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2023.12.15
開催報告

【開催報告】アフガニスタン『奪われる女性の権利と子どもの未来~NGOの苦悩と模索の20年~』 講演会

アフガニスタン
イベントレポート

12月10日(日)シャンティは設立42周年を迎えました。
また、今年はシャンティがアフガニスタンでの活動を開始してから20年を迎えました。

アフガニスタン事務所は節目を迎える一方で、2021年8月の政変以降、女性がおかれる立場は厳しさを増しています。シャンティのアフガニスタンでの活動を振り返りながら、現在女性たちが置かれる立場を考えるため、対面とオンラインのハイブリッドでイベントを開催いたしました。

ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。

本イベントは二部構成で、第一部では、「アフガニスタンでの20年~これまでの変化とNGOの役割~」をテーマに、当会事務局長でありアフガニスタン事務所所長である山本よりお話しました。
第二部では、シャンティ専門アドバイザーの藤谷 健氏をファシリテーターに、清末 愛砂氏、安井 浩美氏、山本の3名によるパネルディスカッションを通して、アフガニスタンの女性が置かれる現状を考える機会となりました(講演者の略歴等はこちらよりご覧ください)。

第一部 講演会「アフガニスタンでの20年~これまでの変化とNGOの役割~」

第一部登壇者
山本 英里(シャンティ国際ボランティア会 事務局長 兼 アフガニスタン事務所 所長)
山本

●山本とアフガニスタンの出会い

私がアフガニスタンに関わり始めて20年が経ちますが、最初にアフガニスタンに降り立った時のことは鮮明に覚えいています。ジャララバードに降り立つと、別の時代にタイムスリップしたのかと思う光景が広がっていました。建物は破壊され、道路は爆撃で穴だらけ、物乞いをする子どもたちや大人たち、座り込む老人。日常的に爆撃の音が鳴り響き、ここは戦地だと不安を覚えました。
ですが、アフガニスタンの人はユーモアにあふれ、人との絆を大切にする国民性、私が今まで見てきた世界観とは全く違うものを感じました。
私はアフガニスタンでの図書館開設に携わり、つたない現地語で子どもたちとコミュニケーションをとってきました。ある日、近くで爆撃音が聞こえた瞬間、子どもたちがわっと寄ってきて、一番小さな子が私の手をきゅっと握りました。子どもたちが安心して暮らせる場所を作ることが、大人の使命であると強く感じました。そこから、今日までアフガニスタンに関わっています。

●シャンティの活動

シャンティは2001年の同時多発テロ、そして直後の米軍空爆への緊急人道支援を開始すべきではないかと調査を行いました。イスラム圏での活動は初めてということもあり、アフガニスタンで活動するかどうかは役員の中でも大激論になったと聞いています。ですが、シャンティの理念に基づいて、事業が始まりました。
2003年にジャララバードに事務所を開設し、緊急人道支援として、子どもたちへの支援を開始しました。

子どもたちが学びの場に戻るため学校建設を、また、教育の質を改善するために図書館活動や絵本出版を行ってきました。公共施設がない地域でも学校校舎ができると、その隣に市場ができたり、診療所ができたり、学校を中心にコミュニティが発展していきました。
学校建設

アフガニスタンでの図書館活動へは実施にあたって葛藤もありましたが、復興直後の図書館活動は非常に有効であると実感しました。アフガニスタンでの図書館活動は難しい面もあり、外国文化は自分達の伝統文化を脅かす存在だと懸念する声も聞かれました。絵本の役割を説明するのに苦戦したことを覚えています。当時、アフガニスタンでは教員は子どもたちの前では一切笑わず、鞭をもって指導する、というスタイルでした。子どものために絵本を読んであげたり、子どもを中心に考えることを実践して伝えることで、図書館活動が有効であると理解してもらいました。1校、2校からはじまり、教員たちが図書館活動の有効性を理解してくれると、教員から全国の学校に図書館活動を、という要望書を国に自発的にあげてくれ、国の政策にも盛り込まれる成果もありました。
図書館活動

