2022.03.11
メッセージ

サボテンの花

メッセージ

「みんな『忘れない』と言うけれど、一日でも忘れることができたならどんなに楽だろうと思う人もいることを知って欲しい。その上で『忘れない』と言ってほしい」という、岩手県大槌町で聞いた言葉が強く心に刻まれています。
家族を失い、家を失い、仕事も町も失ったその絶望感に毎日苦しめられている人にとって、一日でも一瞬でも頭の中からこの記憶が消えてくれたならと、痛みと闘いながら毎日を生きている現実を突き付けられました。

「忘れない」と言う人は、常には忘れている人でしょう。思い出そうとしなければ普段は記憶から抜けていて、それでも暮らしていける人、だからせめて3.11の時は忘れないようにしようと思う人なのでしょう。
その人たちに、忘れたくても忘れられない記憶の中でもがいている人の心など分かりようがないし、そんな思いを抱えていることすら分からない人には伝えることができないことです。
所詮は、誰しも人の痛みなど、分かりようがないのです。
しかし、現地に立ち、そばに身を置き寄り添うことで、「人の痛みは分かりようがない」ということを、サボテンを抱くような痛みで肌で感じることはできます。それこそが慈悲の心です。

もう一つ忘れられないのは「ボランティアのみんなは、それぞれの地元に帰って幸せになればいいっちゃ。俺たちは人の幸せを羨むほど落ちぶれちゃいねえよ」という漁師の言葉です。
「かわいそう」という思いには時として上から目線になる心が含まれます。それが支援される側の尊厳を傷つけることもあります。支援されるつらさもあるのです。

被災地は、人の優しさや温かさを感じる一方、理不尽な現実や人の本性が見えてしまう、社会の縮図です。いわば、非日常の中で日常のあるべき姿を教えられる教育現場でもあります。
現地に身を置くことで、この苦しみの娑婆世界において、どのように生きていくべきかを自覚するきっかけをもたらす体験ができるかもしれません。
人は一人では生きていけないとするならば、そのことを肌で実感できる場に身を置いてみることは決して無駄ではないでしょう。

人の痛みを感じる同苦同悲の心が開けば、その心は同時に同喜共喜の心も開いてくれると信じます。もしかしたら、痛みを感じる心と喜びを感じる心は比例するのかもしれません。痛みを感じるからこそ喜びも感じることができる。サボテンにも花が咲きますね。
今も国の内外において、痛みと闘っている人がいます。アンテナを立て想像力を働かせてその痛みを感知していきましょう。そして、行動につなげていきましょう。

3.11に向けてのメッセージは、忘れたくても忘れられない人がいることを、「忘れない」。

副会長 三部義道

2011年3月18日、大槌町吉里吉里吉祥寺避難所100名以上が避難