2011.12.12
読み物

タイ・ミャンマー友好橋が再開

ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ

こんにちは。ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所の小野です。


12月5日はプミポン国王の84歳の誕生日。テレビでは、療養中の病院から式典会場まで、バンコク市民の熱烈な歓迎を受けながら王妃と共に移動、恒例の演説シーンが映し出されました。国王はもともとタイ全土をくまなく歩き、治水に関しても相当の見識をお持ちの方で、洪水の被害に対して一致団結して当たるよう説かれました。

さて、この日、タイの最も西にあるメーソットでもちょっとした出来事がありました。1年5ヶ月の間、閉鎖されていたタイ・ミャンマー友好橋が再開されたのです。実は、私は前日のテレビニュースで知ったのですが、当日、現地に行ってみるとやはり橋の通行は再開されていました。 といっても、ほとんどの車両、人はミャンマー・ミヤワディ側からでしたが。

タイ・メーソット側のゲート。ミヤワディからの乗り合いバスは旧型トヨタハイエース!

 

ゲートを出る前に入国審査に並ぶ

 

お坊さんはミャンマー側へ行く?戻る?

 

 

昨年7月タイ側がミャンマー(ビルマ)側に断りなしに護岸工事を開始したことをきっかけに閉鎖が決定されましたが、なぜそれほど長期化しているのか謎でした。タイとの国境貿易で稼ぐ反政府勢力のカレン仏教徒軍(DKBA)を封じる策だったという話もありますが、友好橋の上流下流ではボートでの物資や人の移動は通常どおり継続されていたので決定的な打撃にはならなかったはず。

 

橋の近くではボートの渡しも活躍

 

閉鎖当時は軍政であったミャンマー(ビルマ)も、昨年11月に総選挙が実施され、正式に民政に移管されました。当初は軍事政権時代の首相だったテイン・セイン大統領は、メディア規制の緩和、集会・デモの容認、政治犯の釈放、住民が反対する中国支援の巨大ダム建設の凍結など、様々な民主化政策を打ち出しました。

 

テイン・セイン大統領

 

2014年のアセアン議長国にも内定し、過日はクリントン国務長官の来訪もあり、経済制裁解除に向けた改革路線も活性化しているようです。 総選挙直後に解放されたアウンサンスーチーさんも、国民民主連盟(NLD)の政党再登録によって連邦議会の補選に出馬しようという動きもあり、国民の間にますます民主化ムードが広がっています。

今回の友好橋再開もそんな一連の民主化の流れにある出来事とも考えられます。話によると、友好橋の向こう側のミヤワディの市民もこの民主化にはかなりの期待を寄せており、そうした雰囲気はこちら側の難民キャンプの住民にもあります。NGO間でも、今度こそ難民キャンプの閉鎖と難民帰還がいよいよ始まるのではないかと、新たな動きに対応するための議論も始まっています。


実際、政府とカレン民主同盟(KNU)代表との間でも停戦合意に向けた話合いが始まり、この調子でトントンと安全な定住予定地が確保されるまでしっかりと進めてもらいたいものです。といっても実際の帰還プロセスには、それ相当の年数がかかるかと思われますが・・・。


2012年以降も、ミャンマー(ビルマ)国内はもとより、国境の情勢も話題に欠かない年になると思います。皆様もどうぞご注目の程!

以上、小野でした。