2022.05.18
開催報告

【開催報告】オンライン報告会 「ウクライナ危機~緊急報告会~」

イベントレポート
緊急人道支援

 

シャンティは5月13日(金)に、オンライン報告会「ウクライナ危機~緊急報告会」を開催しました。

【はじめに】

まず、山本事務局長より、今回のウクライナ危機に係る調査の全体概要についてお話しました。

現在ウクライナには世界各地から多くの注目と支援が集まっていますが、現地での支援の実施は追いついておらず、国の人口の1/3に近い、約1,000万人の方が支援を必要としている現状があります。そこで、今回、その必要性と現状を理解する目的で調査を実施しました。第一次的な情報、現地から得た情報に基づき、今回はポーランドとモルドバに調査対象地域を絞りました。

【「ポーランドの報告・地域の概要・声・映像」村松職員】

ポーランド調査に関して、避難民の状況受入れの状況を動画でお知らせします。 国境付近ではウクライナに帰国する人の車の渋滞も発生していました。 国境すぐの駅では、日本大使館の臨時施設などもあり退避の申請などを行っていました。

避難民への物資配布の拠点も駅構内にあり、衣食住の支援が様々な形で行われていましたが、 避難所の中では、子どもが自由に遊べないなどの課題もありました。 さらに、避難所ではランドリーなどもあり支援物資配布に工夫が見られました。 

<ポーランドの概況>

ポーランドはウクライナの西に位置していて、言語はポーランド語で、EU加盟国です。ポーランドの人口が約38,270,000人に対して、ウクライナの人口の1割近い3,272,943人の避難民がポーランドに避難しています。現在、ポーランドにとどまっている避難民の数は、1,090,600人とされています。

<ポーランドでの訪問先と活動>

ポーランドでは4月23日からワルシャワ、西側のポズナン、南部クラクフ、国境沿いジェシェフ、プシェミシルを中心に、避難施設、現地の国際NGO、避難民を受け入れている家庭を訪問し、支援者・避難民をそれぞれインタビューしました。また、状況に応じて緊急の物資配布も行いました。

<ポーランド国内の様子>

ポーランド国内は一見すると平穏に見えましたが、一方で、クラクフのアメリカ領事館前、ワルシャワ中心部それぞれでデモが行われていました。街はウクライナ国旗一色 で、街角の花壇でウクライナ国旗を意識した花が植えられていました。ポーランド人へのインタビューで、ウクライナ人に対する同朋意識や今回の事態を我が事として捉えている様子が伺え、印象的でした。

今回の特徴の一つとしまして、避難民の流動性が非常に高いことが挙げられます。国境付近では、戦況の様子を伺いながら、ポーランドからウクライナに戻る人も多く、渋滞が起きていました。また、右の写真は、ポーランドに避難してきたウクライナ人の様子で、毎日2万人近い人が入国してきているという状況があります。つまり、双方向での人の行き来が非常に多いという現状があります。

大規模の避難所に避難している方は少なく、そのような避難所は縮小傾向にあるそうです。9割近くの避難民はポーランドの一般家庭にホームステイ形式で滞在しています。国からも受入れ家庭に対して支援があり、避難民1人の受け入れにつき40PLN/1日、日本円にして約1,200円が支給されているそうです。しかし、一人の避難民を支えていくということでは、多くの部分を受入れ家庭が負担しているということが言えます。また、ロシアのウクライナ侵攻開始から2カ月以上が経ち、各地で支援疲れの状況が確認され、それが今後の課題となっていると思われます。

ポーランド国内で、難民としてウクライナ人が登録すると、政府から難民にIDが発行されます。このIDが発行されることで、ポーランド人と同等の社会保障が受けられるということですが、ポーランド政府の負担が大きく、こちらも今後の課題として挙げられておりす。 右上の写真は、避難民の親子がネットを活用してウクライナとつながり、勉強やテレワークを行っている様子です。このように、避難しながら仕事をしている人もいらっしゃいますが、1日中寝ている人や携帯を見ている人、ふさぎ込んでいる人もおり、避難民の心理的なケアの課題も挙げられます。

 

