2022.10.28
開催報告

【開催報告】ラオス事務所30周年オンラインイベント「教育の改善に向き合った30年」

イベントレポート
ラオス
周年
国際協力の現場から

10月22日(土)にラオス事務所開設30周年のオンラインイベントを開催しました。

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シャンティは1985年から、タイとラオスの国境にあるバンビナイ・ラオス難民キャンプで謄写版製作と図書館活動を開始し、その後、1992年にラオス国内に事務所を開設、これまで絵本を通じた読書推進活動や学校建設、文化の保護・継承活動などに取り組んできました。
イベントでは、ラオスでの活動のあゆみを振り返るとともに、現在のラオスの教育状況や課題、現地の人々の声を、登壇者の皆さまにお話いただきました。

第1部 ラオス事務所の30年のあゆみ

【第1部登壇者】
話し手:安井 清子さん
タイのモン族難民キャンプ、ラオスなどで、シャンティの図書館活動を担当する。その後もラオスにて、モンやラオスの子どもたちのための図書活動を続けている。民話や伝承の聞き取り、記録などにも従事。著書に「空の民の子どもたち」「ラオス・山の村に図書館ができた」など。「ラオス山の子ども文庫基金」代表。

小野 豪大(たけひろ)さん
ラオス、東京、タイ・ミャンマー国境を拠点に20年間ほどシャンティの事業に従事。現職は北海道教育大学釧路校講師(へき地・小規模校教育研究センター員)。日本国際ボランティアセンター(JVC)の理事も務める。

ファシリテーター:玉利 清隆
シャンティ国際ボランティア会 経理課課長代行 。2018年5月から2022年8月までラオス事務所所長としてルアンパバーンに駐在。

●バンビナイ・ラオス難民キャンプでの活動(安井さん)

難民キャンプに暮らすほとんどの人たちはラオスの山に住むモン族で、彼らは戦争で難民となりこのキャンプに避難してきました。当時は3万人以上が暮らしており、大きな過密な村落という感じの印象でした。様々な国際機関やNGOの支援により食料などは全て配給されていましたが、畑を耕したり牛を飼うといった、モン族の人がこれまで行っていた自給自足の生活は禁じられていました。難民キャンプに長くいても将来がない、子どもがそこで未来を描けない、という現実を知り、「これが”難民”というものなんだ」と感じました。

難民キャンプに行く前にシャンティの職員から「モン族には文字がない、本もないよ。」と聞いており、そこでどうやって図書館活動をやるんだろう…と思いました。そこで、難民キャンプに絵本をたくさん持っていき、まず大人たちに、モン語で「なに?」はどう言うのかを教えてもらいました。その後、持参した絵本に子どもたちに見せながら絵本に描かれているものを指して「ダッチ?(=モン語で「なに?」)」と聞き、そこで皆が教えてくれる、それが活動の始まりでした。『おおきなかぶ』の絵本も持参しており、かぶをぬくように絵本ごとひっぱる動作をしながらの読み聞かせは、ここで初めてやりました。子どもたちにお話をたくさん知ってほしい、絵本を通じてキャンプの外の世界を知ってほしいと思い、図書館活動を進めてきました。


●モン語の絵本を出版するきっかけ(安井さん)

活動から1年が経過した頃には日本から持参した絵本は読みこまれてボロボロになってしまい、またタイトル数も限られていました。これだけでは今後の活動が難しいと感じていた時に、モンには民話があることを知り、それをテープレコーダーに録音して子どもたちと一緒にモン語の民話絵本や刺繍絵本を作ることにしました。外から持ち込むものだけでなく、自分たちの得意な方法で自分たちの本を作ることが、彼らの自信や誇りに繋がっていることを感じました。


●図書箱の配布活動(安井さん)

1992年のラオス事務所開設当時は、タイーラオス間をつなぐ橋がなく、タイから渡し船でメコン川を渡り、ラオスに入りました。タイ・ラオス国境のバンビナイ難民キャンプが閉鎖される時でもあり、難民キャンプで使用していた絵本をラオスに持ち込んだのですが、入国時に「これはなんだ!」と言われ警察に没収されてしまいました。その後国立図書館の方と本を引き取りに行ったのですが、「外国の文化を持ち込むとは何事だ!」とそこでも怒られました。当時は外国の文化が非常に制限されており、外国人も入りにくく、また本もない状態でした。
図書箱の配布活動は1991年にユニセフが始めたものです。私は図書館員と一緒に、それらが使われているかを見に行ったのですが、図書箱は厳重に保管されており中の絵本は全部シロアリに食われていました。その時に、本を渡すだけではダメで、使い方も教えないと活用されないことを理解し、読み聞かせ活動も合わせて実施していきました。


