【開催報告】シャンティの日記念イベント「緊迫するタイ・ミャンマー国境のいま~ミャンマー(ビルマ)難民キャンプでの25年~」
12月5日にシャンティの日記念イベントとして「緊迫するタイ・ミャンマー国境のいま~ミャンマー(ビルマ)難民キャンプでの25年~」をオンライン開催いたしました。

写真:報告の様子(右下がミャンマー(ビルマ)難民事業事務所のセイラー副所長)
12月5日にシャンティの日記念イベントとして「緊迫するタイ・ミャンマー国境のいま~ミャンマー(ビルマ)難民キャンプでの25年~」をオンライン開催いたしました。
【登壇者】

秦 辰也
シャンティ国際ボランティア会 副会長
1984年から2008年までシャンティの専任スタッフとして活動。活動地での社会開発や人権などの問題にNGOの立場から関わる。タイ・バンコク事務所 所長、アジア地域事務所 所長、事務局長、専務理事などを経て、2023年4月より現職。

ジラポーン・ラウィルン(セイラ―)
ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所 副所長
2001年よりシャンティの図書館アシスタントコーディネーターとして入職。以来20年以上にわたり、図書館事業に携わる。
人生のモットーは “Every cloud has a silver lining (止まない雨はない)
【司会・聞き手】

高橋 彩氏
フリーアナウンサー
NHK総合「キャッチ!世界のトップニュース」 キャスター。
NHK新潟放送局にて夕方のニュースキャスターや中継リポーターなどを担当後、
現在はTBSスパークル所属のフリーアナウンサーとして、放送局の垣根を越えて活動。
最近ではナレーターとして企業VPやスポーツニュースも担当している。栄養士の資格を持っている。
【第一部 タイにおける難民受け入れの歴史など】
第一部ではタイ国境の動き、タイの移民政策の変移について、秦辰也副会長からお話しさせていただきました。タイの歴史や民族構成から始まり、「難民」と「移民労働者」及び「無国籍者」受け入れに関する歴史と政策の変遷について、最新の情報や多くのデータと共に説明がありました。
タイは難民関連の条約の署名国ではありませんが、長年にわたり、難民、無国籍者、その他の「外国人」を含む、国外避難民に対し庇護および人道支援を提供してきました。けれども1980年代以降、その審査の厳格化は進んでおり、特に政治問題からミャンマーから逃れてくる難民は急増しているため、その受け入れについては限定されています。
タイ国境にある9つのミャンマー(ビルマ)難民キャンプの人々の数はおよそ10万人と言われ、その半数が子どもたちです。国際機関やNGOの支援の下で運営がなされ、難民キャンプの外に出ることが許されず、多くの制限の中で暮らしていた人々ですが、今年に入り大きな変化がありました。米国の政権交代に伴う政策変更により、大幅に同国からの援助が削減されたため、食糧配給や医療といった基本的なサービスが一部を残して停止されました。そのためその影響緩和策としてタイ政府は、難民がキャンプ外で最大1年間合法的に就労することを認める政策を10月より開始しました。まだ施行されたばかりで就労はあまり進んでいないようですが、今後その影響については引き続き見守っていく必要があります。また「難民」ではなく長期にタイに滞在する「移民労働者」や「無国籍者」またそのどれにも登録されていない人々の教育や医療等の課題も大きく、NGO等の人道的な保護が必要であるといえます。

タイの難民受け入れの歴史や現状について説明する秦副会長
【第二部 シャンティのあゆみ(難民キャンプの概況・難民キャンプでの活動、課題)など】
続いて第二部ではミャンマー(ビルマ)難民事業事務所副所長のセイラー職員が難民キャンプの現状、シャンティのこれまでの活動、今後の展望について語りました。
教育も本もなかった難民キャンプ

活動開始時期の難民キャンプの様子
セイラー職員が難民キャンプに関わり始めたのは24年前のことです。シャンティに入職する前は、難民キャンプの学校でボランティアの教師として活動していました。当時は図書館も絵本もなく、また子どもたちはトラウマを抱え、勉強に集中することが難しい環境でした。子供たちは本や夜に勉強をするためのロウソクさえ買うお金がなく、将来を思い描くことすら困難でした。この経験からキャンプの状況を改善するために、教育だけでなく、心を癒す場の必要性を痛感したセイラー職員は、シャンティと出会い、2001年に入職しました。以来図書館活動をキャンプに広げてきました。
長期化する難民生活と深刻化する支援縮小