左上の写真は物資配布を待つ列の様子で、右上の写真は物資(洋服)が届き集められたものです。届けられたものはボランティア、現地・国際NGOの方が仕分けを行い、配布を行っております。

シャンティとしては(写真左上)ウクライナ国内に届けるオムツや、(写真右上)避難生活を送る方々への食料支援を行いました。

ウクライナから避難してきた方が、ポーランド国内で他のウクライナ避難民を支援している様子が伺えました。左上の写真で携帯を持った女性は、ウクライナ国内に残るお母さんを通じて、現地の状況を確認しながら、ウクライナ国内で必要な物を届ける活動のサポートを行っています。右上の写真は、ウクライナ南部のオデッサから避難してきた女性です。プシェミシルの駅で、実際にポーランドに到着したウクライナ人の方々を案内をしています。このように、同朋の支援を行っている避難民がいることも、今回の特徴ではないかと思います。

多くの避難民、特に女性、子ども、高齢者とお会いして、その中でも、特に印象深い出会いがありました。左の写真に写っている女性が、「日本人ですか」と私たちに日本語で話しかけてきました。彼女はウクライナから高齢のお母さんと避難してきた方で、日本に20年間住んでいたというお話をしてくれました。このように、グローバル化が進む中、近くに住んでいた方が、今、遠くの国で、戦争の被害にあっていることがあり得るということを痛感しました。また、「どこに住んでいるのですか」と質問したところ、「どこにも住んでいません」と答え方がいました。辛い状況にもかかわらず、「何かできることはありませんか」と声をかけていただいたことも印象的でした。

右上の写真は、ウクライナ避難民の女性たちにお話を聞いた際の写真です。一人の方は、子どもが空襲警報を聞くたびに、泣き叫んで防空壕に避難する生活を続け、子どものために避難することを決めたとおっしゃっておりました。遠い国で起こっていることですが、同じ世界で起こっているということを実際に行ってみて痛感いたしました。

子どもたちは「いつになれば、戦争が終わり帰れるのか」と母親たちによく尋ねるそうです。中には、左上の写真にあるように、真っ黒に塗りつぶされた絵を描く子どももいるそうです。衣食住に加えて、教育や心理的な支援などが不足していると支援者の方が口々におっしゃっていました。困難な状況の中で前を向いている避難者の姿が印象的でしたが、子どもたちの、この眼差しを守るためにも、私たちも目を向け続け、また我々にできることを考えていきたいと考えております。

【ポーランド現地調査の補足】秦理事

弊会の秦理事にポーランドでの現地調査を踏まえた見解について、お話されました。

ポーランドが寛容に、しかも手厚く、ウクライナ避難民の方を受け入れていますが、それは、歴史的な背景があると分析されております。ポーランド(Poland)は「平原の国」という意味がありますが、地形的にも山が少なく平地が多いのが特徴です。過去に近隣国から攻められ、分割され、それから120年以上あまり、地図から消滅した経験があります。ようやく独立したのが1918年ですが、その後戦争が続き、1939年にはナチスドイツが進攻してきます。東からはソ連が進攻し、苦難ある歴史を持った国です。そんな歴史の中でも、ウクライナとは隣人関係があり、国境を接している中で問題もありましたが、同朋の意識があります。ウクライナとポーランドでは宗教・言語面での違いも多少ありますが、このような歴史の背景から、ウクライナ避難民を受け入れやすい環境があることを感じました。

現状としまして、ロシアがウクライナに侵攻して、とても早い段階で、ウクライナ難民支援法という法律が制定されました。3月16日から、補助金の支給、国内の雇用支援、ヘルスケア、子どもの教育、その他の社会保障がスタートしました。はじめは60日間という限定された法律でした。しかし、ウクライナの現状の長期化により、4月29日の報道で、この法律をさらに60日延長して120日間にしたという報告がありました。今後は、財政的に厳しい立場に置かれることが見込まれる中で、特に、都市部に多くの避難民がいらっしゃるということで、社会インフラに関する協力を手厚く行っていく必要であると伺えます。

 

