2022.07.28
シャンティな人たち

”共に生き、共に学ぶ“ お互いに笑顔が生まれる世界を目指して_岡本和幸

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現在ではアジアの8地域で活動に取り組むシャンティ国際ボランティア会は、1981年にカンボジア難民の緊急救援活動を契機に設立しました。2021年には40周年を迎えるシャンティにおいて、設立当初から今までを知り、現在では専務理事を務める岡本和幸(おかもと わこう)が想いを語ります。


シャンティ国際ボランティア会
専務理事 岡本和幸(おかもと わこう)


自分には何ができるのか?―思い出したシャンティの存在

今から遡ること46年前、1975年のベトナム戦争終結前後、ベトナム・ラオス・カンボジアの“インドシナ3国”では新しい政治体制が発足し、弾圧を受けるなどした数多くの人々が、その後数年にわたり国外へ脱出し、「インドシナ難民」としてアジア各国で増えていきました。彼らは陸路のみならず、海路での脱出も試み、こうした「ボートピープル」と呼ばれた人々は、過酷な漂流を乗り越え、ついには日本にもたどり着いているような状況でした。そんな情勢を受け、当時日本でもインドシナ難民の支援を行うため数多くの団体が生まれ、その1つが「曹洞宗ボランティア会」、のちのシャンティでした。

岡本「大学在学中からシャンティの存在は知っていましたが、その頃まだお寺に住み込みで修業の身だったこともあり、特に活動に関わることはありませんでした。

そこから本山での修行や曹洞宗の教化研修所を経て、26歳の時に東京都内のお寺へ修行に入りました。現代美術の美術館を持っているような面白いお寺で、文化・芸術に関する活動のほか、環境問題への取り組みなどもしていました。そこでいきなり“文化活動の担当をやれ”と言われたんです。」

突然のお寺の文化局担当就任に何をすればいいかわからなかった岡本は、お寺としてできることを考えた時に、ふとシャンティの存在を思い出しました。

岡本「早速シャンティの事務所へ行きました。そこで出会ったのが、今は地球市民事業課の課長をやっている市川さん。当時は入職したばかりの職員でした。

私はその当時、仏教やお寺は何ができるのか?仏教は今の時代に必要とされているのか?と悩んでいて、私自身は覚えていないのですが、市川さん曰くシャンティ事務所で2時間ぐらい仏教のことを熱く語ったそうなんです。

そうしたら、創始者である有馬さんが“とにかく現場に行って見てきたらどうだ”とアドバイスをくれて、カンボジア視察に同行させていただくことになりました。」

岡本にとって初めてのカンボジア。訪問した1993年は、国連カンボジア暫定統治機構が存在し、初めて総選挙が行われた年でした。そして、この時のカンボジア訪問が岡本にとって大きな契機となります。

岡本「その時の私はインドシナ難民がどのような存在かも知らず、シャンティが何をやっているかもよく知らない状態でした。カンボジアでは毎日ミーティングをして、現場の状況を見て回る……。ところが、私は一言も話せない。わからない。これはいかんな、と思ったのがきっかけですね。」

 


1990年のプノンペン市内の様子

シャンティでの活動を深めることになったミャンマーとの縁

カンボジアから帰ってきた岡本はシャンティの取り組みについて学ぶとともに、若手僧侶の自分にできることとして、修行していたお寺で「アジア祭り」を開催することを決めました。開催に至った理由としては、当時日本に増えていたタイの人たちに、お寺が祈りの場を提供することはできると考えていたのがひとつ。そしてもうひとつは、シャンティ事務所で出会った市川さんからの誘いでした。

岡本 「シャンティと協力してアジア祭りを開催するようになって、アジア各国の人と出会うようになりました。日本の在日タイ学生協会ともつながって、タイからの留学生と共同開催したこともありましたね。

ある年は、タイで古くから続いているお祭りで水に感謝して灯籠(クラトン)を川に流す、 “ロイクラトン”というものがあるのですが、これをお寺の池で再現したりもしましたよ。」

