• TOP
  • トピックス
  • イベント情報
  • 【開催報告】カンボジア事務所 開設30周年オンラインイベント「カンボジアと共に歩いた30年、今求められる教育支援とは」
2021.11.23
開催報告

【開催報告】カンボジア事務所 開設30周年オンラインイベント「カンボジアと共に歩いた30年、今求められる教育支援とは」

イベントレポート

カンボジア事務所は皆さまに支えられ、今年事務所開設30年目を迎え、11月13日にオンラインイベントを開催しました。事務所開設当時の様子や、カンボジアの教育がどのような発展を遂げてきたのかをお伝えするとともに、カンボジアの現状と、今後必要とされる教育支援とは何かについて登壇者の皆さまにお話頂きました。

第1部 カンボジア事務所30年の歩み

【第1部登壇者】
手束 耕治(話し手)
シャンティ国際ボランティア会 専門アドバイザー。1984年に曹洞宗国際ボランティア会(当時)に入職。カオイダン・カンボジア難民キャンプにて青少年活動を担当。2年後、バンビナイ・ラオス難民キャンプ事業を統括。1991年プノンペン事務所を開設し、教育文化支援事業開始。2004年カンボジアに再赴任。2014年同会を退職し、現職。カンボジア宗教省仏教研究所顧問、NPOハート・オブ・ゴールド東南アジア事務所副所長を兼務。

鈴木 晶子(聞き手)
シャンティ国際ボランティア会 広報・リレーションズ課 課長

カンボジアの歴史
4
1970年代、ベトナム戦争が激化する中で、カンボジア国内では内戦が5年間続きました。クーデターでシハヌーク国王を追放し実権を握った親米のロンノル政権に対し、シハヌーク国王はクメール・ルージュなどと統一戦線を結成しました。クメール・ルージュの中からポル・ポトが台頭、ポル・ポト政権が始まりました。ポル・ポトは新しいカンボジアを作ろうと、旧政権の関係者、教師、医師、技術者、芸術家、宗教家などの知識人を抹殺、都市住民を地方に強制移住させました。財産を没収、貨幣を禁止し、全ての学校や宗教施設は閉鎖され、家族は引き裂かれ、強制労働や飢餓、病気で国民の4分の1が亡くなったと言われています。その後、1979年のポル・ポト政権崩壊を受け、タイ側に大量の難民が流出。命からがら逃げた人は20万人、それ以上とも言われています。シャンティの前身である曹洞宗東南アジア難民救済会議(JSRC)は、この状況を受け、タイ側に逃れ難民となった人々への活動を1980年から開始しました。

1980年当時の難民キャンプ
5
これは1980年の難民キャンプの写真になります。このサケオ難民キャンプを初めて訪問したシャンティの創設者である有馬実成氏は「そこで見た光景は生涯忘れることはできない。まさに地獄絵でした。目の前で肉親が虫けらのように虐殺され、飢えで次々に死んでゆく。人間として見てはならぬものを見、体験してはならない体験をしてしまった人たち。この人たちに私たちは何ができるというのだろうか。」と書き記しています。ですが、このような状況の難民キャンプで出会った1人の子どもの笑顔が有馬氏の心を救ったと言います。「子どもは、未来への希望の象徴です。もし、子どもたちが、この難民キャンプで元気に遊び、元気な声を響かせるようになれば、大人たちも明るい表情を回復するに違いありません。人々が少しずつ健康を回復したときに必ず必要になってくる精神的な援助を行えるように、私たちは今からそれに取りかかろうと、そう思ったのです。」この言葉がシャンティの活動の原点になりました。
その後、移動図書館活動の開始が始まり、カオイダン難民キャンプで常設図書館が開設され、多くの子どもたちが来るようになります。その時の課題は本の紛失でしたが、ある時オーストラリアに定住が決まった1人の利用者が、カンボジア人であることの証であるカンボジア語で書かれたこの絵本を、1冊だけでも持ち帰りたいと話しました。彼女の言葉で1冊の絵本の持つ深い意味を私たちは学ぶことができました。

