2024.09.13
お寺の取り組み

【対談講演】「〈大衆教化の接点〉を考える」その⑤

協働事例
講演会報告

昨年11月29日、大本山總持寺で実施された「全国曹洞宗青年会創立50周年記念事業」対談講演「〈大衆教化の接点〉を考える」の内容をお伝えしています。
今回は、第三部、東京大学名誉教授・島薗進氏とシャンティ専門アドバイザー・大菅俊幸氏による対談「大衆教化の接点を考える」です。対談講演の最終回です。

第三部・対談「大衆教化の接点を考える」島薗進氏×大菅俊幸氏

若い世代は仏教者との連繋を求めている

大菅俊幸氏(以下、大菅氏) それでは、第一部、第二部の話を踏まえて「大衆教化の接点を考える」、言わば「これからの時代に向けて、全国曹洞宗青年会(以下、全曹青)の皆様に期待するもの」ということで、島薗先生と私から、一言ずつ話をしたいと思います。まず、島薗先生、いかがでしょうか。

島薗進氏(以下、島薗氏) 明治時代の時代精神がある種、青年的だったと、それから戦後も青年的だったというようなことを申しましたが、今もある種の変革の中で新しいビジョンを持って、方向づけを求めている時代かもしれないと思います。これは若い人たちが変革の担い手となるということでもあります。東日本大震災の時の全日本仏教青年会、あるいは全曹青の方たちの活動に加わらせていただいて、そういうことを感じた次第です。それで頼もしく思いました。

大菅氏 ありがとうございます。そのことに関連すると思うのですが、この(2023年)11月11日と18日にNGO関連のイベントに登壇して話す機会がありました。


大菅氏

まずは、11月11日に東京の両国で、さまざまなNGO関係者が一堂に会する、HAPIC(HAPPINESS IDEA CONFERENCE)という大きなイベントが開催され、その分科会の一つ「支援の現場で宗教に何ができるか」に登壇しました。シャンティには、災害支援に関する話をお願いしたいという要望があったので、東日本大震災の被災地支援に仏教者がどのように関わったのか、私が知る限りの話しをしました。

この震災の後、全国から多くの僧侶の皆さんが現地に駆けつけて、片付け、炊き出し、追悼法要、慰霊行脚などさまざまな活動に精力的に取り組んでくださり、私たちシャンティは、移動図書館活動など、多岐にわたって曹洞宗の僧侶の皆さんと連携して活動しました。特にこの震災では、突然家族や大切な人を失う、という不条理な死に対してどう向き合えばいいのかという、グリーフワーク(悲嘆を自ら癒す作業)やグリーフケア(悲嘆者を癒すケア)のあり方が問われました。その場面では、宗教心があるかどうかが大切な要素になりますし、宗教者の参加や新たなチームワークも求められました。「臨床宗教師」という新たな宗教者のカタチが誕生したことも画期的なことでした。それから、多くのお寺が避難所として建物や境内を開放したことも、これまで以上に心強いことでした。そのようなことを、話したのです。

その後、質疑応答が行われ、若い人の反応がすごく良かったのが、とてもうれしい驚きでした。参加していた高校三年生からは「地方でのお寺との関わりは分かりましたが、都市部においてはどうなんでしょうか?」と、熱心な質問がありました。終了後には、参加していたNPO関係者が何人か私のところに来られて「お坊さんやお寺がそういう活動をしていることは、今まで知りませんでした。非常にありがたい視点でした」と、それぞれが語っていました。

特に、その中の一人から「実は来週、こういうイベントがあるのですが、お話しいただけませんか」とお声をいただき、急遽、11月18日、そのイベントに伺うことになったのです。特に、災害支援における子ども支援のあり方について、意見発表をさせていただきました。そこに集まっていた皆さんは、NPOを運営している人、NPOを支援している企業や団体の人で、圧倒的に若い人が多く、とても頼もしく思いました。その場でも、やはり、僧侶がそういう活動をしているということを初めて知ったという方ばかりでした。これほど知られていないものなのかと、大変驚きでした。やる気のある若い人たちにとって、とても新鮮だったようです。

来年、全曹青の皆さんは、各地で災害復興支援研修会を行う予定だと思いますが、いくつかのNPO団体は、ぜひ宗教者の皆さんと連携したいと言っています。どのように地域のNPOや若い人と連携できるか。新たな取り組みを模索するチャンスなのではないでしょうか。私たちシャンティも来年の全曹青の皆さまの動きに、ぜひご協力できればありがたいと思っています。

島薗氏 阪神・淡路大震災の時に、心のケアという言葉がよく用いられるようになりました。では、心のケアは誰がするのかというと、精神科医だったり、臨床心理士だったりしました。宗教界の人は目立たなかったですね。「そんなことを宗教者はしなくていいんだと、ボランティア活動などとは違うところに宗教者の役割がある」という声も聞かれました。


