驚きと学びで溢れた1カ月間
ミンガラバー!こんにちは!
1月下旬から1カ月間、ミャンマーのカレン州にあるミャンマー国境支援事業(MBP)事務所でNGO海外研修プログラムの研修生として活動しております、上野七海と申します。
来たばかりと思っていたら今日でパアンでの生活も3週目になり、研修の折り返し地点となりました。学びの連続の日々の中で頭の中がはてなマークで溢れかえっています。
今回ブログを書く機会を頂いたので、2週間という短い時間の中ですがパアンで「驚いたこと」と「学んだこと」について書きたいと思います。
今と昔の良さが混ざる街、パアン
パアンについてインターネットにもガイドブックにも十分な情報が載っていません。そんな街に事前学習があまり無い状態で来て驚きの連続だった私の最も驚いたことTop 3をご紹介したいと思います。
No.3 通気性抜群の家
パアンで生活をしていて、レンガの家や木で出来た家など様々な種類の住居を見かけます。その中で共通しているのは、日本の家の作りに比べてミャンマーの家は通気性抜群という事です。特に木造住宅は、玄関は存在するのか?と疑問を持ってしまうほど家の中が外から丸見えです。家のそばを一瞬通るだけでも、家に人が何人いて中で何をしているのかが分かってしまいます。年間を通して気候が暖かいこともあり、家を高床式住居にしたり窓を開けたりするのは、暑さをしのぐ為の方法ではあると思うのですが、それでもミャンマーの家の壁の面積の少なさには驚きました。外から入ってくるそよ風が吹き抜ける家、とても気持ちよく過ごせそうです。
No.2 日本製品の多さ
タイとの国境に比較的近いパアンではタイから運ばれてくる日本製の電化製品を多々見かけます。中には日本製の冷蔵庫だけが販売してある専門店もあり、日本人の私からするととても不思議でならないです。電化製品以外にも、自転車や自動車や大型バスの多くが日本製です。右側通行のミャンマーで右ハンドルの日本車、運転しにくく無いのでしょうか?少し前に「子供が乗っています」と日本語のステッカーが剥がされず、そのまま貼ってある自動車をみて、なんだか微笑ましくなりました。
No.1 携帯電話の普及率
ミャンマーに着くまで、途上国=電化製品、通信機器の低普及率というイメージを勝手に抱いていました。しかし、街に出るとみんな片手にスマホを手にしています。今や赤ちゃんまでもがスマホを操っているとのことです。2013年ごろからのミャンマー全体での急速な通信インフラの発展により国民の携帯電話の普及率が拡大したそうです。その結果、インターネットを通して海外の文化に触れることが増えました。今の若者たちの間では韓国ファッションや音楽がブームなようで、時々レストランなどからk-popが聞こえてきます。テクノロジーが発展している現代だからこそ見ることが出来た、遠く離れた国の文化が受け入れられていく瞬間なのかなと感じました。
パアンは最近、観光地としてバックパッカーを中心に話題の街になりつつあるそうです。ですが、大通りの一本奥を通るとそこは、昔ながらの家が立ち並び地元の人が日々の生活を送る、観光地とは思えないのんびりとした街並みが広がっています。
もちろん、観光地として栄えれば、雇用が増えより多くの人々が働ける環境になることには違いありません。しかし、それと同時に新しい風が入ることによって、パアンの元の街並みやのどかな現地の方々の生活や文化が消えてしまうのでは、と不安にもなりました。外国人として今のパアンの街並みを見て、少し複雑な心境になりました。
ミャンマー国境支援事務所について
私がお世話になっているMBP事務所は2019年に開設されたシャンティの中で一番新しい事務所です。主な事業は、タイ側の難民キャンプからミャンマーへの帰還民の方々への支援です。
「帰還」と言ってもキャンプで生まれ育ちミャンマーを故郷として捉えてない人、民族同士の抗争から逃れて来た経験からミャンマーには戻りたく無い人など、さまざまな理由で帰還に意欲的でない人がいることを聞きました。そして、帰還先で安定した生活が送れるのか、帰還後の生活に不安を抱き帰還に踏み切れない人もいるようです。国と国の間で板挟みになって居る難民キャンプの人々また帰還した人々の心の拠りどころとなる場所としてコミュニティリソースセンター (CRC) 事業が始まりました。バックグラウンド関係無くみんなが集える場所、情報が集まり交換できる場所になればという願いを込めて進められたプロジェクトです。国際協力に興味を持ったきっかけが中学生の時に海外生活で見た難民の子供達でした。原点に戻って自分ができる国際協力を模索する為にこの事務所での研修を希望しました。
ミャンマー国境での2週間で学んだこと
そんなMBP事務所で研修を初めて2週間経ちましたが、NGOについて学ぶ毎日です。研修を通して気づいた3点について書こうと思います。
1つ目は、現地スタッフとの関係性、そしてコミュニケーションの重要性です。自分たちが伝えたい事を現地の人々に伝達するのにまず、最低三つの言語を経由する必要があります。日本語で考え、英語で現地スタッフの方々に伝え、それらをカレン語またはミャンマー語に通訳してもらいます。CRC事業など個々に主な業務がある中、追加で通訳の役割を果たしてくれる現地、日本人職員がいるからこそ円滑に業務が進みます。日本人職員と現地の住民との架け橋になってくれる現地スタッフはNGOが海外で活動する上で重要な存在なのだと感じました。また、複数の言語を使って活動する際、時間もかかり通訳する際に多少の伝達ミスやニュアンスの違いから双方の理解の行違いが生じることもあります。そんな中で重要なのが、お互い理解し合うまでコミュニケーションを取る事なのだと再確認しました。
2つ目は、シャンティの活動では持続性を念頭に置いて活動しているという事です。支援者様からの支援で成り立っているシャンティの活動は、この先の将来ずっと続けられるものではありません。シャンティが退いた後でも、CRC事業が村の人々だけによっても運営していけるように、村の人々と共に研修やミーティングを定期的に行なっています。日本の団体だからと言って日本人本位でない、現地の人々に寄り添った活動が印象的で、だからこそ今CRCがある二つの村のようにシャンティの活動が受け入れられているのではないかと感じました。MBPで研修させて頂く中で、持続性に焦点をおいて活動を進めていると感じる場面が多々ありました。
3つ目は、ミャンマーのような様々な独自の文化を持つ民族からなる国で海外のNGOが活動する大変さです。プロジェクトを進めるためにはミャンマー政府や少数民族グループときちんと話し合い、許可が必要です。その許可を得るための書類準備などプロジェクトの一つを進めるだけでも時間がかかる為、プロジェクト全体の完成には時間を要します。忍耐強さもNGOで働く上で必要な能力だと思いました。
最後に
研修に参加してみて、日本国内からでは見えなかったNGOの姿そして現地の現状を学ぶ事ができました。シャンティの事業が誰かの役に立っている場面を自分の目で見る事ができて嬉しかった反面、帰還してからの将来の不安を抱えながら生活する人々の事を思うと自分の無力さを感じました。
残りあと2週間ですが、限られた時間の中で精一杯学び、この貴重な経験を糧に今後どう自分が国際社会の中で役に立てるのか考え抜こうと思います。
事務所が開設して1年も経たない忙しい中、研修生として受け入れてくださり業務以外の生活面でも温かくサポートして下さったMBPのスタッフの皆様、そして東京事務所の皆様に感謝申し上げます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
上野七海