●政変後の状況

こうした成果も見られる一方、情勢は悪化していきました。政権奪取前、国土の半数が武力紛争によりアクセスが困難になりました。また、汚職、生活格差など政府への不信感が募っていました。政変から2年が経ちますが、今の状況を明確に表すことは難しい状況です。しかし、人道危機は非常に深刻化しています。このままいけば、史上最悪の人道危機に陥ると言われています。教育面においては、政変後すぐ小学校は再開されましたが、中学校以上の女子生徒の教育は政変後2年間近く止められました。女性教員が働けなくなったり41%の女性教員が国内外避難しました。

●シャンティができること

日々模索しながら出来ることをする日々が約2年間続いています。シャンティが事業開始時から行っている子ども図書館は、政変後は3万人以上の子どもたちが利用しています。その80%が女の子です。学校に行けていない子どもたちがシャンティの子ども図書館に来ています。
これと並行して行っているのが、人道危機へ対応するため食糧支援などの緊急人道支援です。

●アフガニスタンからのメッセージ

<登壇者>
アフマド職員:アフガニスタン事務所コーディネーター
パリ職員:アフガニスタン事務所子ども図書館担当
ファティマさん:子ども図書館卒業生、小学校教員
ワヒドさん:アフガニスタン事務所アドバイザー
アフガニスタンからのメッセージ
Q:アフガニスタンの状況をどのように振り返りますか?
アフマド職員:1979年以前のアフガニスタンは近代的で発展していました。大学などの教育機関も発展しており男女問わず学べる環境があり、女性がミニスカートを着用する等ファッションも楽しんでいました。海外への渡航も自由にすることができました。近代化と伝統が交わりながら発展を遂げていました。1979年に旧ソ連がアフガニスタンに侵攻した時、戦争を経験しました。初めて難民として隣国で生活しました。その当時の苦労はあまり思い出したくありません。
アフマド職員
1996年旧タリバンによる統治が開始されたのが次に困難な時期でした。旧タリバンは政権奪取後、イスラム法を基本とした厳格な統治を発表しました。国連や国際NGOに対して女性が働くことを禁止し、国際機関で勤務するアフガニスタン人職員は全て外国からのスパイであるとみなして圧力をかけてきました。1998年にカンダハル県にある最高司令官の施設前で爆撃が発生した際には、当時国連職員だった私は旧タリバン政府に拘束され1週間ほど投獄されました。当時の恐怖は一生忘れられません。2001年に旧タリバン政権が崩壊し、教育、保健、女性の人権など様々な分野で改善されました。人口の22%がインターネットにアクセスでき、社会が大きく変わった20年間でした。

Q:アフガニスタン人の女性としての経験からどのように20年間を振り返りますか?
パリ職員
パリ職員:1990年ムジャヒディンによる統治だった頃、高校を卒業しました。高校卒業後、多くの女性と同様、高等機関で学習を続けることができず、早くに結婚しました。旧タリバン政権下では23歳になるころ、5歳と1歳のこどもを抱えて、隣国パキスタンへ難民として避難することを決めました。パキスタンで難民だった夫の収入は1日50ルピー(約26円)程度でした。50ルピーは1日の1人の1食を賄える程度だったため、私も働くことにしました。近所で縫製の仕事を見つけ、1日50ルピーを得ることができました。この収入では日々を過ごすことで精一杯のため、娘の教育が一番心配でした。当時娘は8歳でしたが、経済的に厳しく学校に通わせてあげることができませんでした。2001年にアフガニスタンに戻り、国際機関等での仕事を見つけ、ようやく娘を公立学校へ通わせることができました。国際機関では私に縫製の技術を身に付ける研修にも参加させてくれました。今の状況と過去のタリバンを比較することは困難ですが、過去のタリバンは特に厳しかったと思います。今は医者など一部の専門職において、女性の就労が認められています。ただ、女性の高等教育は認められていないため、大きな不安になっています。今、私は貧困に苦しむ子どもたちや学校に通えない子どもたち、心的外傷を抱える子どもたちと図書館で向き合っています。私が勤務し続けることにリスクはありますが、子どもたちに未来への希望を持ち続けてもらうために、学びや楽しむ機会を提供したいと思っています。これまでを振り返っても私たちができることは決して諦めず、子どもたちに学びの大切さを伝え続けることが重要だと思っています。