【モルドバの報告・地域の概況・声・映像 】芦田職員・菊池課長

続いて、モルドバでの調査について、芦田職員と菊池事業サポート課長より報告されました。

キシナウの街は、ソ連時代の建物が残っており、東欧の強い影響がある印象を受けました。

左上の写真は、避難民が教会に滞在している様子で、120名ほど滞在していますが、椅子やベッドを並べただけで、プライバシーがありません。 また、子どもが多いのですが、居場所がないことが問題として挙げられます。 また、モルドバでは、多くのウクライナ避難民がドイツ、フランス、スペイン(西側)に避難していく人が多いことが伺えました。

また、支援団体からの聴き取りや避難民へのインタビューから、子ども連れの避難民の多くはウクライナに帰りたいと考えており、心理面での懸念が挙げられました。

 

<モルドバの概況>

モルドバはウクライナとルーマニアに挟まれた小さな国です。人口は約2,640,000人で、面積は日本の九州ほぼ一緒になります。 この人口はトランスニストリア地域を抜いた数字になっております。トランスニストリアはモルドバからの分離を宣言した地域で、セキュリティ上の懸念があることから、今回は、調査対象外としております。シャンティはキシナウとオルヘイを訪問しました。

モルドバに流入したウクライナ避難民の数は459,546人となっており、約260万人の人口の国に、これほどの避難民が流入することで、モルドバ政府としても非常に大きな負担になっています。今後、国際的な支援がどのように行えるかが課題とされております。現在は10万人ほどがモルドバに滞在しており、 西側の国に移動したり、また、ウクライナへ戻ったりする避難民も人も多く、ポーランドと同様、避難民の動きが流動的という特徴が挙げられます。

<モルドバでの訪問先と活動>

4/27 – 5/4 まで現地調査を実施しました。訪問先としましては、国際・現地NGOや学校や避難施設を訪問しました。 避難施設として使われている施設は廃墟だった場所や、もともとコロナ対策関連の施設だった場所を運用して使っています。活動としては、支援者・避難民へのインタビューや避難所の視察を行いました。 インタビューから、 キシナウからウクライナのオデッサまで車で3~4時間で到着するということで、 多くの避難民が、ウクライナの南部から来ており、モルドバのパランカという国境の地域を通って避難して来る人が多い印象を受けました。

都市型避難民の特徴としまして、ポーランド同様多くのモルドバ市民が各家庭で避難民の支援を行っているため、離散しています。そのため、ボランティアや国際NGOが避難民の数や生活状況等を確認するのが困難な状況がありました。またモルドバを避難先に選ぶ理由として、家族や親せきがいる、さらに週末に行ったり来たりできる距離感のため、避難しやすいということが挙げられており、支援上の課題としまして、こちらもポーランド同様、人の動きが流動的ということで、状況把握が難しいということが伺えました。このほか、キシナウを中心に、EU、UN、USAID等の国際機関・団体が入っており、資金的な援助は一部受けられれていることが見受けられました。また、治安上の懸念として、トランスニストリア地域がロシア軍からどう影響があるか、非常に読めない状況があ セキュリティ情報を見ていく必要があるとの回答がありました。

左上と中央の写真がキシナウの中心部の写真で、緑豊かで歩きやすい印象を受けました。かつては地方都市だったのですが、第2次世界大戦で焼け野原になった後、現在は急速に発展しています。右側の写真が、キシナウで最大の避難センター「MOLDEXPO」です。 最大600人の収容が可能で、現在は400人~600人の避難民がいるとのことです。

左の写真がモルドエクスポのエントランスです。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)やユニセフなどの国際NGOが法的支援、子ども向けの支援、食事の支援を行っております。エントランスに隣接しているのが、避難民の方が実際に生活している場所です。 ご家族ごとに、パーテーションで仕切った空間で、滞在の長い方で1、2カ月の生活をしています。子どもたちの生活空間がなく、建物内を走り回っている状況で、避難の長期化が進む中で生活が難しくなっている印象を受けました。

こちらの写真は教会が避難センターとなっている様子です。聖堂の椅子を並び替えて、家族ごとに区切って、生活を送っている様子です。パーテーションもなく、プライバシーの確保ができない課題が見受けられました。現在は120人ほどの避難民がこの教会に寝泊まりしている状態です。

