【対談講演】「〈大衆教化の接点〉を考える」その②
昨年11月29日、大本山總持寺で実施された「全国曹洞宗青年会創立50周年記念事業」の対談講演「〈大衆教化の接点〉を考える」の内容をお伝えしています。
今回は、第一部のシャンティ専門アドバイザー・大菅俊幸氏の講演「有馬実成師と大衆教化」の続きです。
第一部・講演「有馬実成師と大衆教化」大菅俊幸氏
二.全曹青知らずして有馬は理解できない
ここから、私の考える有馬像をお話ししたいのですが、その前に、全国曹洞宗青年会(以下、全曹青)時代の有馬さんを理解することがいかに重要なのか。そのことを思い知らされたエピソードがあるので、まず、そのことをお話します。
実は、旧版の『泥の菩薩』(有馬師の評伝)執筆の準備をしているころ、ある人から「有馬さんは杉山二郎先生ととても懇意にしていたので、杉山先生にお話を聞いた方がいいですよ」と助言をいただいて、会いに行ったことがあるのです。
杉山二郎先生(1928-2011)という方は、美術史学の大家です。東京国立博物館などに勤務され、私がお会いしたころは、東京神谷町にある仏教学大学院大学に奉職しておられました。お約束をして大学にお訪ねしたのですが、なんと第一声がこうでした。「本当は会うつもりはなかったんだけど、この際、一言きちんと言っておくのもいいかと思って会うことにしたんだよ」。いやはや、初めて会う人にこのように言うのかと思ってびっくりでした。しかし、さらに驚く発言が続きました。「有馬君亡き後、私は、あなた方(シャンティ)が開いた“有馬実成師を偲ぶ会”に出席したよ。だが、驚いたのは、そのとき、全曹青の名前が一言も出てこなかったし、全曹青の人も一人もいなかった。何を考えているのか、と本当に腹が立ってしょうがなかった。だから途中で帰って来たんだ」そして、こうおっしゃったのです。
「全曹青時代の有馬実成を知らずして、有馬実成は理解できないんだ」――。こう言われた私は、ムカっとくる余裕もなく、ただ唖然とするばかりでした。これほどまでに全曹青や有馬実成に思い入れをしている人がいるのかと思って本当に驚きだったのです。心底、感動しました。
それからは「いまに見ていろ」という思いで、曹洞宗宗務庁に行って「曹青通信」のバックナンバーをお借りして、読み込む日々が続きました。ゆかりの人たちにもお話をうかがいました。そして、ほぼ一年後、やっとの思いで『泥の菩薩』にまとめあげて発刊することができたのです。そのことを通して、杉山先生の心境がしだいに理解できるようになっていました。
会場の様子
そして、発刊後、再び仏教学大学院大学を訪ね、杉山先生に直接、拙著を謹呈しました。すると、早速開いて、しばらく眼を通しておられました。そして、開口一番「あなたは有馬実成の本質を理解したようだね」。いやあ、本当に嬉しかったです。そして、こうもおっしゃいました。「有馬君がね、ボランティア団体をやりたいと相談に来たことがあるんだよ。でも、私はやめたほうがいいよ。そんなの始めると文化なんてものはどっかにいってしまうよ。そう言ったんだよ。それでも彼は、石にかじりついてでもやりますって言ったんだ。でも、彼は最後までやり通したからね。その時から、彼と僕は別の道を歩くのかなと思ってね」。一抹の寂しさを漂わせておられました。おそらく杉山先生としては有馬さんと一緒に文化を中心にした運動を全曹青の中で展開したいと本気で思っていたのだろうと思いました。これが、私が全曹青をとても大切に思うようになったときのことです。
三.三つの有馬像――(1)「弱もんの味方」
「有馬先生は弱もんの味方じゃった」
では、有馬さんがどういう方だったのか。三つのキーワードでお話したいと思います。「弱もんの味方」「文化力の担い手」「とび職」、この三つです。
まず、「弱もんの味方」。これについては、1995年、阪神・淡路大震災のときのことを通してお話します。当時、私たちシャンティは神戸で救援活動に取り組んだのですが、地元のボランティアが、なかなか入ろうとしない地域がありました。そこが同和地区だったからなんですね。それを知って私たちも二の足を踏みました。そのようなところに、知識も経験もない私たちが行って何ができるだろうか、と不安があったのです。そんなとき「我々がやらなくてどうするんだ」。こう言って私たちの背中を押したのが有馬さんでした。以後、その地域での活動を始めることになったのです。
金音田さんと有馬師(1996年、神戸)
そこに住んでいる人たちが、字の読み書きに不自由であることがわかり、ほどなく識字教室を始めることにしました。そして、そこによく通って来られる一人に、金音田さんというご高齢のご婦人がいました。金さんの半生、それは厳しいものでした。朝鮮半島から日本に渡って来て、間もなく夫を亡くされ、女手一つで子育て。字の読み書きができずにどれほど悔しい思いをしたか。それを知って有馬さんはとても心を痛め、親身になって関わりました。そして、各地の報告会に、金さんを連れて歩き、体験談を語っていただいたのです。その後、有馬さんの訃報を知らせたとき「ああ、わしのほうが先に逝かなきゃいけんのに。有馬先生は弱もんの味方じゃった」と、金さんは泣き崩れてしまいました。「弱もんの味方」とは、金さんのみならず、有馬実成という人に抱いた多くの人の印象だと思います。