Q:子ども図書館はファティマさんにとってどのような存在でしたか?
ファティマさん:図書館は私に大きな影響を与えてくれました。図書館で読み書きを学び、のちに学校で一番の成績をとることができました。図書館では縫製やハンディクラフトという活動に出会いました。ペンカバーやネックレスの作り方を学び、上手にできると購入してくれる人もいて、そのお金で学用品を購入していました。図書館がなければ、今の私はいなかったと言っても過言ではありません。
ファティマさん
現在は、教員として働いています。図書館員の人々に刺激を受けて、私自身が図書館で学んだことを子どもたちに届けたいと思い、教員を目指しました。子どもは未来を背負う世代で、教育は非常に重要だと思います。夢だった教員になれたことは幸せですし、女の子たちにも夢を叶えてほしいと思います。しかし、一人の女性としては制限のある生活が続いており、自由に外出するといった本来の得たい日常を過ごせていません。私たちはアフガニスタンの復興を切に望んでいます。そして女性や子どもたちの就労や教育が規制されない社会を望んでいます。いつか全てのアフガン女性が夢をかなえられるようになってほしいと思っています。外出や楽しむこと、人として生きていくうえで当たり前の生活ができるようになると良いと思っています。そのために今私が必要とされていると思うため、教員を続けています。そして、私の学生には、特に女子学生には決して諦めず学び続けこの国を復興していこうと日々励ましています。日本の皆様にはアフガニスタンへ多大なご支援をいただき、心よりお礼申し上げます。子ども図書館のような学ぶ場所も提供してくださりありがとうございます。ですが、また支援をお願いしなければならない状況です。アフガニスタンでは食糧危機に苦しむ人々、13歳以上の女子教育の禁止など、深刻な問題があります。ぜひ教育支援活動を継続していただき、教育の機会を守っていただきたいと思います。本日はありがとうございました。

Q:日本の皆さんへのメッセージをお願いします。
ワヒドさん:私はシャンティがアフガニスタンで活動を開始した当時からシャンティに関わってきました。当時私はパキスタンに難民として暮らしていました。2001年に旧タリバン政権が崩壊する以前、私の家族は第三国へ定住しました。家族からは私も第三国へ一緒に行ってほしいと言われていましたが、アフガニスタンの復興に関わりたいと思い、アフガニスタンに残ることを決めました。私が最初にシャンティに関わったときは、アフガニスタンの国のことや教育状況についてもよく知りませんでした。そのような中で、シャンティに出会えたことは幸せでした。カンボジアやラオスなどシャンティが既に活動していた地域から活動経験を学びました。本日このようなイベントに参加することができ、光栄に思います。本日紹介された活動の一つ一つに私が関わってきており、非常に感慨深いです。20周年を迎えたことは、温かいご支援をくださった皆さまのおかげだと思います。アフガニスタンは教育状況、人道危機など様々な課題を抱えています。皆さまは自分ができることは小さいことだと思うかもしれませんが、アフガニスタンにとっては非常に大きな支援です。再び女の子たちが学校に通えるように働きかけていくことが大切です。皆さまへ、最後のお願いです。アフガニスタンの兄弟を忘れないでください。世界の平和を祈りたいと思います。

第二部 パネルディスカッション「政情変化の中で女性と女児に何が起きているのか」

第二部登壇者
清末 愛砂氏(室蘭工業大学大学院教授:憲法学、ジェンダー法学)
安井 浩美氏 (共同通信社カブール支局 通信員/シルクロード・バーミヤン・ハンディクラフト 代表)
藤谷 健氏(朝日新聞)
パネルディスカッション登壇者
藤谷氏:アフガニスタンには二度ほど取材に行き、タリバン政権崩壊10年の特集記事を作り、特派員とカブール入りし、バーミヤンで取材をしました。当時女性の州知事が活躍されていて、識字教育の取材をしました。識字教育は人間の尊厳、恥ずかしくて人に聞けなかったことが自分で分かるようになり、自信に繋がり、手に職をつけることに繋がっています。シャンティが図書館活動を各国でやってきたところにも、通じているのではないでしょうか。タリバン政権は、女性やNGOへの締め付けを強め、市民生活への取り締まりが未だに続いています。今現地に暮らす人々の暮らしはどうですか。
藤谷氏