●1992年にラオス事務所を開設(小野さん)

当時のラオスは旧ソ連時代の共産圏連携の名残りが各所に残っていました。旧宗主国フランスの名残もあり、フランス語を話す年配の方も多く、様々な文化が融合している印象を持ちました。また、当時はラオス語の絵本はほとんどなく、学校の教科書は自費で購入しなければならず、地方では先生しか教科書をもっていないという状況も見られました。


●「謄写版」事業の開始(小野さん)

バンビナイ難民キャンプにラオス教育省の方が視察に行った際に謄写版を見て、ぜひラオス本国の小学校で使っていきたいと思い、シャンティの職員を連れてワークショップを開催したのが、ラオスでの謄写版事業の始まりだそうです。首都ビエンチャンの郊外に建てた工場を拠点に、謄写版の印刷台や金属パーツを自分たちで作り、組み立てをして小学校に配布していきました。配布の際は、すぐ使えるようインクや紙も一緒に渡し、研修会も実施しました。1990年代後半には謄写版を使った教育教材作りも始め、日本から技術者も派遣して謄写版の技術を伝えていきました。

謄写版のそもそもの始まりをご紹介させていただきます。シャンティの前身であるJSRC(曹洞宗東南アジア難民救済会議)の時代にカンボジア難民キャンプに私たちの先輩たちが謄写版を持ち込み、カンボジアの読み物を復興する活動を始めました。その後、カンボジア難民キャンプだけでなくラオス難民キャンプでも使っていこうという動きになり、ラオス本国での活用にもつながっていきました。


●子どもの居場所として大事な役割を担っていた「子どもの家」(小野さん)

「子どもの家」事業開始前、ラオスには既に「こども文化センター(CCC:Children’s Cultural Center)」が情報文化省によって設立されていました。設立の背景として、1980年代からラオス国内にさまざまな文化が入ってきており、その中でラオス人のアイデンティティーを守らないといけないという動きが起こり、伝統舞踊や音楽に力を入れた活動が始まったということがあります。それを強化し高めていくためのプロジェクトが「子どもの家」プロジェクトであったと思います。ここでは伝統文化の継承だけでなく読書推進活動も行いました。この事業では全日本自治団体労働組合の皆さまに、スタディツアーや日本での研修会への招聘、図書館員研修の実施などで多大なサポートをいただき、活動がより強固なものになったと思います。

●少数民族の子どもたちへ向けた教育支援活動(小野さん)

1999年から2年間、南部のセコン県で「民話による初等教育改善事業」を実施しました。セコン県には14~15の少数民族がおり、子どもたちの言語・文化的な背景が多様で、国語であるラオス語の識字率が低いという状況がありました。子どもたちはラオス語を話す教員との意思疎通も難しく、そこでシャンティは、彼らが親しんできた民話を題材にした教材や絵本・紙芝居を作成して教員と子どもたちをつなぐ活動を行っていきました。高齢者の方々から民話を採話する段階では、地域が少し違うと話が微妙に変わるといったことがあり、どの話で作成するか迷ってしまうという経験もありました。そして、それらの教材を小学校に配布したり研修会を実施したりしました。


●農村部の学習環境の改善に向けた取り組み(玉利)

都市部と農村部の学習環境の格差の広がりを考慮し、より学習環境の厳しい農村部の学校にアクセスしやすくするため、2014年にメインの事務所を首都ビエンチャンから北部のルアンパバーンに移しました。そこでシャンティは学校建設や読書推進活動、複式学級運営改善事業などを実施しています。
ラオスでは子どもの数が少なかったり教員が不足しているといった現状があり、1人の教員が複数の学年を同時に指導する複式学級が主流です。しかし教員たちは複式学級の指導法のノウハウが不足しており、シャンティは、複式学級運営改善のための教材開発や教員研修を実施し課題に取り組んできました。

2018年には北海道教育大学の協力を得ながら、教育省や教員養成校の教員を日本に招待して研修を実施したり日本の学校の複式学級の様子を見てもらったりといった活動を実施してきました。そこで学んだ手法を用いて「複式学級運営の手引き」を開発し、手引きはラオス教育省から全国で使用可能な教材として承認をいただいております。この活動を通して、教員たちが複式学級における指導技術を向上させ、子どもたちの学習成果があがっていくことを願っています。