弱もんの味方は、筋金入り――叡尊との出会い
さて、ここからさらに深掘りしていきます。有馬さんは、ただの弱もんの味方ではありませんでした。筋金入りの弱もんの味方だったんです。その筋金とは何か。それは叡尊という人の考えと行動です。これも全曹青のときに蒔かれた種です。杉山二郎先生から教えていただいたようです。
叡尊(1201-1290)とは、鎌倉西大寺の中興の祖で、興法利生を標榜して、戒律復興に力を入れ、同時にハンセン病者や弱い立場の人々の救済、そして橋や港を造ったり、寺社を創建したり、様々な社会救済事業を行った人です。叡尊を知ったときから、有馬さんに強力な筋金が入ったということです。その後、有馬さんが、講演を頼まれてお話しするたびに、あるいは原稿を書くたびに、しばしば取りあげたのが次の一節です。叡尊は門弟たちに説きました。
叡尊(出典:アートアジェンダhttpswww.artagenda.jpexhibitiondetail1065)
「『文殊師利般涅槃経』にこう書いてある。生きた文殊菩薩に出会おうとするならば、慈悲心を起こせ。なぜなら、文殊菩薩が生きた姿でこの地上に現れる時は貧窮孤独の人々の姿となって現れるからである。貧窮孤独の人たちに出会って、無関心であったり、忌避したりして慈悲心を持たない人は、文殊菩薩に出会いながらついに出会えない――。さて今、般若野には大勢の貧窮孤独の人々がいる。その人たちこそ我々に慈悲心を起こさせるために、地上に現れた文殊菩薩なのだ。生身の文殊様に食を施し、入浴していただき、背中の垢を流して差し上げようではないか」。
このように門弟たちに語って、集まった人々に施食をし、背中を流してあげたそうです。有馬さんはそこに感銘を受け、それが筋金になっていったと思います。貧窮孤独の人たちは哀れむべき存在なのではない。生きた文殊様なんだ。貧窮孤独の人こそ、その試練から智慧という宝もの=文殊様を取り出そうとしている人なんだ。その人たちこそ、人を生かす力を持っている。尊敬の心を持って関わらせていただくとき、こちらもその力に預かることができる――。そういう思想がここに脈打っていると思います。そこに有馬さんはとても共鳴したのだと思います。
難民キャンプで文殊様を発見
その後、1980年、有馬さんが曹洞宗東南アジア難民救済会議(JSRC)の一員として、カンボジア難民キャンプを訪ねたときのこと。日本からお坊さんがやってきたことを知って、難民たちがやってきました。そして「何もしてくれなくたっていいんです。あなた方が来てくれただけでどれほど嬉しいことか」。そう言ってお鉢に入ったミルクを差し出したそうです。そのことに、有馬さんを含めた一行は、強烈な衝撃を受けました。警策を受けたようだったといいます。つまり、こちらが助けるつもりで行ったのに、こちらが布施をいただいてしまった。難民たちは、自分たちが食べるものもままならないのに布施をしてくれた。はたしてそれに値する私たちだろうか。そう思ったわけです。そのときです。有馬さんは「叡尊が言わんとしていたのはこういうことだ」と思い当たったんですね。その後、難民キャンプから戻って、宗侶の皆さんに『曹洞宗報』で難民支援を呼びかけたときも、叡尊のこの一節を引用しているのです。有馬さんの筋金がさらに強固になっていったのだと思います。
つまり、相手が可哀想だから何かをしてやるのではない。苦しんでいるその相手から、われわれ自身もいただける恩恵がある。ボランティア、支援活動というのはそういうものだ。与える側も与えられる側になり、与えられる側も与える側になる。まさに、施者、施物、受者が対等に支えあい、生かしあう「三輪空寂の布施」である。仏教ボランティアとは「三輪空寂の布施」である、と大きな発見の時だったと思います。
筋金入りの「弱もんの味方」――その現代的意義
このことの現代的意義についてさらに考えてみたいと思います。
私たちが生きている現代社会はどんな社会でしょうか。すべてがお金や市場価値に換算され、自己責任が問われている社会とは言えないでしょうか。人間は物や商品のように見られていると言ってもいいかもしれません。生産性のない人間は、生きる価値がないという風潮も少なからずあります。でも、そういうときだからこそ、こういう人間観が必要なのではないでしょうか。つまり、どんな困難な環境にあろうと、弱い立場にあろうと、人間には、人知では計り知れない尊厳がある。可能性がある――。だから、可哀そうだから関わるのではなく、その可能性を引き出すお手伝いをさせていただき、私たちもその恩恵に預からせていただく。
それが、『文殊経』の発しているメッセージであり、叡尊がそれをしっかりキャッチし、さらに有馬さんが現代に甦らせたということではないでしょうか。遠い道のりかもしれませんが、私たちもその道を歩んでいきたいものです。(つづく)
広報・リレーションズ課 日比