スマトラ沖大地震から20年 防災教育の徹底と逃げる勇気
(バーンムアン地区の被災状況)
20年前の2004年12月26日、インド洋スマトラ沖で巨大地震が発生し、未曾有の大津波が世界に広がった。マグニチュード9.1、震源域の長さは千数百キロに達し、被害はインドネシア、タイ、スリランカ、インド周辺やアフリカにまで及んだ。
(寺院に避難した住民)
120万人以上が被災し、死者や行方不明者数は30万人以上。当時私がいたタイの南部パンガー、クラビー、プーケットなどでも観光客を含む5,300人以上が亡くなった。改めてご冥福をお祈りしたい。
発災から3日後、写真家の瀬戸正夫さんとスタッフ数名とで救援物資を詰め込んでバンコクから車を飛ばし、パンガー市内の寺院を訪ねた時の光景は今でも忘れられない。
街全体に漂う異臭。
境内は遺体で埋め尽くされ、大きな欧米人を運ぶボランティアたちの姿があった。
生き延びた人の証言から、その多くが津波から逃げずに海に向かったことが分かった。
(支援物資を渡す筆者)
かくいう私も、阪神淡路大震災以降アジア各地の被災地に出向いたが、「津波」には無知だった。
後に東日本大震災で大きな被害が出たが、「釜石の軌跡」は群馬大学の片田敏孝教授(当時)が20年前にインドの被災地で同様の体験をしたことがきっかけだった。
彼は逃げなかった被災者の体験を日本に焼き写し、発災の数年前から「津波てんでんこ」と呼ばれる「防災教育」を小学校で徹底していた。
(シャンティが出版した絵本『稲村の火』撮影:瀬戸正夫)
力及ばず遅きに失したが、シャンティは緊急救援と併せて防災教育の一貫で和歌山県広川町に伝わる「稲村の火」を題材にタイ語の絵本を出版し、被災した小学校などに配布した。改めてあの日の地震と津波の恐ろしさを回想し、逃げる勇気を忘れまい。
副会長
秦 辰也
2004年スマトラ島沖地震・津波災害支援
シャンティとシーカーアジア財団が連携した行った主な活動
1.被災者500人への物資支援
2.避難所設営用の機材・物資提供
3.小中学生への学用品の提供
4.「おはなしキャラバン」活動(巡回移動図書館活動)
5.仮設および常設図書館の建設、開設
6.移動図書館車の製作、運行
7.『稲村の火』のタイ語絵本を出版
8.奨学金の供与
9.仮設保育園の支援
移動図書館車両の製作と運行
被災を受けた場所は現在、津波メモリアル公園として当時の様子を伝えている