島薗氏

東日本大震災の時の全曹青の会長は、福島県伊達市成林寺の久間泰弘さんで、成林寺さんが全日本仏教青年会の災害支援活動の拠点にもなりました。久間さんからいろいろなお話を伺いましたが、青年会が災害支援に取り組んだ当初は「素人ができるような支援活動はやらなくていい」といった声が先輩僧侶から聞かれたとのことでした。しかし、だんだん変わってきたと伺いました。そのきっかけは、總持寺祖院が大きな被害を受けた2007年の能登半島地震が大きかったようです。つまり、總持寺祖院の支援のために現地に行ってみたら、何をしなくてはならないかが見えてきたのではないか、そう私は受け止めました。

大衆と共に、時代の苦悩と共に

大菅氏 今、お話してきたことは、どちらかと言えば明るい兆し、光の面だと思うのですが、もう一つ、影の面についてのお話をさせていただこうと思います。

先日、10月24日の朝日新聞に、こういう記事が出ていまして大変ショックを受けました。「ミャンマー、禁忌破り僧侶へ批判」という記事です。2021年、ミャンマーでクーデターが起きて以来、国軍が抑圧的な支配を続けているわけですが、国軍が市民を殺害しても、空爆しても、多くの僧侶は黙ったままだ、家を追われた市民を助けた僧侶はどれほどいただろうかと、僧侶に対する不満や反発が国内で起きているというのです。これまで口にしたこともなかった僧侶への批判を平気でするようになってきたようです。これまでのミャンマーの人々と仏教のつながりは、日本人が想像するよりずっと濃密で、僧侶は尊敬の対象であり、批判することなどタブーであり、まったく考えられないことです。それに対し、僧侶がどう対応しているかと言えば「私たちは、仏教の教えに集中している。政治的な問題についての質問は、僧侶としては何も答えられない」と言ったそうです。その一方で、国軍最高司令官のロシア外遊に同行した僧侶もいたということで、大変なひんしゅくを買っているようです。

この記事の最後で、ミャンマー仏教に詳しい東京大学の藏本龍介准教授は次のように指摘しています。「僧侶には現状を打開する力がないと市民が感じ始め、さらに国軍と近い立場の僧侶がいることが明らかになった。社会の中心にあった仏教や僧侶に対する大きな失望が広がっており、これはミャンマー史上初めてのことだ」――。社会の問題は仏教者には関係ない、というミャンマーの仏教者の姿勢こそが、ミャンマー仏教存続の危機を引き起こしているのだと思います。これを他人事にしてはならないと思います。日本仏教は絶対にこうはならないと、果たしてはっきりと言い切れるでしょうか――。だからこそ、今、私たちは「大衆教化の接点を求めて」に魂を込めなければなりません。

有馬さんは、かつてこう言っていたことがあります。「若いころ、大衆教化の接点って言っていたけれども、大衆教化という言い方自体が、やっぱり上から目線なんだよ。大衆と共に、時代の苦悩と共に、そういうことだと思う」。しみじみ、そう語っていました。最近の表現で言えば、社会倫理を大切にする仏教でなければならない、ということになるでしょうか。大衆と共に、時代の苦悩と共に、それが「大衆教化の接点を求めて」に込めた、全曹青の先輩方のお気持ちなのではないかと思います。そして、今まさに僧侶に求められていることでもあると思うのですが、いかがでしょうか。


対談の様子

島薗氏 梅花流の歌詞をたくさん作った曹洞宗僧侶で詩人の赤松月船さん(1837‐1997)は、若いころは童話をつくったり、それから町長も務めていますね。昔は、一僧侶でありながらも、いろいろな地域の活動に取り組む、学校の先生として勤める、もっと前には、寺子屋ももちろん開けていたし、地域社会の指導者という側面もあったわけですね。これが近代化で、だんだんとほかの専門家に任せるようになってきました。その中で新しい役割を求め、つくってきているとも言えると思います。そして、期待が大きいと思います。

たとえば、「むすびえ」というこども食堂の支援組織の代表をしている湯浅誠さんという人がいます。その前は路上生活者の支援をしていましたが、湯浅さんは宗教界に大いに期待しています。いろいろな意味で社会の苦しいところに仏教界が力になれる。幼稚園をこれだけやってきた実績もある。そういう仏教の底力をこれからもぜひ発揮していただきたいなと思っております。

大菅氏 ありがとうございます。ぜひ、一緒に盛り立ててまいりたいと思います。では、私たちの対談講演をこれで結ばせていただきます。本日は誠にありがとうございました。(了)

広報・リレーションズ課 日比