2026.01.17
メッセージ

あの日の記憶は、今も生きている――阪神・淡路大震災から31年。

メッセージ
国内災害

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。
公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(当時:曹洞宗国際ボランティア会)は、海外での教育支援を主な活動とする団体でありながら、この未曽有の災害を前に、初めて国内での緊急人道支援に踏み出しました。

写真:被害を受けた家屋

できない理由ではなく、できることを考える支援へ
当時のシャンティは、人材的にも財政的にも決して余裕のある状況ではありませんでした。それでも、「何ができるかわからないからこそ、できない理由ではなく、できることを考えよう」という思いのもと、被災地・神戸に入りました。その活動を力強く支えたのが、曹洞宗関係者との連携でした。全国曹洞宗青年会や両本山、各地の僧侶とのネットワークにより、活動拠点の確保、物資の迅速な供給、そして大規模な炊き出しが実現しました。「炊き出しといえば曹洞宗」と言われるほど、宗門とNGOの協働は、被災地で確かな役割を果たしていったのです。

写真:炊き出しボランティアの活動風景

30年を経て神戸で行われた人権研修
あれから30年が経過した昨年2月、「『ひと』と『まち』神戸の震災と復興」と題した、曹洞宗東京都宗務所主催の人権研修が神戸で行われました。当時、現地責任者として活動した市川も同行しました。研修では、震災当時を知る方々の語りや、被災地を歩くフィールドワークを通して、復興の歩みとともに、今なお残る課題に向き合う時間が持たれました。

写真:研修の様子

参加者の言葉に刻まれた気づき
参加者からは、さまざまな思いが語られました。
「被災した方の気持ち、そして救えなかった側の気持ち。そのどちらも消化しきれないのは当然だと思った」。
また別の参加者は、「防災にゴールはなく、備え続けること、そして被害を減らす“減災”の視点が大切だと気づかされた」と話していました。
「宗教者は正しい答えを示す存在ではなく、弱っている人に寄り添う存在だ」という言葉は、多くの参加者の胸に深く刻まれました。

野島断層保存館で聞いた、救えなかった命の記憶
研修の最後に訪れた北淡震災記念公園・野島断層保存館では、当時の消防団員の方から講話を拝聴する機会がありました。旧北淡町では震災により39人が亡くなり、そのうち1人は火災による犠牲でした。
消防団員が駆けつけた際、倒壊した家の下には母親が生き埋めになっており、「助けて!」というはっきりとした声が聞こえたそうです。しかし、ちょうど朝食の準備中であったことから火が建物に引火し、近隣住民や消防団が懸命に救出を試みたものの、激しい火の手と断水により、目の前で炎は燃え広がっていきました。
「助けて」という声は、やがて「熱い、熱い」に変わり、次第に弱まり、ついには何も聞こえなくなった――。消防団員の方は、救えるはずだった命を救えなかったことが、今も昨日のことのように思い出され、決して忘れることはできないと語られました。

その言葉は、今もなお、その方の心の傷として残り続けています。街は復興し、風景は一変しても、人の中に刻まれた記憶や後悔、悲しみは、簡単に消えるものではありません。

災害が問いかける、宗教者と社会の役割
阪神・淡路大震災は、日本のボランティア活動や市民社会の在り方を大きく変えた災害でした。同時に、日本における都市型直下地震の深刻さを強く突きつけた出来事でもあります。今回の研修参加者は東京都の僧侶の方々でしたが、大都市で大規模災害が起きたとき、宗教者として、また宗教施設として何ができるのかを改めて考える機会になったのではないかと思います。

1.17は、未来を考える日
1.17は、過去を悼む日であると同時に、今を見つめ、未来を考える日です。
あの日の記憶と教訓を決して風化させることなく、私たちはこれからも歩み続けていきます。

国内事業課シニアスタッフ
(元神戸事務所長)
市川 斉