ミャンマー 日本の若者の夢や希望を奪った、2月1日
ミャンマー事務所の市川です。コロナ禍感染拡大と国軍クーデターの影響で、昨年4月から、日本から遠隔での事業調整を続けています。前回は、ミャンマー人の若者の想い(デモクラシーを守る最後の闘い」 ミャンマーの若者の想いは今)について、書かせていただきました。
ピィのイラワジ川で見た反薄明光線を放つ夕陽。今でも眼に焼き付いています
「父がお世話になっています」
ミャンマー赴任して間もない一昨年の8月のことでした。同僚の引っ越し祝いの手伝いでぎょうざを焼いていたら、「父がお世話になっています。息子の田村啓です」と、声をかけられて、ドキッと振り返りました。まさか、ヤンゴンから北に6時間の(ミャンマー事務所がある)ピィで、日本語で話しかけられて驚き。田村さんのお父様は、当会の長年の会員で、タイ・スラムの住民図書館に通い、外交官になったオラタイさん(「【タイ】オラタイさん~スラムの図書館からタイの外交官に」を参照)を日本に招聘する際にご尽力をいただきました。また、1995年の阪神淡路大震災では、活動で疲れ果てた大学生ボランティアを自宅で招いてお世話いただきました。まさか、こんなところでご子息と初対面するとは、人生のご縁を感じました。
右が田村啓さん
ミャンマーは日本人若手起業家の宝庫
そのご縁で、日本の若者がボランティアベースで開催しているイベントに参加させていただきました。そのイベントは、子どもが作ったプログラミングで動くPC動画や、ポスターを競うもの。裏方で頑張っていた20~30代前半の日本人とは、例えば、
・大手生命保険会社を退職して、ヘビーブロガーやカメラマンで活動する30代男性
・国際協力事業のアシスタントで地下水のヒ素汚染問題解決に関わる20代女子学生
・大学卒業後日本で農業を勉強して生産物の流通に関わり、ヤンゴンで和菓子屋をする20代男性
・このイベントを手掛けるNPO運営で大学を休学してミャンマーにいる20代女性
私も若い人に交じってボランティアをさせていただきました。満員盛況のイベント
その後、ミャンマーで、若手日本人の様々な社会起業家ともお会いする機会もあり、こんなに多くの若い人が、活躍されていることに驚きました。皆さんをご紹介いただいた田村さんも、人材育成・紹介、日本への人材派遣等する若手経営者でもありました。彼らと話していると、環境が厳しいながらも、ビジネスというより、ミャンマーの社会の発展に貢献したいという熱い思いと明確なビジョンをもち活動されていて、その姿は、ショックを通り越し、衝撃でした。
ミャンマー人だけなく、日本人の若者の夢を奪った国軍のクーデター
しかし、2月1日。ミャンマー人の若者の夢や希望だけでなく、ミャンマーにいる日本人の若者の人生を大きく変えた日でもありました。
田村さんら若手起業家の皆さんは、クラウドファンディングで資金調達をして、食料支援を開始。目標の300万円を3日間で突破し、最終的には1,500万円以上を集めました。そして、ミャンマー人のボランティア団体共に、地方で食糧支援活動を展開されました。
しかし、この食糧支援が、ミャンマー人の中で、感謝の言葉と共に、「国軍の圧政で貧困にあえぐミャンマー人の抵抗運動を支援する日本人の活動」とSNS上に話題になったため、国軍からもマークされているという情報が飛び交ったため、先月、帰国されました。先日、お会いした際「会社は一度退職して、ミャンマーで多くの人を長期的に支援するために、ブロックチェーンを研究したい、そのため、大学院に行き、金融工学(MBAとファイナンス)を学びます」と語った田村さん。このような状況にも屈せず、次の目標にむけて熱く語る彼に、本当に脱帽です。
クラウドファンディングを担った若手起業家の皆さん
一例ではありますが、ミャンマー人だけでなく、日本人の若者の夢を奪った、今回のクーデター。多くの日本人が出国を余儀なくされています。しかし、近いうちにミャンマーが平穏になり、日本とミャンマーの若い人が、国境を越えてより良い社会づくりを目指すことを祈らずには、いられません。