支援が縮小する難民キャンプ
現在ミャンマー・タイの国境沿いには9つの難民キャンプがあり、約10万人が暮らしています。人口の4割は18歳以下で難民キャンプで生まれ育った子どもが大半を占めています。また1984年に正式に難民キャンプが設立されてからすでに40年以上が経過しているため、3世代以上がキャンプで生きてきた世帯も少なくありません。
難民キャンプでの医療・住宅・教育など、生活の多くは支援団体によって支えられています。また難民キャンプ内の経済活動はタイ政府によって制限され、一部の仕事以外、働くことが認められてこなかったことから、各世帯は現金収入を得る手段は限定的です。
現在その生活の基盤が大きく揺らいでいます。米国の政治状況の影響を受けて、支援団体は資金難に陥った結果、医療の提供は縮小し、食料支援は今年いっぱいで終了する可能性があります。多くの人にとって、生活の根幹が失われる危機にあります。こうした状況を受け、今年10月、タイ政府は初めて「難民キャンプ外での就労許可」を出しました。すでに100人以上が働き始めていますが、遠方での生活や慣れない仕事に苦労が続いています。それでも、外で働きたいと願う人は後を絶ちません。一方でミャンマー本国では状況が悪化し、本国への帰還という選択肢はほとんど消えています。セイラー職員が暮らすメーソットでも、時折爆撃音が聞こえるほどであり、本国の平和がどんどん遠のいているように感じています。
難民キャンプで暮らす人びとの声
セイラー職員が最近聞いた住民の声を紹介してくれました。
●62歳の女性の声
「今は逃げ惑う必要がなく、安全に暮らせている」と安堵する一方、食料支援の縮小に強い不安を感じています。「本当は自分の村で自由に暮らしたい」と語りました。
●23歳の若者の声
キャンプで育った若者にとって、高校以上の教育機会はほとんどなく、「将来何を目指せばいいのか分からない」という声が多く聞かれます。またキャンプの中でできる仕事は、家族を支えるほどのお金は稼げず、食料支援の縮小で生活は苦しい状況ですが、外で働くための書類もなく、第三国への定住も難しい状況です。そのため「もっと支援が増えるか外で働けるための書類がほしい」という切実な願いが語られました。
図書館が「心を解き放つ場」に

図書館での活動の様子
図書館活動を始めた当初、人びとは図書館を「静かに本を読む場所」と捉えていました。しかし、教材も自由もない閉鎖された難民キャンプでにおいて図書館は子どもたちや若者の心を解放する大切な空間として受け入れられていきました。徐々に大人たちも子どもたちの変化に気づくようになり、図書館活動を受け入れ、支えてくれるようになりました。
現在では、図書館は「命・希望・癒し、そして学ぶ意欲を持った人びとへの機会」を生み出す場所となり、多くの若者や親、コミュニティリーダー、先生たちがその価値を語ってくれています。
文化を尊重し合うために ─ 7年ぶりの難民子ども文化祭─

難民子ども文化祭の様子
難民キャンプには多様な民族が暮らしていますが、互いの文化に触れる機会は多くありません。そこで子どもたちが多様な文化に触れ、互いに学びあうことで、尊敬する気持ちを持ってほしいと願い、2009年から始まったのが「難民子ども文化祭」です。子どもたちが自分たちの民族の舞踊や歌を学び、舞台で披露します。
文化祭は2018年まで毎年開催されて、以降は資金難やコロナで中断していましたが、今年、活動25周年の節目に7年ぶりに開催されました。大舞台で踊る子どもたちの表情は輝きに満ち、観客からも大きな歓声が上がりました。子どもたちは皆、とても嬉しそうで、何千人もの観客の前のあの大きなステージで発表できたことを誇りに思っていました。セイラー職員も歌や伝統舞踊を一生懸命練習してきた子どもたちををとても誇りに思っています。
セイラー職員の願い