安井氏:政権掌握以降、爆発事案が減ったのは良かったものの、2023年は試練の年でした。政権掌握後、中学校以上の女子教育、医療関係以外の就労を禁止し、一部は認められていますが、多くのNGOが閉鎖して女性は自宅待機となっています。とはいえ、地域や職種によっては、女性だけの場所では認められているところもあります。私の運営しているハンディクラフト工房もその一つです。しかし生活は大きく変わりました。市内の公園は、外国人女性は立入が認められていますが、アフガニスタン人女性は認められていません。女性店員が雇えず商売がままならないカフェも公園にありました。女性の娯楽施設の立ち入りは、男性の家族が一緒でもできません。美容院や公共浴場、ジムも閉鎖し、女性たちは自宅を出られません。女性の規則は50以上あると言われています。就学できなくなった多くの女性が将来を悲観し、自殺しています。バーミヤンでは、2年半で10件以上の若年層の自殺がありました。イスラムでは自殺者は天国へ行くことができませんが、精神的、肉体的に疲弊しているのが事実です。日本のように塾や専門学校などの別の道もありません。そういったところは都市部にしかなく、経済的理由から一般家庭の子どもは難しいのです。
安井氏
10月にはヘラートで地震があり、2000人以上が亡くなりましたが、その9割が女性と子どもだったそうです。なぜなら地震の発生が日中だったから、自宅待機を余儀なくされていた女性や子どもが難を逃れられなかったからです。行動制限が裏目に出たと言えるでしょう。アフガニスタンの人々はなんて困難なのかと感じました。寒い冬がやってきますが、地震のために避難せざるを得ません。カブール市内には、国内避難民キャンプが未だに残っています。14年が経って、流石にテント生活者はいませんが、避難民が故郷に戻らずカブールにいるケースもあります。元々故郷に自宅を持たない遊牧民が、タリバン政権で独立のチャンスを失ったのです。

避難生活が長く、キャンプ内にはNGOの作った井戸もあります。水の確保はできていますが、十分とは言えません。また、人口の流出は経済の低迷に繋がっています。日銭を稼ぐのさえ大変で、2人に1人は十分に食事をとることができていません。タリバン復権語、人口の1割が国を後にしました。NGOも去っていきました。開発援助に携わる国民が多かったので、仕事を失った人が多いです。現金収入がなく、暮らしていけません。イランやパキスタン、そこからトルコ、ヨーロッパへ密航する際に亡くなってしまう方もいます。
安井氏
パキスタン政府は、不法移民の国内からの強制退去を発表しましたが、その移民170万人の大半がアフガニスタン人です。厳しい冬が迫る中にも関わらずです。国内の治安の不安定は、アフガニスタン人が関係していると決めつけました。それは否めませんが、アフガニスタンを支配したパキスタンの過ちでもあるのではないでしょうか。正式な滞在許可を持たない移民は強制退去としています。11月末までの自主退去を命じており、たった2か月で荷物をまとめて出ていけと言うのです。財産持ち出し制限もあり、アフガニスタンに戻った場合は恣意的な逮捕や残虐な扱いを受ける可能性もあります。国連はやめるよう訴えています。カンダハル帰還民も始まっているが、十分ではありません。再びテント生活になってしまいます。

新しい年がやってきますが、改善は見えません。報道官のインタビューにて、女子の教育問題は小さな問題、国家承認が先とのことでした。国家承認が実現すれば、女子教育は数カ月で解決するとのことです。少数の強硬化が、女子教育の再開を阻んでいます。温度差を感じます。

藤谷氏:難民送還について、国連やNGOによりどのような受け入れ支援がなされ、或いはなされていないのでしょうか。

安井氏:まったくされていないというわけではありませんが、ものすごい数が1週間で戻るため、対処しきれないというのが現状です。国連等がパッケージで金銭、食糧、テント援助をしていますが、全員に行き渡ってはいません。国際社会の援助は、必要不可欠となっています。

藤谷氏:女性の就労や女性教育は厳しい状況ですが、清末先生にどのような変化があったのか伺います。清末さんもアフガニスタンに何度か訪問されているそうですが、現地で見聞きされたこと、タリバン復権後の女性たちの様子を社会構造研究の立場からご説明いただけますか。