民族のアイデンティティとおはなしの大切さ
6
写真にある難民キャンプで実施したクメール伝統舞踊教室では、ポル・ポト政権下で9割の芸術家が殺された中で、生き残った芸大の先生が、子どもたちにクメールの伝統舞踊を厳しく教えていました。伝統を受け継ごうと頑張る子どもたちの姿に圧倒され、文化の大切さに気付かされました。それぞれの民族は素晴らしい文化を持っています。文化のない民族はなく、民族や文化に優劣はありません。お互いの文化を理解し、尊重することは現在の世界情勢を見ていると何より重要ではないでしょうか。
また、シャンティが「おはなし」の素晴らしさ、重要性に目覚めたのは、当時”おはなしキャラバン”との出会いがあったからです。おはなしキャラバンの皆さんに難民キャンプを訪問してもらった時、カオイダン難民キャンプからは砲撃を受けて燃える近隣の村の黒煙が見え、人々は緊張状態にありました。そんな中で、「おはなし」が始まると、外の砲声など全く聞こえないかのように、子どもたちも大人も一気に全身で「おはなし」に聞き入りました。「おはなし」の素晴らしさ、凄さを実感した瞬間です。その後、難民キャンプやスラムで「おはなし」を中心とした図書館活動が始まり、国を越えてシャンティの今に受け継がれています。

難民の人たちと共にカンボジア国内へ
7
難民キャンプでの活動を開始してから7年後、1987年にプノンペンを訪問しました。内戦が終わった後はカンボジア国内の復興支援が必要になると思い、国内の状況を視察することが目的でした。プノンペン市内には車がほとんどなく、のんびりとした感じで、人々の表情も明るかったです。ただ、ポル・ポト政権の破壊の傷跡は深く、国立図書館の本が配下されずに山のように積まれ、虫に食われるので殺虫剤を支援してくれないかと言われたのには愕然としました。地方の小学校に訪問すると、教科書もなく、屋根はニッパヤシの葉で、木造の壁や黒板が傷んだ暗い教室内で、子どもたちが笑顔で勉強していました。その後1991年のパリ和平協定に従い、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の活動が開始され、36万人の難民の帰還が始まり、1993年5月の制憲議会選挙に参加できるように4月までに帰還が完了しました。

カンボジア国内での活動開始
10
シャンティは1991年にプノンペンに事務所を開設し、1993年カンボジアで新政府ができた頃、図書館活動を開始しました。プノンペン市内や近郊の小学校や幼稚園、児童保護施設などを50ヵ所近く回り、郊外のダイアット小学校を訪問し、絵本の読み聞かせを実践しました。子どもたちが全身全霊を傾けて聞き入る姿に1人の女性の先生が感動し「私に読み聞かせの方法を教えてください。」と言ってくれました。この写真がその先生で、図書室で子どもたちに読み聞かせをしている様子です。ダイアット小学校で図書館研修会をすると、もう1人の男性の先生が図書館活動に加わりました。ダイアット小学校の噂を聞いた周りの学校から巡回図書館活動の希望が寄せられ、それに応えて男性のスパート先生が自分の自転車に絵本を積み、巡回が始まりました。シャンティはこのダイアット小学校に最初の図書館を建設し、多くの学校から先生が見学に来て、地域を越えた図書館活動の拠点となりました。このようにして、カンボジアの図書館活動は1つの学校の1人の先生から始まり、カンボジアの先生の手によって広がっていきました。

第1部の最後に
30年前、教育省の職員から図書館活動なんて必要ないと言われた活動が1つの学校から始まり、多くの先生と子どもたちが感動し、教育省の政策にまでなった経緯を見てきました。ですが、地方の僻地の学校には図書室もなく、本もないところが多くあり、シャンティのカンボジアでの活動はまだまだ続くと思います。シャンティ設立から今年で40年になりますが、当時より世界は平和になったのでしょうか?人間の尊厳と多様性を尊び、「共に生き、学ぶ」ことのできる平和な社会を目指すことが今こそ必要であり、我々にとって求められていると思います。

※シャンティのYouTubeチャンネルにある映像「奇跡の図書館」には、ダイアット小学校の校長先生、そして登壇者の手束様にご出演頂いています。

第2部 カンボジアの今とこれからの教育支援

【第2部登壇者】
徳川 詩織(パネリスト)
独立行政法人国際協力機構(JICA)カンボジア事務所 社会開発班長。2015年、JICAに入構し、人間開発部基礎教育グループでザンビア、ニジェール、ブルキナファソ、ガーナの教育分野プロジェクト・研修事業の形成・実施監理を行う。2017年6月に人事部人事課に異動し、諸人事制度の運用・改善を担当。2019年10月より現職。