「アジア祭り」は年に1度、全部で7回開催し、日本に住むタイ人同士が久しぶりに再会できるだけでなく、国籍関係なく色々な人とコミュニケーションできる機会でもありました。

ここまでシャンティの存在を以前から知り、長らく関わっているように見えますが、理事として組織運営に関わるようになったのは2015年からのこと。2015年から理事、そして2017年からは専務理事を務めています。

岡本「シャンティのことは長らく会員として応援はしていましたが、そのほかはアジア祭りを連携して開催するぐらいでした。

そこから理事になったのは、ミャンマーとのご縁からです。5歳の時に亡くなった父が昭和30年代にミャンマー(ビルマ)に1年半ほど僧侶として留学していたという話を聞いていたので、ミャンマーに行ってみたいと関心を持っていましたし、想いもありました。

そうしたら、シャンティからちょうど連絡があって、ミャンマーで絵本を出したいから協力してほしい、というわけです。それならば、と少しずつ関わるようになって、2015年に理事になりました。この時相談があったのがミャンマーではなければ、ここまで関わるようにはなっていなかったかもしれませんね(笑)」

岡本が理事として関わるようになったころ、シャンティ35周年を記念して、ラオスから1人の女性が来日しました。その女性、スニター・ピンマソンさんは、シャンティが運営協力をしていたラオスの図書館に通い、学びを深めたことで、今ではラオスの国営テレビ局のアナウンサーとして活躍しています。そんな彼女は子どもの頃、シャンティが日本で開催していた各国の子どもが集まり、相互理解を深めるイベント「アジア子ども文化祭」に参加していました。そして、なんと当時「アジア子ども文化祭」に協力していた岡本が中心になって行った千葉県でのホームステイにも参加していたのです。

岡本「それを聞いた時はとても驚きました。あの時の子どもがこうしておとなになって、日本に来て、シャンティの35周年イベントで皆さんの前に立って日本での思い出を話してくれて……。当時の写真も持ってきていました。その時に、こういう活動をやっていてよかったな、と思いましたね。

当時企画を進める時に、千葉県内の青年僧たちに協力してくれるようによびかけたんです。日本を訪れたことやホームステイをしたことを、私たちおとなは忘れてしまうかもしれないけれど、子どもたちにとっては一生の思い出になるはず、だからみんなやろうよって。

出会いは一瞬ですからね。でも、その出会いを覚えてくれていたとわかったときに、あの時やったことは確かに良いことだったと確認できるのだと思いました。」


お寺で開催したアジア祭りの様子

シャンティの大事なミッションは、現地の声を届けること

自らを「国際協力のプロではない」と言う岡本ですが、専務理事として団体の方向性を決定する立場を担っています。団体の次の一歩を決める上で、軸として持っているのは、将来がよくなるように、そして出来る限り多くの人が納得し、みんなに笑顔が増えること。そして、こうした決断をする場面で頭に思い浮かぶのは、何よりも支援者の皆さんの顔だと話します。

岡本「現地の人が喜ぶのは当たり前。なにより、現地の人が喜ばないような仕事は、シャンティの職員はするはずもありません。

ただしその一方で、現地の人だけが喜ぶだけでは、少し足りません。我々の活動は支援者の皆さんあってのものですし、市民社会の一部として存在しているからこそシャンティは活動を続けることができています。世界がより良くなるように、そして社会の方々が納得できるような決定をしていかないといけないと日頃から心に留めています。」

その一方、支援者の方とコミュニケーションする上で、事業内容や活動現場について伝えることの困難も感じると話します。

岡本「やはり現場に行かないと何をやっているかわかりにくい仕事なんです。一言で、学校を建設してる、図書館を運営してる、と言われてもあまりピンときませんよね。

現地に行って実際に見たら、こんな山を越えて、危ない道を走って、現地の人といろんな話をしながら方向性を見つけ出して、仲間になって、友だちになって…。さらに学校の先生とも協力しながら、少しでも子どもたちが良い環境で勉強できるように…と、少しずつ進めていくわけです。