教会の外に遊べるスペースがあり、レクリエーション(折り紙)を通して、支援ニーズの聴き取りを行いました。また、トイレットペーパー、生活必需品、お菓子等の配布を行いました。

こちらが、支援団体からのヒアリングの写真になります。聴き取りで、ニーズを確認したうえで、教育支援物資、子どもが遊べる物資(ボードゲーム、色鉛筆、ボール等)を提供いたしました。

以上、芦田職員による、モルドバでの調査報告になります。

<子どもたちの様子 菊池課長>

左上の写真がモルドエキスポ(避難所)の様子です。屋内で、パーテーションで仕切られた子どもが遊べる場所がありました。そこで地元の高校生、大学生がレクリエーション活動を行っておりました。しかし、屋内施設は人の出入りがあり、また、施設の外では近くに地域住民が住んでいて、子どもが遊びにくい現状がありました。右の写真は避難所の外にある、サッカーフィールドで高校生がサッカーをしている様子です。特に年齢が高い男の子がサッカーをして遊んでいました。モルドエキスポのような大きな施設は子どもが遊べる施設もありますが、小さな施設にはそのような場所はなく、あったとしても、その場所が小さく、十分に遊べるスペースを確保することが難しい状況がありました。また、人の動きが流動的なので、子ども同士の関係作りが難しいという問題がありました。

こちらの写真が子どもの学習環境に関わる写真です。オンラインでの学習環境が整っている場合もあり、子どもたちがパソコン、携帯でウクライナの学校とつないでオンラインで授業を受けている様子が伺えました。

右上の写真が、モルドバ国内の学校でウクライナ避難民生徒が授業を受けている様子です。キシナウ市内の学校では、49校で、601人のウクライナ避難民生徒が通っている状況がありました。しかし、避難民が、西側諸国へ移動している状況下で、生徒数は減少傾向にあります。なかには、オンラインへのアクセスが難しい、または、移動中に学ぶ環境が確保できない子どもも多い現状があります。また、9月からの新学期に向け、7~8月の夏休み期間にサマースクールなどが始まります。今回訪問した教育支援団体やモルドバの教育省でも、サマースクールに難民の子どもたちをどう巻き込んでいくか話し合っていました。

こちらは、避難民センターの子どもたちが避難してから間もない時に描いた絵です。センターの職員に共有してもらったもので、暗く、恐ろしいイメージの絵が多く、つらい思いをした子供たちが多いことが伺えました。避難民センターで、ミサイルの攻撃でどうやって建物が壊れていくかを話す子どもたちがいて、小学校高学年の子どもが、おもらしをしてしまうなど、心の影響が非常に大きいことが伺えました。紛争開始から2か月半が経とうとする中で、生きていくための物資支援、生活支援も重要ですが、忘れてはいけないのは、子どもたちの教育支援や心理サポートだと感じました。

<避難者の声>

避難者の多くは女性、子ども、高齢者でした。左の写真の女性は、13歳の息子がいるミコライウの出身の30代のお母さんです。ロシア軍による爆撃が続き、電気も暖房もない地下に45日間いたけれども、これ以上そこで生活することができないと思い、このインタビューをする2週間前にモルドバに逃れてきました。モルドバには頼る親戚もなく、ウクライナとモルドバの国境で子どもとともに呆然としていたときに、避難センターのボランティアの人が声をかけてくれて、避難所にたどり着きました。彼女は、今後どうしていきたいか分からず、日々考えが変わって、今の気持ちを伝えることは難しいと話していました。自分が置かれた状況にとても困惑していて、子どものことが心配で、今の願いはウクライナに戻ることと話していました。

 

右の写真の女性は、3人の息子さんがいる40代のお母さんです。2月24日の早朝、住んでいたオデッサの郊外で爆発音を聞いて、何かがおかしいと思い、ニュースを見たそうです。ウクライナとロシアという兄弟国でこんなことが起きて、大変ショックだし、恐怖を感じたと話していました。2週間は自宅の廊下でブランケットを持っていてとどまっていたものの、「ウー、ウー」という警報がずっと鳴り続けており、寝ることもできず、食欲もなく、耐えられなくなり、モルドバの親戚を頼って逃げてきたそうです。お母さんも息子さんたちも自分の家から、ミサイルが撃ち込まれて建物が爆破され、崩れていくのを見てきたそうです。一番下の12歳の息子さんは、「爆弾が家の近くに起きたら、みんな死んでしまう」ととても怖がっていたそうです。また、モルドバに来ても救急車の音が聞こえると怖がってお母さんに抱き着いて、顔をうずめて耳をふさいでいるそうです。お母さんは、ロシアに対する怒りと同時に、すべてを許して心の平和を取り戻したいという2つの気持ちの中で揺れていると話していました。

