日本社会で暮らすということ
地球市民事業課で外国ルーツの子ども支援事業を担当している加藤です。
前回の記事では、私が在日外国人の方々が日本で抱える問題に関心をもつようになったきっかけと、シャンティ入職前に行っていたスペイン語の生活相談支援員を始めたいきさつについて書きました。(詳しくはこちら→ https://sva-old.skr.jp/wp/?p=40148)今回は生活相談支援員の時の経験、そして、そこからシャンティ入職に至るまでの経緯について書きます。
生活相談員としての経験
生活相談支援員としての仕事はボランティアといえども厳しいものでした。「生活」という言葉の裏には、その人が生きてきた生活のすべてが関係しています。一口に「生活相談」といっても非常に多岐にわたる相談と向き合うことになりました。
相談者からは、在留資格や日本人との結婚・離婚の手続き、労働争議、健康保険や国民年金の手続きに関する問い合わせが来ます。こういった問い合わせに対応するには、日本の法律や社会保険制度の知識、そしてそれをスペイン語で伝える語彙力が必要です。時には相談者の出身国の法律まで知らないと対処できない問題もあります。非常に深刻な問題が多く、当時私はここで手痛い失敗をしてしまいます。
まだ20代で人生経験の少なかった私は、こういった問題をまるで自分事のように捉えてしまい、苦しくなってしまったのです。「相談者に感情移入しないこと」と最初に先輩スタッフから言われていたのに感情移入してしまった結果でした。私はこの時、一旦現場を離れましたが、必ず自分自身が経験や知識を身につけてもう一度現場に戻ると誓い、また30代半ばごろからスペイン語の生活相談支援員を始めました。
日本社会で暮らすということ・・・
同時に、外国人の同行通訳支援も行うようになりました。同行通訳とは、行政手続きや学校の三者面談、病院の診察などに行く際に、日本語の分からない外国人の方々に付き添い担当者との間で通訳をするものです。時には手術室の中に入り、医師との間で通訳したこともあります。
彼らにとって、異国の地で自分の言葉を理解してくれる人がその場に一人でもいたら、それがどれほどの安心感につながるか想像に難くありません。また、言葉が分からないということが、いかに彼らの社会参加のバリアになっているかを目の当たりにしてきました。こういった問題にもっと深く関わりたいと思うようになった時に、偶然シャンティ国際ボランティア会の求人募集を目にし就職しました。
日本語が理解できないというだけで、限られた職種の仕事しか見つからず、学校では学業についていけず、病院に行けず健康維持にも困難をきたします。そうなると一人ひとりの能力が発揮できず、生活の質を下げざるを得ない状況になります。
日本社会において、彼らが少しでも彼らの理解できる言語で情報にアクセスでき、自分たちで人生を選択していける社会になればいいなと心から願います。