いろんな考えや価値観の人が現場にいるなかで、これらを進めていくことは本当に大変で。さらにこの実際に取り組んでいることを、日本の支援者の皆さん、ひいては日本社会に伝えるということは、さらに大変。いま、シャンティにとって一番大事なミッションだと思っています。」

困難がありながらも多くの支援を受け、今に至るまで活動を継続できているその背景には、シャンティの創始者が理念を明確にし、継続支援を目指した体制構築に取り組み、理念に共鳴する人たちが大勢いたことが大きいのではないかと考えています。

岡本「シャンティは最初からやっていることがブレていないと思います。まず、文明を押し付けようという価値観は排除して、現場の人々の人格を尊重すること。次に、民族の尊厳を守り、それぞれの文化を保護し、教育環境の整備に特化して、高い専門性を持って活動を続けているからだと思います。」

そして、こうした団体設立当初からの理念を受け継ぎ、体制構築しながら脈々と受け継がれるシャンティらしさが、シャンティ職員の真剣な想いや、やる気のある目につながっていると岡本は話します。

岡本「特に海外事務所で働く現地職員と話すと、国に対する想い、周りの人々に対する想いがとても強くて。その想いを聞いた時に、やっぱりやりがいのある仕事だな、と思いますね。」

スタッフインタビュー_岡本専務
ミャンマーを訪問した時の岡本(2017年)

「まだ」40年。100年単位で考えていく

40周年を迎えたシャンティですが、決して団体存続は目的ではなく、創設当初から少しでも早くシャンティが必要のない社会になることを目指しています。

岡本「必要のない状態が一番理想ですが、社会から問題がなくなることはおそらくないと思います。これだけ繁栄しているのに、貧困や社会課題がなくなることはないですし、きっと100年後も今と同じように存在します。だからこそ、社会課題を改善していこうという想いを持つ人たちの集団は絶対に必要だと思います。

そういう意味では、100年後も継続して活動に取り組んでいくための、ひとつの節目というだけで、シャンティもまだまだ40年ですね。」

シャンティが大切にしているのは、“共に生き、共に学ぶ”という使命。昨今のように世界が同じ脅威にさらされている状況においても、人々は関わり合いのなかでしか生きていくことはできません。

岡本「”共に生き、共に学ぶ“、つまり関わり合いの中でこそ人は生きていけるという感性をしっかり持ちながら、国内だけではなく海外の人たちともお互いに笑顔になれるような活動をしている団体は、社会にとって必要だと考えています。

この関わり合いがなくなってしまうと、海外の人たちの顔や心が全然見えなくなり、ただモノのやりとりをしている世界になってしまう…。ところが、彼らにもきちんと感情があって、悩んでいることがあって、将来を夢みています。そういった、顔がみえる、心がみえるような活動を続けていく存在として、これからも努力を続けていきたいですね。」

全ての人が心穏やかに、“共に生き、共に学ぶ”ことのできる社会を目指して、シャンティの活動はこれからも続いていきます。


タイ国境の難民キャンプで開催された難民子ども文化祭にて(2018年11月)


平成30年7月豪雨(西日本水害)の被災現場にて(2018年7月)

 

 

プロフィール 岡本 和幸(おかもと わこう)

広島県出身。
東京都新宿区の東長寺にて都市寺院のあり方を模索し、「寺小屋教室」「東長寺アジア祭り」などを主催、千葉県真光寺では樹木葬墓苑開設、里山の再生活動を行う。また上総自然学校を開設。荒れた棚田を再生し、田んぼの学校を主催、無農薬でお米を育て、里山里田の絶滅危惧種の調査、保全活動も行っている。
2017年より専務理事(現職)

企画・編集:広報・リレーションズ課 鈴木晶子
インタビュー・執筆:高橋明日香
インタビュー実施:2020年8月20日