セイラー職員の願い
最後に、セイラー職員は次のように語りました。
「皆さまの温かいご支援のおかげで、25年間活動を続けることができました。私の願いは、難民キャンプで暮らす人びとが自由を手にし、より良い未来を歩めること。そして若者たちに、学び続ける機会が与えられることです」
「小さな手が集まれば、大きな変化を生み出せると信じています」
ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所 所長の中原亜紀からのメッセージ
イベント当日にはミャンマー(ビルマ)難民事業事務所の所長の中原亜紀からのメッセージが紹介されました。
以下メッセージ
「こんな場所に本当に人が住んでいるのだろうか?」2000年、ミャンマー難民キャンプを初めて訪問した時の第一印象でした。
タイ北西部に位置するメーホンソン県メーサリアンの町を出発して1時間も経たない内にガタガタ道に突入。山道に入ってからキャンプに到着するまで目に映るのはとにかく山ばかり。
整備されていない道を延々と走り続けました。ハンドルをちょっとでも切り外せば深い山底に落ちてしまいそうな状況が続く中、スリルを感じながらも車中では不安な気持ちを隠せないでいました。
「生きるために、自由を得るために国境を越えてきたのです。」とキャンプで出会った人たちからの言葉は当時、難民事業に関わって間もない私の心に大きく突き刺さったことは忘れることは出来ません。タイ国境に辿り着く為に危険なジャングルを2-3ヶ月もかけて歩き続けた人たちの姿は想像に堪えません。
難民キャンプでの図書館活動を通じてよく耳にすることがありました。「文化」という言葉です。「祖国を逃れ難民となった私たちですが、自分たちの民族に誇りを持っており、難民キャンプで生まれ育った子どもたちにも自分たちの民族、文化に誇りを持ってほしいと思ってきました。しかし長期化する暮らしの中で失われてきていました。そんな中で図書館という場所が改めて文化の大切さを教えてくれました。」
私たちNGOの活動は根本的な難民問題解決に力は及ばないかもしれませんが、今を生きる難民の人たち、子どもたちに日々の喜びや幸せを少しでも感じてもらいたいと願い続けてきました。
25年の歳月を迎え、これまでご支援をいただきました皆様に心より感謝を申し上げたいと思います。
2021年以降、ミャンマー国内の情勢から帰還の目途が途絶えてしまったことはご承知の通りです。難民キャンプで生まれ育った子どもたちは祖国を知らず、また外の世界に触れることも出来ずにいます。そうした中でも図書館が尊厳や文化を守り、生きる力を与えてくれる場所であることを信じて支援活動を継続したいと思っていますので、どうかこれからもお力沿いをいただけますようお願い申し上げます。
質疑応答
質問:難民キャンプ内での就労許可について許可を得ても、就労が進んでいないのなぜなのでしょうか?
回答(秦副会長):労働に関する保障や最低賃金などの条件については、受け入れ側・労働者側の双方で情報共有や調整が必要となっています。また、問題が発生した際のリスクを避けるため、タイ側の行政機関も許可に慎重な姿勢を取っており、その結果、手続きが複雑化し、進捗が遅くなっております。
質問:図書館に来る子どもたちはミャンマー本国についてどのように思っているのでしょうか?
回答(セイラー副所長):ほとんどの子どもたちはミャンマーについて特に話すことはなく、図書館での活動を楽しんでいます。ただ一部の子どもはミャンマーでの状況について怖がったり、帰りたくないという気持ちを話している場合もあります。
質問:難民支援で最も大切なことは何でしょうか?
回答(秦副会長):難民支援で最も大切なのは、人の痛みを自分の痛みとして感じ、受け止められることだと思います。日本にいると現地の方々の痛みを実感しにくいため、想像力を働かせ、自分がその立場だったらどう感じるかを考えることが大切です。
今回のイベントは立教大学文学部特任教授 三宅隆史先生にご協力いただき、立教大学の教室をお借りして実施しました。活動理念にご賛同いただき、ご協力をいただきましたことにお礼申し上げます。