第2部 ラオスの教育の今とこれから~現地スタッフの声~

【第2部登壇者】
話し手:プッタナリー・タマミサイ(通称:オイ)
シャンティ・ラオス事務所 カントリーマネージャー。

ブンホン・センパスット(通称:ブンホン)
シャンティ・ラオス事務所 プロジェクトスタッフ。

ポンサワン・ウワンサワット (通称:タイ)
シャンティ・ラオス事務所 プロジェクトスタッフ。

ファシリテーター:谷島 緑
シャンティ国際ボランティア会 ラオス事務所 所長。

通訳:浅木 麻梨耶
シャンティ国際ボランティア会 ラオス事務所 コーディネーター。


●シャンティ入職のきっかけ、業務を行う中でのやりがい

ブンホン:私は田舎の出身なので、村の教育事情も分かっており、遠隔地の子どもたちのために働きたいと思いました。先生や子どもたちが、村でのより良い教育のための支援を必要としていることを知っていたので、シャンティで働くことを決めました。私が担当する複式学級運営改善事業で作成した運営の手引きは教育省から正式に承認され、全国の教員養成校での研修に使われています。このプロジェクトの実施が、現場の先生たちの能力向上や僻地の子どもたちの学びの改善に役に立っており、ラオスの教育の向上に貢献できることを誇りに思っています。

タイ:以前教員として働いた経験があり、教育の重要性について理解しています。私は絵本の読み聞かせが大好きなのですが、絵本や紙芝居を見ているときの子どもたちの笑顔を見ると、本当に幸せな気持ちになります。今は、シャンティのメンバーの一員であることをとても誇りに思っています。

オイ:シャンティは教育分野を支援しているので、ここで働きたいと思いました。特に、僻地の子どもたちが平等で質が良く、学齢に適切な教育を受けられるよう、教育開発に携わりたいと思います。


●カウンターパートや受益者の声

タイ:読書推進活動を実施している学校の先生たちからは、シャンティの研修に参加したお陰で、読書の大切さを理解し、図書コーナーの管理ができるようになったり、読み聞かせの技術が向上したと聞きました。子どもたちは移動図書館が大好きで、読書活動を楽しみに学校に来るようになり、図書コーナーの開放日には、熱心に読書をしたり、本の貸し出しを利用して、自宅でも本を読んでいると聞いています。また、村の人たちからは、研修の後、先生や子どもたちをよりサポートできるようになったと聞きました。

ブンホン:カウンターパートからは、シャンティの複式事業は、教育分野の政府機関(県や郡の教育スポーツ省)や教員養成校などの関係機関と良好な協力関係を築いているという声がありました。事業対象地の教員は、定年退職やボランティア先生の減少による教員不足のため今後複式学級がさらに増える傾向があり、シャンティの事業は先生の授業力を高めるために最も重要な事業の一つである、と話していました。


●ラオスの教育に求められる支援とは

タイ:ラオスでは都市部と農村部で教育の格差があります。私は、農村部の少数民族の子どもたちにも、より良い学びの機会を得て欲しいです。絵本を通してできるだけ多くの経験を得られる機会を作ってあげたいと思います。

ブンホン:私は、すべての教員が複式学級運営法の研修を受けるべきだと思います。また、農村部における退学率の低下や小学校卒業率の向上に向けて親たちに教育の重要性を伝えることも必要だと考えます。ラオス政府の手が届きにくい農村部において、子どもたちの教育環境を構築するためにはNGOの支援がこれからも必要です。

オイ:農村部の多くの学校で教材が不足しています。教材は子どもの発育や成長のためにとても重要であり、今後、幼稚園や小学校の教材も支援したいと思います。また学習教材とは別に遊び道具やおもちゃも必要だと思います。


●今後の展望

ラオス事務所では運営現地化を進めており、今後は、登壇者のオイさんがカントリーマネージャーとして日々の事務所運営を担い、谷島所長は東京から遠隔で事業を行います。オイさんに、事務所の今後の展望を伺いました。

オイ:ラオス事務所として、今後2つの事業を考えています。1つはポストコロナにおける学校衛生の改善です。もう1つは少数民族の子どもたちに対するラオス語習得のための支援です。シャンティラオス事務所では、今後もへき地の少数民族の子どもたちに焦点をあてていきます。
運営面では、日本人所長が東京事務所を拠点とし、事務所運営と事業運営をナショナルスタッフが中心となって行います。大きな転換であり挑戦ですが、所長とのコミュニケーションを密にして、今後も現地の教育をサポートできるよう全力で業務に取り組みたいと思います。