こちらの写真に写っている、15歳の女の子ですが、オデッサから2月に一家と他の家族で逃れてきたものの、お父さんはウクライナに戻ったそうです。3月1日からモルドバの学校に通い始めて、最初は新しい環境に慣れなかったものの、クラスメートが親切に接してくれて、だんだん生活に慣れてきたそうです。学校に通ってルーティンとしてスケジュールをこなしていくことで、自分の身に起きたことを忘れることができる瞬間があると話していました。ただ、将来を考えることはできず、今のことだけを考えているそうです。彼女は、放課後に、詩やストーリーを自分で書いて自分の感情を吐き出しています。彼女のストーリーを見せてもらったのですが、戦争によって眠れなくなる姉妹、「娘にこんなことを経験させてしまった」と謝るお父さん、そのお父さんとの別れ、ちょっと前まで謳歌していた人生の日常を失うことの悲しみを主に書いていました。また、自分の国を離れるときに、いつも友達に、「元気?」「またね」と連絡していたものが、今では「愛している」「安らかに眠れる日が来ますように」という言葉に変わってしまった、と綴られていました。

これから先、戦争が長期化される懸念がある中、生活支援に加えて、教育や女性の保護等の心理的な支援が必要だと思います。シャンティのこれまでの実績・知見を活かした取り組みを考えていかないといけないと感じました。

以上で、モルドバの調査報告を終わります。

最後に、ポーランドとモルドバの両国で調査を行ったシャンティの常務理事である、茅野理事より、全体のまとめをしていただきました。

【調査全体のまとめ】

今回、ポーランド・モルドバと両方視察・調査させて頂きました。ポーランドの場合は長期で避難する際、住民登録さえすれば、政府が一定の支援をするのですが、 モルドバでは政府は、そこまでの環境を整えることができない感じがいたしました。 しかし、モルドバに入って感じたことが、国連のグテーレス事務総長の発言にあったように、「大きな心を持った小さな国」です。モルドバは、 3.11の東日本大震災の時でも被災地へ支援金を送って頂いております。モルドバの在日大使は、今回のウクライナの支援について、「近所の人が困っているとき、助けるしかないのです。豊かでなくても、私たちが、できることをしていきましょう。」と述べ、ウクライナを救いたいという強い気持ちが伺えます。

今回課題になっていることは、戦況によって人が流動的になり、支援ニーズも変わってくるということです。日々刻々と変わるニーズにどう国際NGOが答えるかが課題となっております。また、ホストコミュニティ・ファミリーの支援疲れも課題となっております。政府、自治体、NGOの体制を整え支援を行う必要があると思います。避難しているウクライナの子ども達の言語の壁も課題として挙げられます。避難民の精神的なケアは、今後重要性はさらに高まると感じています。また、国際NGOがウクライナ国内での支援を行う際にリスク管理をしながら、行っていく必要があります。

最後に、日本国内でのウクライナ危機報道の在り方について、メディアリテラシーを持って、報道の裏側を見ていく必要があります。また、現在日本国内でウクライナに注目が集まる中で、昨年のミャンマーでのクーデターや、アフガニスタンでのタリバン政権の問題は現在も続いています。難民の問題等報道されることが少なくなっている中、難民問題と向き合うNGOとして、そのような課題ついて、情報発信していくNGOであり続けたいと思いました。

 

【まとめ・今後の展開】山本事務局長

今回の調査の中で、たくさんの協力が得られ、彼らからこの状況を日本の方々へ伝えてほしいと願う声がありました。お話を伺っている中で、涙を流している人、こらえる人が多く、彼らの壮絶な経験に、かけることばが見つかりませんでした。