Chea Phal(チュア・パル、パネリスト)
カンボジア開発人材研究所(CDRI)研究員。神戸大学国際協力研究科の経済学博士号を取得後、神戸大学国際協力研究科及び経済経営研究所研究員を務め、現職に至る。2002年から10年間シャンティのカンボジア事務所職員として教育支援事業に従事。

加瀬 貴(パネリスト)
シャンティ国際ボランティア会 カンボジア事務所 所長

山本 英里(モデレーター)
シャンティ国際ボランティア会 事務局長 兼アフガニスタン事務所 所長

現在のカンボジア社会課題から必要とされる教育支援とは
徳川様:
現在のカンボジアは、限られたリソースがプノンペンの1部に集中している状況で、格差が大きいと感じます。国内で中学校に進めるのは60%、高校に進めるのは30%で、あらゆる面での格差や産業発展を支える技能を持った人材の不足が課題だと思います。社会課題の解決のために、教育課程のそれぞれの段階に応じたスキルを身に着けられるよう、多角的な教育の質改善支援が必要です。カンボジアではポル・ポト政権後、教育の量的課題を急ピッチで進めてきたため質の充実が追い付いていません。学校に通っていても学んでいないという状況も指摘されています。そのため、JICAでは教育の質の改善に向け、様々なパートナーと共に事業を実施しています。例えば、教員養成大学の基盤構築事業をプノンペン、バッタンバンを対象に実施しています。先生による一方向的に知識の伝達をする授業ではなく、子どもが自分で考え、理解を組み立てられる授業を実施できる先生を養成することを大切にしています。

カンボジア人から見る教育の価値、国の発展や平和のために必要な教育支援とは
パル様:
教育の価値は子どもが学校で何を学ぶのかによって変わると思いますが、教育は経済の発展、人格の形成、平和に寄与していくと思います。ですが、教育によって子どもの考え方にマイナスな影響を与えることもあると思います。これは私の経験ですが、学校に行くことによって自分の考え方が変わります。ある程度学んでいかないと、自分のなりたいことも考えられないため、教育にはとても価値があると感じます。この30年間で子どもの学校へのアクセス、男女の教育格差が改善してきました。ですが、国の経済発展には、問題解決能力などのスキルがより必要になります。これからは学校建設等のハード支援よりも、先生の育成といったソフト支援が多くなるのではないでしょうか。

シャンティの展開すべき教育支援とは
加瀬:
私自身、断続的ではありますが15年程カンボジアに関わってきました。近年、教育課題は多いものの、学校をより良くしたいという先生にも多く出会い、変化を感じます。但し、良くしていきたいと前に進んできたことが、コロナ禍の学習損失で後退してしまっていることは危惧しています。今後のシャンティの支援について、スタッフとの対話の中で、カンボジアは世代により考え方が異なると感じています。内戦期の過酷な影響を受けている上の世代、復興期の国際支援のある中で育った若い世代との差です。ただし、この多様性は強みでもあると思い、伝統文化と新しい価値観を取り込んだ支援を検討していきたいです。カンボジアの皆さんと話す中で、彼らが自ら考え、自ら社会作りをすることが大切なのだと感じます。日本人の役割もカンボジア人の良い所を引き出し、やりたいことをサポートする役割に変化しています。運営の主体を主役であるカンボジアの人たち達に委ねていくことも今後非常に大切になると思っています。

教育の質について
徳川様:
パルさんの知識だけではなく、ソフトスキルをどのように養うかが大切という意見に賛同しました。また、価値観を変えることは本当に難しいと感じており、加瀬さんのおっしゃるように多様な価値観やアイデンティティを踏まえ、みんなでどうしていきたいかと話し合い、前に進んでいく重要性を認識しました。

カンボジアの世代間ギャップについて
パル様:
確かに考え方の違いはあると思います。この30年間、カンボジアの発展の多くは海外の支援によって形成されてきました。それには良い点も悪い点もあると思います。今、海外の支援を受けて学んできた人達がカンボジアの教育省に入ってきていますので、これからは彼らがオーナーシップを持ってカンボジアの今後を考えることを期待しています。

