2024.06.14
お寺の取り組み

カンボジアスタディツアー体験記②

スタディツアー
参加者の声


宿泊させてもらったワットアンダエク寺の住職様と記念撮影

昨年12月18日から4泊6日で、カンボジアでスタディツアーを開催しました。7名の僧侶の方にご参加いただき、カンボジアの僧侶が社会とどう関わっているのか、社会平和の実現に向けてどのような活動を行っているのか、寺院での交流や宿泊を通して、仏教の役割について共に考えてきました。参加された方の中から3名にツアーで感じたことや学びを紹介していただいています。2人目は千葉県袖ケ浦市 曹洞宗真光寺副住職の國生徹雄さんです。

プロフィール

國生 徹雄
千葉県袖ケ浦市 真光寺副住職
福島県石川郡古殿町出身。駒澤大学卒業後、大本山總持寺に安居(修行)。送行後(修行を終えて)数年、師寮寺(師匠のお寺)補佐をした後、曹洞宗総合研究センター教化研修部門研修部に入所。3年間布教・教化を学び、退所後は千葉県袖ケ浦市の真光寺で副住職を務めている。

「カンボジアでの学び」

昨年12月、私はシャンティのカンボジアスタディツアーに参加しました。シャンティのスタディツアーは6年前にも参加し、当時はネパールを訪れ稀有な経験や学びを得た思い出があります。そして今回はカンボジアの歴史やシャンティの活動について学ぶことのみならず、現地僧侶との交流がありました。ツアーの行程で訪れた場所、見聞したことすべてが貴重でしたが、特に印象深かったことについてご紹介します。

ワットアンダエク寺での説法
ツアー2日目の最後に訪れたワットアンダエク寺。この寺院は通称「亀のお寺」と言われています。「アンダエク」とは「亀」を意味します。本堂がある小高い丘が亀の甲羅に似ていることからこのように呼ばれているそうです。ワットアンダエク寺滞在中、瞑想やお説法、朝のお勤めに参加させていただきました。その中でも特に印象的だったのが、副住職のお説法でした。その内容は
「私たちの身体は、地・水・火・風によって成り立っている。だから男であるとか女であるとか、または人間であるとか動物であるとかは関係ない。そういうことがしっかり理解できれば、他人に対して怒ったりせずに穏やかに接することができるのである」
というものでした。
このお話を聴いた時、私の頭に「無分別智(むふんべっち)」という禅の言葉が浮かんだのです。禅が説く無分別智とは、物事を区別せず相対的に考えない思考のことをいいます。
お話を聴く前は、私が知らないカンボジアの仏教の話をしていただけるのだろうと思っていましたが、禅に通じるお話で、仏教の本質は共通であるということを改めて認識させられました。


ワットアンダエク寺副住職様の説法の様子

ポークノン寺での現地僧侶との交流
ツアー3日目の最後に訪れたポークノン寺。この寺院では現地僧侶と交流することができました。現地僧侶と私たち日本人僧侶、それぞれの代表者が、自分たちの活動についてプレゼンテーションをした後、2つのグループに分かれてディスカッションをし、お互いに質問をぶつけました。現地僧侶からは日本人僧侶の生活について「日本のお坊さんは結婚してもよいと聞いたことがあるけど、本当ですか?」という質問があり「本当です。結婚しています」と答えると、とても驚いている様子でした。出家者と在家者の生活に明確な違いがあるカンボジアにおいて、私たち日本人僧侶の生活は不思議に感じたのでしょう。
続いて、今度は私が現地僧侶に「僧侶になろうと思ったきっかけは何ですか?」とたずねました。「私は子どものころから勉強が好きで、勉強を教える人になりたいと思っていました。カンボジアにおける僧侶は、宗教的な指導者であると同時に、教育者としての重要な役割も果たしています。そのような憧れから勉強を教える僧侶となり、今は大学で仏教や英語を教えています」と答えてくれました。私よりも若い青年僧侶でしたが、バイタリティーの強さ、志の高さに感嘆させられました。


ポークノン寺での交流の様子

最後に
今回のシャンティのツアーを通して、日本とは異なる文化、生活でも、その中で信仰、実践する仏教は普遍的であること。また、世界には厳しい戒律を守りながら修行し、僧侶としての活動に誠心誠意取り組んでいる人がいるということを肌で感じることができました。このツアーに参加して得た多くの学びを今後の活動に活かしていきたいと思います。ありがとうございました。


ポークノン寺で記念撮影

このスタディツアーの行程や募集内容などは、こちらからご確認いただけます。
今後もスタディツアーの開催を予定してまいりますので、ご関心のある方は奮ってお問い合わせいただけますと幸いです。

広報・リレーションズ課 日比洸紹
メール:hibi@sva.or.jp