質疑応答

Q) 第1部のお話の中で、今のラオスの子どもたちにラオスを知る手段として本を作りたいというお話がありました。ラオスでの図書館活動を通して、今の子どもたちにどんな影響があるか、具体的なエピソードがあったら教えてください。
A) 安井様:ラオスには、例えば日本の児童館のような場や学校での課外活動がほとんどなく、子どもが集まる場が少ないです。学校は授業をする場所であり、文化祭のような行事もありません。そのため、図書館は、子どもたちが集まる場として大きな役割を担っていると思います。
子ども図書館は子どもたちのことを考えて作られた場所でなので、「そこにいけば誰かが受け入れてくれる」という場で子どもたちも集まってくるので、それはラオスの図書館において大きな役割の一つであると思います。

Q)日本の教育現場にいる中で、これまでのラオスでの経験をふまえて日本がラオスから学べることを教えてください。
A) 小野様:ラオスの子どもたちの生きる力(自分の生活を自分でマネジメントでき、他社にも配慮できる力。ものを作ったり修理したり、生活能力。)を見ていると、日本の子どもたちはそこに少し偏りがあると感じています。交流することによって、日本の子どもたちがラオスから学べるものが何かあるのでは、とも考えています。

Q)図書サービスによる効果の具体例を知りたいです。
A)タイ:読書推進の活動を通してラオス語能力の向上が見られます。対象校の先生から聞いた話なのですが、生徒の内読書をよくする生徒が、ラオス語のテストで、郡で一番を取ったそうです。また、非対象校では、3~5年生でも自分の名前をラオス語で書けない生徒も多いようです。

Q)ラオスの複式学級運営改善について、今後も改善事業のモニタリングに期待したいですが、教員研修はどのような継続の可能性がありますか?
A)谷島:複式学級運営改善事業は今年8月で終了しましたが、全国の教員養成校へ運営の手引きを配布し研修等で活用いただいています。今後について、次期に予定している「ラオス語習得支援」事業に複式事業も合わせ、教員研修なども考えていきたいと検討しています。

Q)刺繍絵本があることに驚きました。モン族の人は誰が刺繍をできたのでしょうか?また今でも刺繍の文化はありますか?
A)安井様:モンの人たちは昔から民族衣装に刺繍を施しており、刺繍は親から子へ代々引き継がれてきたもので元々技術を持っています。
私が初めて難民キャンプを訪れた時、すでに刺繍で作られたタペストリーがキャンプ内で売られていました。モン族は元々文字を持たない民族で、自分たちが経験した戦争の様子を刺繍で残したのだと思います。誰が指導されたのかは分かりませんが、恐らく海外のNGOの誰かが、と推測しています。また、以前ほど人々は民族衣装を着なくなりましたが、今でも刺繍小物を作って売ったり親の死に装束の刺繍を娘が行ったりと、伝統が受け継がれています。

Q)ラオス語を学ぶためにも、少数民族の母語を大事にすることが大切というお話がありましたが、これまでラオスで活動される中で、具体的にそう感じた出来事はありましたか?
A)小野様:セコン県での「民話による初等教育改善事業」で作成した、少数民族の子どもたちと教員との意思疎通のためや教材やツールが、ある程度使われたという経験は持っています。私は、ラオス政府が少数民族の言語をどのように見ているのか、文化保護も含めてどう考えているかによって、今後の母語や母文化保護の活動の方向性が変わってくると思います。

ラオスからのビデオメッセージ

ラオスでの教育文化支援活動でお世話になっているスパポン・川村様、トンルン・ケオトンペット様、ブンセン・ピラワン様、そしてラオス事務所職員からのビデオメッセージをご覧いただきました。
30周年へのお祝いの言葉をいただき、職員からはラオスの活動を支えてくださる皆さまへの感謝の気持ちなどお伝えしました。

最後に

現地運営化に向けて新体制となったラオス事務所の新旧所長からメッセージを頂きました。

玉利:2018年から4年強にわたりラオスの教育の改善という、非常に大きな、時間のかかる目標に向かって活動を行ってまいりました。その中で感じたことは、ラオス人自身が「教育は子どもたちの将来を左右するものである」と理解して、積極的に教育を推進していく姿勢が重要であるということです。シャンティがラオスでよい活動を行っていいくためには、現地職員が主体的になって取り組むことが非常に重要であると思います。今後もラオスの活動にご理解・ご協力をいただけますと幸いです。

谷島:今日のイベントを通して、その時々で現地のニーズに寄り添いながら事業を進めてきた苦労を知り、これからの事業運営を現地職員と共に考えていきたいと改めて思いました。このたび、ラオス事務所の大きな節目の年に所長という役割を担い身の引き締まる思いです。引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。

※イベントの様子は、シャンティのYouTubeチャンネルにて一般公開されておりますので、どうぞご覧ください。

広報・リレーションズ課 佐々木