新しい難民の人たちは何処へ
ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所の小野です。
こちらはキャンプのある山岳地帯はちょっと寒いですが、メーソットの街中は湿度が低く涼しい、といった感じで年間で一番過ごしやすい季節を迎えています。
しかし、こちらの国境にはさらに厳しい環境に置かれた人たちが増えています。
「いつ自分の村に戻れるのか」と憂鬱な毎日を過ごす新しい難民。その数は1月12日現在、8,600人と言われています。
そして、昨日、偶然会ったメータオ・クリニックの幹部は「もう9,000人は超えているよ」とのこと。
この問題の始まりは11月15日のブログで紹介しましたが、11月7日の選挙直後にビルマ政府軍と反旗を翻したビルマ仏教徒軍第5旅団との戦闘でした。それに伴ってメーソットに約2万人の難民が流入、タイ国境警備隊は「戦闘終了」のアナウンスと共に2、3日で臨時キャンプを閉鎖、などの顛末も書いてみました。
11月9日の朝、避難所には多くの人が・・・
同日午後には、トラックで国境へ送る作業が開始・・・
しかし、その後も、戦闘は激化し、さらにメーソットより南下していきました。ミャンマー(ビルマ)側の村からは、砲弾の音が頻繁に聞こえ、怖くて逃げ出してきた人たちが後を絶ちませんでした。12月には、数箇所で数百人単位の難民が流出し、その度に国境警備隊が臨時キャンプを設置、地元の篤志家、メータオクリニックを中心にしたビルマCBOフォーラム、国際NGOなどが支援物資を届けてきました。
12月5日、メーソット郊外の村にできた避難所にて
同日、SVAも栄養補給パックを配布しつつインタビュー
しかし、年末あたりから臨時キャンプは閉鎖、国境警備隊は例によって「戦闘終了」をアナウンスし、半信半疑の難民に対して「自主的」帰還を促し、それが「強制的」であるとも見られています。タイ政府は、難民をこれ以上国内に増やさないという方針で一貫しており、現場の軍隊も命令に従って動くだけでしょうが、この対応が新たな問題を作っています。
つまり、ミャンマー(ビルマ)の戦闘に怯え、タイの国境警備隊の対応(事実上の「強制帰還」)に怯える人々が行き場所を無くしているということです。そんな彼らが選ぶ方法はひとつ、親戚や友人のいるタイの村々に潜伏することです。さすがに、タイ政府もそれを摘発しようという動きはありませんが、一方で、こうして難民の人たちが散在する状態は、国際NGOの援助団体の食料や医療を中心にした支援活動を非常に困難にしています。
実際、タイ政府は現在、国際NGOがアクセスすることを嫌っており、メータオ・クリニックやBMWEC(ビルマ移民労働者教育委員会)などの現地コミュニティにネットワークを持っている組織が、様々な非公式なルート、方法を使って支援をしているのが現状です。時には国境警備隊の検問もかいくぐりながら・・・。
SVAはBMWECの召集する会合に参加し、緊急時の教育支援として「モバイル教育パック」を届ける活動に参加しています。生徒20名分の教育活動を行うのに必要な文具や教具を詰めたデイパックを、ようやく探し当てた先生たちに1,2個づつ配布、これまで計11パックが使われました。しかし、先生が不在の場所もあり、スペースが確保できない所もあり、また、配布に関わるガソリン代や人件費の不足もあり、など支援活動はそうスムーズではありません。
戦闘は少なくとも3ヶ月以上は続くだろうと予想され、それに合わせて「モバイル教育パック」がますます必要になることは間違いないでしょう。SVAも加盟する国際NGOの連合体である、CCSDPTにも急遽「緊急救援部会」が設立され、近々会合が開かれます。
ミャンマー(ビルマ)国内の民主化プロセスはどうなるのか、それに連れて戦闘が沈静化、あるいは激化するのか、そしてこの難民問題をタイ政府はどう収拾していくのか・・・。先のことは何とも計り知れません。
両国をめぐる複雑な政治状況と歴史的な民族関係などを見据えながらも、非公式なチャンネルからでも人道的な立場で緊急支援の可能性を果敢に探っていく・・・。現場にいる私たちは、そうした役割を担っているのだと思っています。
今後も、またこの動向をご紹介して参りますので、是非ご関心の程、よろしくお願いします。
追伸 今回は文章ばかりですみませんでした。