2021.09.11
メッセージ

【アフガニスタン】子どもたちの手で育まれた「子ども図書館」

メッセージ

20年前の9月11日、私はバンコクで友人から一本の電話を受けました。
「すぐテレビをつけて!」
友人から急かされるままにテレビをつけると、2機目の飛行機が米国のワールドトレードセンターに墜落していく様子が放送されていました。人々の叫び声が聞こえ、あまりにも現実離れした光景に誰もが声を発することなく、くぎ付けになっていました。
翌日からは、「アフガニスタン」という国名が、新聞やテレビで繰り返し聞こえてくるようになりました。
同時に、ひげ面の男性たちがシャルワカミーズを着て足元はサンダル、手にはカラシニコフを持ち、カメラを凝視する姿が映し出されていました。場面が切り替わると、長年続いた紛争により破壊し尽くされた街並み。どれも過去の古い映像のように感じましたが、当時のアフガニスタンの姿だと知った時、理解が追いつきませんでした。
そして、これだけメディアが発展している21世紀において、だれも「今」を知らない、そんな忘れられた国があったことに衝撃を受けました。
緑はなく土埃が舞うアフガニスタンの茶色い大地で、破壊された建物しか残されていないような中、子どもたちはどんな風に暮らしているのだろうか。
それからの私は何かに惹きつけられるように、アフガニスタンの文献を読み漁る日々を過ごしました。

アフガニスタンに降り立つ
当時バンコクで一緒に働いていた八木澤(現シャンティ アジア地域ディレクター)からある日、「アフガニスタンに行きませんか。教育支援です」と問われ、気がつけば二つ返事で「行きます」と答えていました。その直後、日本にいる家族への相談も忘れて旅支度を始めました。
日本ではそのころ、アフガニスタンの復興支援を、日本政府、国連、NGOが連携して行うという画期的な取り組みが注目されていたようですが、私はそのことについてあまり知らず、すぐにバンコクからパキスタンに向かいました。
子どもたちがどうしているのか知りたい、その一心でした。

初めてアフガニスタンの地を踏んだ時のことは今でも覚えています。
舗装されていない滑走路に、プロペラ機が降り立ち、強風にスカーフが舞い上がってしまうのを一生懸命抑えていました。空港では兵士たちの鋭い目が一斉に私たちに向けられました。咄嗟に少し足がすくんだのを覚えています。


(撮影:川畑嘉文、2008年)

子どもたちの手で育まれた「子ども図書館」
アフガニスタンでは、子どもたちが学校に通えることを目的とした事業に関わることになりました。学校への支援事業を行うかたわら、通勤時や移動時に見る路上で働く子どもたちのことが気がかりでした。たくさんの子どもたちが、朝から晩まで働いていました。どの子の顔も険しく、大人と同じように働くために気丈に振る舞っていました。
そしてどの子も、子どもらしさを失っていました。
彼らの顔を見ながら、一瞬でも彼らが子どもらしくいられる場所をつくりたい、そのような思いで子ども図書館を設立しました。

当時、アフガニスタンで図書館と呼べる場所はなく、図書館に適した建物もありませんでした。何とか探し出した場所は、今にも壁が崩れそうな民家の1室でした。その部屋を借り、職員と一緒に作った本棚に必死にかき集めた50冊ほどの子ども向けの本を用意しました。そして、子どもたち向けの読み聞かせやゲームなどの活動を考え、開館に向けて職員たちと練習を繰り返しました。

あとから知ったのですが、治安不安が懸念される中での開館であったため、職員は事前に地域の長老やリーダー、周辺の家々一軒一軒をまわり、「私たちは外国の文化を押し付けようとしているわけではない、ただ子どもたちのために何かしたいのです」と、図書館開館の必要性を必死に伝えたそうです。

