2016.09.16
海外での活動

スタッフにインタビュー!-伝統文化事業の終了に向けて-

カンボジア
活動風景

みなさま、スオスダイ!

カンボジア・プノンペン事務所インターンの上村です。

先日、「伝統文化事業」における終了時評価を、プノンペン及びコンポンチャム州にある6つの支援対象寺院で行いました。

2014年に開始した本事業は、仏教学校における図書館推進を主軸とし、将来的なカンボジアにおける仏教初等・中等学校の教育レベルの向上を目的としたものです。

早いもので、3年間の本プロジェクトも、残り3ヵ月をもって終わりを迎えます。

そこで今回は、伝統文化事業を担当しているプノンペン事務所のビラックに、インタビューを行いました。

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Q1.伝統文化事業がもうすぐ終了しますが、振り返ってみていかがでしたか?

A.2014年から2016年の3年間、仏教学校の教育と図書館を支援するこの事業の担当として働けたことは自分にとってとても意義深いものでした。仏教学校の生徒を支援するというのは、私たちにとっても初めての試みなので、試行錯誤の連続でした。

Q2.活動の中で大変だったことはありますか?

A.図書館運営を円滑に行っていくために組織したワーキンググループの方々は多忙のため、ワークショップやミーティングなどの日程調整に苦労しました。
また、今後仏教学校図書館に対する他NGOなどの支援がさらに拡大していけば良いなと思います。

Q3.SVAに入職する前のビラックさんの経歴を教えてください。

A.1996年に、私の故郷であるコンポンチュナン州で僧侶として、仏教学校生徒としての寮生活が始まりました。その後、1997‐1998年(1年~2年生)の2年間はコンポンスプー州で学びました。3年生になるとカンダール州に移り、その年の最後に、中等学校へ進学するための試験を受けプノンペンに移り、2007年まで中等~高等仏教学校生徒として学んでいました。

その後無償進学の試験に合格し、プレア・シハヌーク・レアジャ仏教大学で、クメール文学を4年間学びました。同時期、奨学金でプノンペンの仏教大学にも通い、英語を専攻とし学びました。

私が仏教学校の生徒として学んでいた当時は図書館もスマートフォンもありませんでしたので、調べ物をするための本を買うお金を必死に貯めていました。今でも、当時使用していた80タイトル、500冊以上に及ぶ本は大切に保管してあります。

そして大学が修了した2012年11月、私は仏教学校の生徒ではなくなると同時に、還俗(げんぞく)しました。
僧侶を辞めた理由は、家族を養っていくためのお金を稼ぎたかったことと、新しい分野へ挑戦してみたかったからです。

Q4.最後に、皆様に向けて一言お願いします。

A.事業終了にあたり、ご支援くださったすべての方々に、心より感謝致します。
カンボジアを支援して下さることは、同じカンボジア人の私にとって大変幸せに思います。

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本人が元仏教学校生徒だった事もあり、本事業にとても熱心に取り組んでいるビラック。

そんなビラックとともに月に1度のペースで対象寺院へ中間評価(モニタリング)にいき、図書館運営の課題点を聞きだし、解決策を話し合っています。

試行錯誤しつつ、仏教学校校長や高僧からの呼びかけ、図書館員の精力的な活動により、オープン当初と比較し図書館利用者数はどんどん増加しています。

例えば6つの対象校のひとつであるコントロナン寺院の図書館をみると、2015年8月の図書館オープン時は一ヵ月にわずか36人でしたが、一年後の2016年8月には1516人が図書館を利用するまでになりました。

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コントロナン寺院図書館員のムーン・ソクマンさんと本を借りる子ども

そのうち、仏教学校の生徒が961人、そして面白いのが教員の利用者数が計88人と、他の寺院と比べ突出しています。

理由を聞くと、本を読みに来ると同時に、図書館員に会いに来ているという声が多かったです。
彼と会うと落ち着くからだそうです。学校内では癒し系の僧侶らしいです。

とても優しく気さくで、常に微笑みを絶やさないソクマンさん。ソクマンさんの人柄もあっての図書館運営なのだなあ~と、毎回モニタリングに行き彼と接する度に尊敬しています。

「カンボジアにおける仏教初等・中等学校の教育レベル向上」という目標を達成するため、今後の仏教学校の発展の一助となるべく残り少ない事業期間を大切に活動していきたいと思います。

上村