清末先生:2021年8月に、タリバン政権はイスラム法の範囲内で女性の就労や教育を守ると主張しましたが、女性は試練の日々を過ごしているといえます。まず、タリバンにとっての女性の保護や尊厳に関する人権の概念が違うことを理解すべきです。女性と人権を考えるうえで看過できないことが、男性の名誉と表裏一体の関係性であるということです。政変当時、私自身は研究者として、物事が実際に動くまでは静観し判断することは避けていました。ただ、最初の段階でタリバンと丁寧に話すことがあれば今より状況が違うのでは、圧力のかけ方が厳しかったのではという気もします。一方で、前政権時代に社会進出を経験した世代の女性たちは、現地に残り危険を承知で抗議行動に出て行きました。その中で女性たちは教育、就労、自由、パンを求めました。このスローガンにパンが入っているのは、生活の厳しさを受けたものです。このリアリティとの回避を私たちがどれほどくみ取ることができたのかが重要だったと最初の1年を振り返って感じます。
清末先生
ジェンダーの観点から見ると、タリバンの復権以前から現在まで深刻な人道危機にあります。ウクライナやガザへの関心と、アフガンの関心の違いは、私たちが意識的、無意識的に人権の序列化を図っているのだと思います。「アフガニスタンを忘れないで」というメッセージはまさにこのことです。問われているのは、我々の意識です。

タリバンによる女性の制限の政策をどのような表現で描くのが適切なのでしょうか。ジェンダーアパルトヘイトという表現が国連でも使われています。最初は国連文書で使われましたが、この1年半は使用するのに抵抗がありました。言葉自体は、2001年のアフガン戦争の過程で、アメリカの女性団体がタリバン政策に反対するために、女性解放を含めて主張していました。その時に多用されていました。2001年当時の戦争に対する世界最強の国であるアメリカが、世界で最も弱い立場に置かれている国の一つであるアフガニスタンに攻撃をするというモラルの問題も含めて、言葉で解放を求めてもミサイル攻撃をしていることに、意味がないと思っていました。アフガニスタンの女性を追い込む構造には外国の勢力があり、安易にこの言葉を使うべきでないと思っていました。こうした経緯から使用を避けていましたが、今は使用しています。

そもそも最初の復権から1年半で思っていたのは、タリバンの施策だけが問題ではなく、国際社会の強硬政策と共犯関係になった時に女性が一番苦労しています。戦乱で寡婦の割合も多い中で、女性が働けず、人道危機が起きるとシングルマザー世帯が最も苦しんでいます。国際社会との関わりを直視することが重要です。
清末先生
私はアフガニスタンのジェンダーに基づく暴力の研究を約10年間していますが、構造的に捉えることが大事です。タリバンだけに着目しても、ジェンダーに基づく差別や暴力の構造は解明できません。ジェンダーに基づく差別や暴力の構造には、歴史的な流れや家父長的社会規範が根付いており、その時の為政者が誰であっても、ジェンダー観はこの規範に影響を受けています。その時代の勢力によりイスラムの厳格な解釈や曲解、内戦など様々な要因が層をなすことにより、深刻な状況となっています。諸要因が互いに交差することにより、相乗効果を生み出しています。この構造自体を理解することが重要です。

次に、女児に着目して考えていきましょう。女児教育を再開せず家に縛り付けると、多面的な負の効果があります。まず、女児は生きるための知識を習得できず、将来の希望を失っています。また、学校に通えないために家族以外の人と人間関係を構築できず、結果的に家族内性別役割分担に基づいて女の子の負担が増えています。貧困とも関係して早婚や児童婚の問題もあります。女児教育のアクセス制限は、多重の問題を引き起こしていることを構造的に見る必要があります。

タリバンの復権以降女性は振り回されてきましたが、これはジェンダーアパルトヘイトと言わざるを得ません。ジェンダーアパルトヘイトの国連の定義は、一つのジェンダー集団が他の単体または複数のジェンダー集団に対して組織的な抑圧や支配を行う制度化された統治体制を背景にして当該体制を維持する意図をもってなす非人道的行為と定義されています。
アフガニスタンに残ると決めた人たちは、したたかに抗しています。これは生き延びるという抵抗であり、したたかさで継続しなければすぐには状況は変わりません。少しずつ変えていくということに敬意をもって、関わり続けたいと思っています。