教育の持つ力とは
徳川様:
まず1人1人の自己実現を可能にする力があると思います。カンボジアの方が教育を通じてスキルを身に着け、なりたい自分になり、活躍している姿に教育の力を感じます。そして、産業発展を促進する力です。カンボジア政府の掲げる経済の多様化、技能集約型産業の転換には、スキルを持った人材の育成が大切で、教育には産業人材を育成する力があると思っています。最後に、異なる価値観や考えを共有し合って、信頼関係を構築しながら、一緒に課題解決を行う力です。教育によりコミュニケーション能力などを養うことが、異なる立場の人達と課題解決をすることに結び着くと思います。また、2019年の外務省調査によると、カンボジアでは日本は最も信頼のおける国となっています。この信頼関係を大切に、カンボジアの教育改善に従事していきたいです。

パル様:
私からは経済開発の面に絞って話したいと思います。カンボジア経済でも人材育成が大きな柱と言われています。カンボジアが平和になって約20年が経ったと思いますが、内戦後カンボジアには人が残されていませんでした。社会は人から成り立つと思いますし、いい社会を作るには人が重要です。

加瀬:
事業地の皆さんとお話する中で、多様な意見を聞けるようになり、子どもたちの選択肢が少しずつ増えてきているのではと感じます。人々がより良い人生を歩むための選択肢が増えることが重要であり、そのために人々が多くのことを学び、実践できる環境が必要です。その根幹となるのが教育だと思います。また、平和の構築、維持において教育の果たす役割は大きいです。様々な情報や知識を得て、カンボジアの皆さんが平和や安定を維持するために必要な議論するきっかけとなるためにも、教育の持つ力は大きいと思います。教育の持つ力が正しく働くように見届けることも重要です。

質疑応答

Q) 過去のボランティアの経験から、教員養成校、小学校共に教員の教える意欲があまりないことに問題を感じました。副業の方が大事であるという印象で学校に来ない先生もいました。現在の教員養成校では教員の意欲向上について何か対策はしているのでしょうか。
A) 徳川様:確かに、特に地方の教員にとって定額の給与では不足があり、副業をし、学校の授業が疎かになっていることは課題と思っています。教員養成校の対策としては、知識を一方向的に伝達するのではなく、子ども1人1人の学びの様子を見ながら、適切な働きかけを行うことが教員の役割であると教員のスタンダードも見直し、このような価値観を学生に持ってもらっています。教員養成校の授業自体も学生の方が自ら考えられるように働きかけています。これは教員養成だけでは解決できない課題で、全国の教員が質を向上できるような政策策定の支援も行っています。

パル様:これは必ずしも先生だけの問題ではなく、制度の問題であると思います。今の制度では、先生が頑張っても頑張らなくても同じ給与になり、先生の頑張る価値が無くなってしまっています。カンボジアだけでなく世界的な課題でもあると思いますが、頑張っている先生が報われる制度が必要だと思います。

Q)カンボジアの未来を支えていく若い世代にどのようなことを伝えたいですか。
A) パル様:ある程度教育を受けないと夢が見えてこないと思います。もっと勉強して色んな道を見つけて欲しいです。あきらめずに勉強を続けて欲しいです。

Q)内戦後のカンボジアで支援をする時に、辛かったと思ったことはありますか?またその時はどうやって乗り越えたのかを教えていただきたいです。
A)手束様:辛かったというより、大変だったことは内戦があり、治安が悪かったことです。やはり平和が無いと活動ができませんし、平和になるまでじっと耐えて待つしかありません。最近のカンボジアは、支援が入ることにより情熱を持つ人が減ってきてしまったような気がしています。但し、これも徐々に変化しつつあると思います。将来、すべての先生が自ら学びたい!という状態になることを期待したいです。

最後に

カンボジア事務所職員からのビデオメッセージを参加者の皆さまにご覧頂きました。長年カンボジア事務所に勤務しているライム職員(プノンペン事務所)、ヴィスナー職員(バッタバン事務所)が皆さまへの感謝の気持ち、そして未来のカンボジアに向けた思いをお伝えしました。

※イベントの様子は、シャンティのYouTubeチャンネルにて一般公開されておりますので、どうぞご覧ください。

カンボジア事務所 山内