こうした職員の熱意のおかげで無事に開館日を迎えました。最初は数人の子どもたちが恐る恐る外からのぞいていました。その子たちが常連になり、20名程度が利用してくれれば良いと思っていたところ、あっという間に100名をこえる子どもたちで部屋はすし詰め状態になりました。
初めての「図書館」に子どもたちは興味深々でした。一方職員は、読み聞かせやゲームの最中にけんかが始まったり、子どもたちのことをうまく理解できなかったり、終始子どもたちの興奮を抑えようと声を張り上げ、次第にお手上げ、という顔で苦笑いを浮かべていました。
図書館に通っていた多くの子どもは読み書きができません。絵本を見るのも初めてです。逆さにしてみたり、絵を眺めたり。「この子を見ていてください」と連れてきた妹を大人に預けて、図書館での活動に夢中になる子もいました。

子ども図書館は子どもたちの提案をたくさん取り入れて運営され、子どもたちの手で発展していきました。中には、ごみ拾いの最中に少しだけ図書館によってくれる子どもたちもいました。それまで険しい表情だったのが、子ども図書館に入ると途端に子どもの顔に戻ります。甘えた感じで先生に読み聞かせをせがみます。疲れて図書館で眠ってしまう子もいました。そして、時間になると再び険しい顔をして、生活のために道に出ていくのです。換金できる鉄くずを拾う子どもたちが誤って不発弾を拾ってしまい、命を落としたり怪我をしたり、そんなニュースに胸が痛み、図書館でそういった子どもたちに不発弾の怖さを教える活動も行いました。

子ども図書館の空間は、緊張感あふれる外とは異なり、穏やかな時間が流れているようでした。それでも、時折聞こえる銃声や砲弾、ミサイルの着弾音に子どもたちは、不安な顔を見せ、怖くて泣いてしまう子もいました。
残念ながら、子どもたちの思いに反して、アフガニスタンの治安は日増しに悪化していったのです

壊されたって、またつくるんだよ
今でも忘れられないエピソードがあります。
ある日、子どもたちが図書館でけんかをしていました。
タリバンがやってきて子ども図書館を燃やしてしまうに違いないという男児に、女児たちが反発していました。子どもたちは、学校が襲撃されたり、治安不安が続く中で、希望を持てずにいました。
「どうせ子ども図書館もなくなってしまうに違いない」
本当はそうなって欲しくない気持ちとは裏腹に、不安を口にしてしまったのです。

その時、一人の女児がむきになって言い返していました。
「いいんだよ、壊されたったってまたつくればいいんだよ。この日本人たちは手伝ってくれるんだよ。壊されたって壊されたって、またつくるんだよ」
興奮して言い終わると、「ね、そうでしょう?」と確認するように私の方を見ました。私はこみ上げる涙を抑えながら、「そうだよ、みんなでまたつくろう、何度も作ろう」と言いました。それを聞いた子どもたちは、安心したようにまた遊びに戻っていきました。

この20年間、子ども図書館を訪れた多くの子どもたちは成長し、国を良くしたいとさまざまな職業についています。
残念ながら、2021年8月16日のタリバン制圧後から子ども図書館は閉館しています。
私は今、子どもたちとの「また、つくろう」という約束が守れないのではないかと不安に駆られています。同時に私たち大人が、子どもたちの未来への希望を奪ってしまったらどうなるのか、そう思うと胸が張り裂けそうになります。
あの時の子のように「ね、そうでしょう?」と、私たちにたくさんの子どもの目が向いているように思えるのです。

私は6年間のアフガニスタン滞在中に、多くの子どもたちが貧しさ故に民兵になっていくのを見ました。食料に困窮する人たちやその子どもたちを、テロリストたちが食料を渡す代わりに兵士に勧誘しているという話を聞きました。
外の世界を知らない女児たちは、これが自分の運命だと、自分の不安を声に上げることすらできません。

どうか、アフガニスタンの子どもたちを見捨てないでください。
自分の未来を切り開くことができると、子どもたちが目を輝かせることができるように。
その機会が守られ、未来を信じて生きていけるように。
そんな子どもたちがいつかアフガニスタンを平和な国へ導いてくれると信じています。

シャンティは、皆様の温かいご支援とご協力の下、これからもアフガニスタンでの活動を継続してまいります。引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


(写真:子ども図書館にて。2005年)

事務局長
山本 英里