2025.06.05

メラアルマン難民キャンプの歩み

ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ
図書館
活動風景

こんにちは、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ事業事務所のウェンです。

前回はタイ・ミャンマー国境沿いのキャンプの最大のキャンプであるメラ難民キャンプの歴史をご紹介しましたが、今回はメーホーソン県の深い森の中にあるメラマルアン難民キャンプの歩みを見ていきたいと思います。

メラアルマン難民キャンプは1995年の2月に設立されました。当時はミャンマー国軍、武装民兵組織のDKBA(民主カレン慈善軍)、反政府組織のカレン民族同盟の紛争中であり、タイ側に越境した3~4,000人の人々が当難民キャンプに身を寄せました。生活はとても厳しいものでした。1995年5月にキャンプはDKBAの襲撃にも遭い、キャンプの多くが焼き払われるという悲しい事件もありました。それでも人々はキャンプに残り、生活を立て直そうと努力をしていきました。

メラアルマン難民キャンプの入り口

2008年に第三国定住制度が始まりました。第三国定住制度とは、難民の出身国でも一次庇護国でもない第三の国へ再定住させる支援プログラムです。メラアルマン難民キャンプから最初に第三国定住制度で受け入れた国はノルウェーでした。それから約13,000人の人々が新しい人生を始めるために様々な第三国へ出発していきました。

メラアルマン難民キャンプは現在9つの地区に分かれています。カレン難民委員会、UNHCR、そして様々な国際組織が食料、医療、教育等の支援を行っていますが、生活は厳しいものです。キャンプの外に出ることは許されていないことから、キャンプ外での賃金労働はできません。将来への夢や希望を見出しにくいため、薬物依存や自殺等の精神不安もつながるケースも見られます。多くの人々は再定住の機会を待ち望んでいます。(カレン難民委員会50周年記念冊子より)

シャンティは2000年9月にメーホーソン県にメーサリアン事務所を開設しました。そして翌年、メラアルマン難民キャンプに3つのコミュニティ図書館を開設しました。図書館は竹やユーカリやバイ・トン・トゥエン(乾燥させた大きな葉)などの自然素材を使って建てられた簡素なものでしたが、すぐに人々が集まる温かい笑いが絶えない居場所となりました。その後図書館は5つまで増設された時期もありましたが、現在は資金不足のため運営している図書館は3つだけとなっています。それでもコミュニティ図書館は人々の心の拠り所となり続けています。憩いの場、学び集う場、そして外の世界を知り将来を描ける場所として、今日もキャンプで重要な役割を果たしています。

初期に建てられたコミュニティ図書館

シャンティがメラアルマン難民キャンプで活動を始めた初期の頃のエピソードをお伝えしましょう。メーサリアン事務所からキャンプまでは、山道を車で約3時間かかります。道順を知っているスタッフも限られ、舗装されていないジャングルの様な山の中を進むのは、毎回手に汗を握る冒険でした。移動用の4WDの車にはいつもウインチを乗せていました。雨季に道路の状態が悪く、車が泥の中にはまってしまった際にはそのウインチで、時にはチェーンも使って車を引っ張り出しました。私の同僚はキャンプに向かう時は覚悟を決め、前と同じ場所を通る度に少しほっとし、そしてまた車は大丈夫か、最後までたどり着くか、ずっと心配をしていたと言っていました。

過酷なキャンプへの道

そのような過酷な旅を経て、やっと難民キャンプに着くと、図書館員や図書館委員会の皆さんをはじめ、多くの人々が私たちを温かく出迎えてくれました。持参した本や様々な物資を嬉しそうに受け取り、人々が私たちをずっと待ち望んでいたという気持ちが伝わりました。その瞬間、大変だった道中の苦労も一気に吹っ飛びます。私たちは難民キャンプに無事に着くことができ、そのコミュニティを支援することができて、ただただ幸せでした。

コミュニティ図書館でのアクティビティ

次回はメラアルマン難民キャンプからさらに1時間車でかかるメラウ難民キャンプのことをお伝えしようと思います。

ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所 ウェン