藤谷氏:国際社会の関与も、タリバンには強硬派と穏健派があり、一枚岩でないということもありました。今特に女の子が置かれる状況はどうですか。

山本:現地で活動する中で混乱が続いています。例えば女子の就学禁止が周知されたのは、新学期初日にその情報がツイッターで出回ったためです。数日前に各地域の教育局とNGOが学校再開のための会合を行っていましたが、新学期初日になると禁止ということになりました。女の子たちは学校の再開を非常に喜んでいましたが、門で女の子だけ帰らされました。数日間学校の門まで行き続けた女の子もいましたが、最終的にはだめと泣きながら帰ってきた子もいると報告がありました。綿密な計画があるわけでなく混乱状態が続いており、末端にいる子どもたちが影響を受けています。

藤谷氏:今までの話を踏まえて、今このような状況で国際社会はどのように関わるべきなのでしょうか。

安井氏:タリバンの政権掌握以来、国内経済は破綻しています。人口の1割が国外へ行きました。富裕層や中間層も含まれ、購買意欲がなくなったため、商売が成り立ちません。NGOの撤退により、旧政府の政府職員も仕事を見つけられずにいます。中間層は貧困層となってしまいました。国際社会の開発援助は、雇用機会を創出していましたが、今は日雇いの日銭も稼げないでいます。国際社会の食糧援助がないと暮らせない家庭も多くあります。健全に生活できるよう、食糧援助を継続してほしいと思います。死んでしまったら意味がありません。
パネルディスカッション
藤谷氏:NGOとして、食べるものがない、雇用の機会がない状況にどう取り組みますか。

山本:この20年間を通じて、アフガニスタンの紛争の復興は長い時間を要すると実感しています。20年前紛争が長く続く中、国際社会が最初に与えたのは空爆でした。最初に届けるのはパンであるべきで、私たちが寄り添うということを示すことが必要です。平和な社会は時間をかけて醸成されます。人を育むことは継続しないといけません。活動は小さいものですが、活動を卒業した子が今度は子どもを教える立場になれば活動が広がり、バトンが繋がります。こうした活動を地道にやり続けるしかないと思っています。

清末先生:私は日本国憲法研究が本業ですが、常に頭にあるのは憲法前文の平和的生存権です。平和的生存権とは、恐怖と欠乏から解放される権利を日本国民が確認するという内容です。この考え方に基づき、まったなしのことを先にやらなければならないと思います。食べ物、医療、教育はまったなしです。平和的生存権の観点から、日本政府や日本のNGOは国際協力としてやるということが重要なのではないでしょうか。

藤谷氏:タリバンがやっていることは良くないですが、国際社会がどう向き合うかが欠落しており、これは私たちの問題であります。各国で取材する中で、経済制裁は一番社会で弱い人に影響があると考えます。食料や基本的な生存権を守るために何をするか考える必要があります。忘れない、寄り添うというキーワードをメディアも含めて常に関心を寄せ、小さなことでもできることから、ということを改めて学びました。

●質疑応答

Q:アフガニスタンの図書館ではどのようなジャンルが多いのでしょうか。規制はありますか?
山本:日本の絵本を翻訳したものや、口承の民話、アフガン国内の出版絵本を配架しています。20年前に始めたときは、偶像崇拝になるため人の絵は良くない、動物が服を着て二足歩行するのはおかしいという意見が出ました。女性の話も時間をかけて出版しましたが、現在特に若い女性が中心になる絵本の出版は厳しく規制されています。これまで出版したお話は趣旨や背景を説明して出版しているため、その本の活用は認められています。

Q:不安定な状況が長期化し精神的なバランスを崩すのではないでしょうか。そうした人々へのサポートはありますか?
安井氏:男の子も女の子も自殺者が多いです。精神病院はありますが、具合が悪くなっても精神がおかしくなったと周囲に知られることを恐れ、行くことができません。外出できない状況が続く女の子は普通ではいられませんが、家庭で対処するしかありません。NGOによるサポートはありますがわずかで、ほとんどが我慢しかできない状況です。

Q:アフガニスタンに関心を持ったきっかけは何ですか?
清末先生:2001年の対アフガニスタン戦争です。様々な矛盾を見て、女性解放ということが対テロの枠組みで正当化の理由として出てきたことに憤りを感じました。最近本を出版し詳しく書いているので読んでいただければと思います。

※この報告会は、聖心女子大学 グローバル共生研究所のご協力により実施されました。

イベントの様子はこちらの映像からご覧いただけます