVAが取り組んだ伝統文化活動中でもう一つ国家的なレベルで忘れることができない重要なものの一つが仏教研究所の復興事業です。
内戦前カンボジアの宗教と文化の最高、最大の殿堂であった仏教研究所。
そのために、ポルポト時代に完全に破壊されました。建物は残しましたが、全ての蔵書とほとんどの職員がなくなりました。
1992年からSVAは仏教研究所をカウンターパートとして図書復刻事業を始めましたが、いよいよ1995年から本格的な再建事業が始まりました。
立正佼成会の開祖卆寿記念事業として建物の再建事業が行われ、2002年に完成しました。
(これまでの30年を振り返って)
カンボジアは1970年代から20年続いた内戦が終了し、1993年5月に国際社会の支援を受けてUNTACの下、総選挙が実施されました。
新しい政府が誕生し、国際社会に復帰。和平、復興、開発そして2000年代からは外国の投資による経済発展へと激動の近代を歩んできました。
その歩みを振り返ってみると良くなったことも多くあります。
絶対的貧困率の減少、就学率の改善、人材の育成、乳幼児死亡率の改善、インフラの改善、NGOの活発な活動など。
然しまだまだ問題点も多く残っています。
妊産婦死亡率がまだ高い。子どもの栄養不良率が高い。教育の質の問題。格差(貧富、都市と農村)の拡大。開発(都市、地方)による住民移転訴訟の増加。汚職、金権主義の蔓延。盗難、ひったくりなどの犯罪の増加。交通事故の増加。青少年への覚せい剤などの広がりなど。
カンボジアの更なる発展のためにはまだまだしなければならないことがあります。
ベーシック・ヒューマ・ンニーズ(BHN)のさらなる改善。海外投資、企業誘致による産業の多様化。地場産業の振興。産業に必要な人材の育成。民主的な政治の実現など
私たちNGOもカンボジアの自由、平等、公正な社会の実現のために、これからもカンボジアの人々と協力してゆかねばなりません。
(私からのメッセージ)
SVAのモットーは「共に生き、共に学ぶ」です。
共に生きるとは、ともに苦しみや幸せを分かち合うこと、そのためにはお互いに学び合う、知りあう、理解し合うことではないでしょうか。
SVAのスタッフ一人ひとりが、この気持ちを持ってそれぞれの社会の問題に取り組み、さらにはそれぞれの国を超えて、お互いの社会の問題に関心を持ってそれに取り組む、
オールSVAで我々がお互いに対象とする国や地域、そして世界の問題に取り組むようになってゆくことが求められていると思います。
私はSVAを退職してもカンボジアに残り、来年1月からは立正佼成会の委託を受けて仏教研究所の活動を支援していくことになっています。
カンボジアの仏教復興は私のライフワークです。これからは外からSVAを見守りながら、カンボジア、そして仏教を通してSVAに協力してゆきたいと思っています。
手束耕治