今後の展開として、シャンティの強みを活かせる支援について、現地の団体と協議を重ねて支援を実施してきたいと思います。特に、戦争の影響を受ける子どもへの支援までなかなか手が届いていない現状が見受けられたため、そういったところへの支援を行っていきたいと考えております。避難民支援につきまして、ポーランド南部周辺を拠点に、緊急支援を実施、モルドバでは草の根レベルの活動を行っている団体と協力しつつ、今後避難民が増加した際には、不足しているところを補えるように連携してまいりたいと考えております。また、ウクライナ国内では、支援がなかなか行き届いていない現状があります。700か所の教育施設が攻撃を受ける情報が入っています。ウクライナ国内に関しては、情勢を見て支援実施を検討していきたいと思います。

最後に、世界各所の紛争の背景を見れば、全く無関係というわけではなく、複雑に絡み合っていると思っています。残念ながら、今回の戦争は、シャンティが支援を行っている国への影響は否めません。国際社会を分断させない人道支援の展開が必要です。シャンティはウクライナだけではなく、アフガニスタン、ミャンマーそれ以外の地域で紛争による難民・避難民への支援を通して、平和な社会の実現に向けて、今後も積極的かつ継続的な支援を行っていきたいと思います。

今後とも皆様のご協力、ご支援の方よろしくお願いします。

 

『質疑・応答』

Q:現地の人々の様子から、ウクライナ国民の自国への愛国心を感じる場面はありましたか?

A:『菊池課長』世代が上の方は、ウクライナとロシアが兄弟国でもあるのにもかかわらず、このような状況になってしまっていることに驚いている様子でした。一方で、若い人たちは、「ウクライナが独立国として存在していることを守らなければならない」と意識している方が多いような気がしました。

Q:現地の人を見る限り、マスクを着用をしていないですが、コロナは落ち着きましたか?

A:『村松職員(ポーランド)』街中、誰もつけていないようなような様子でした。感覚的には100人に一人くらい、バス内で100人に30人ほどの人がマスクを着けていました。実際、ポーランドでは感染が収束傾向にあり、国内で1日の感染者数が500人ほどだそうです。文化の違いもあると思いますが、現地で聴き取りを進めたところ、隣国で戦争がおこり、コロナへの危機感がうすれた、ということも伺えました。

A:『芦田職員(モルドバ)』モルドバに限らず、欧州ではゼロコロナからウィズコロナに代わってきています。国ごとに異なるのですが、万が一コロナに感染しても、通学や通勤を控える必要がない国もでてきています。それに伴って、モルドバでもマスクを着ける人がほとんどいなく、逆にマスクをしていると目立つという現状がありました。時には、「マスクを着けなくても大丈夫だよ」と声をかけられることもありました。

Q:モルドバの学校で授業を受けているウクライナの生徒は言葉は通じているのですか?

A:『芦田職員』ケースバイケースかと思われますが、ウクライナでは主にロシア語かウクライナ語が使われています。そこで、避難してきた生徒が、ロシア系の学校に編入した場合は、言語面の障壁が少ないように感じます。今回の調査で分かったことで、避難したウクライナの生徒でロシア系の学校に編入した子どもたちは、モルドバ政府から特別カリキュラムに合わせた教科書が配布されています。中には英語を話せる子どももいて、バイリンガル、トリリンガルの子どもにとっては言語面での障壁は低いのではないかと思われます。一方で、そうではない子どもたちには、言語面でのハードルは依然として高く、オンラインで授業を受けているケースも見受けられました。

Q:ハンディキャップを持つ人や、ペットと持つ人の避難、生活の様子はどうでしょうか?

A:『村松職員』調査の中では、ハンディキャップを持った方には、お会いできませんでした。その理由として、障がいを持った方が、ウクライナから避難して来ることが非常に難しいことが予想できます。また、ペットに関して、現地ではコンビニ内でペットを連れて買い物している方もいて、日本とは異なるペット文化があることを感じました。避難所には、ペットと共にウクライナから避難してきた方もいました。ペットのための物資なども準備されており、ペット連れの避難者への支援があることが分かりました。

動画のアーカイブはこちらから
※動画の公開期間は終了いたしました。(2022年7月1日追記)