【シャンティ ヒストリー】シャンティの活動の始まりと図書館
2020年12月10日、シャンティは設立40年目を迎えました。
40年前を振返りながら私たちが歩んできた軌跡を辿っていくと共に、現在も社会の中で翻弄されている人々の課題、その中で必要なものは何かを考えていきたいと思います。
写真:多くの人で溢れかえる難民キャンプ
1980年。その頃の新聞やテレビでは“難民フィバー”とその当時の流行言葉で言われたほど、連日難民のニュースが流れていました。祖国から難民ャンプに命からがら辿り付くと同時に、極度の疲労や飢えでバタバタと人が倒れていく姿が映し出されていました。そんな状況を目の当たりにして「私も何かしたい。」と現地に駆けつけた、志のある若い青年たちによってシャンティの活動は始まりました。
私たちは難民キャンプで子どもたちに絵本を届ける活動を始めました。カンボジアは戦争になって、「国民には教育は必要ない。みんなが農民で田畑を耕せばいいんだ。」という政府の方針を出しました。学校は壊され、本は燃やされ、教師は殺されました。だから難民キャンプに逃れてきた子どもたちはもう何年も教育を受けていませんし、本だって見たことがない子どもたちがほとんどでした。そんな子どもたちに本を見せ、将来の希望をもち、そしていつかカンボジアを立て直してほしい、それがシャンティの願いでした。
写真:難民キャンプの子どもたち
それともう一つ、どんなにひもじく苦しくとも子どもの笑顔があれば大人たちは幸せです。笑顔のない子どもを見ることが一番つらいことです。自分たちは苦しくとも、子どもたちだけは幸せに暮らして欲しいと願い親の気持ちは万国共通です。そこで、“子どもたちに笑顔を”これが私たちのもう1つの願いでした。
私たちは毎朝車いっぱいに本を積んで、難民キャンプに出かけます。キャンプでは子どもたちが私たちの来るのを首を長くして待っています。私たちが到着して仮校舎の机の上に本を並べると、子どもたちはきちんと整列して中へ入ってきます。
目を皿のようにして選んだ本を一人一冊づつ大切に胸にかかえて席に着きます。みんなが席についてから、「ハイ読んでいいよ」というと競争でもするかのように表紙を開いて一斉に読み始めます。難民キャンプに来て始めて自分の国の文字を覚えた子どもたち。今覚えたばかりの文字を読むことはどんなには楽しいことなのでしょう。キラキラと目を輝かせて一心に文字をひろい読みするのです。それは読むというよりも食べると言ったほうがピッタリしています。音読している声は蚕が桑の葉を食べるようだと聞いています。
写真:難民キャンプの図書館の様子
確かに、飢えている子どもの前に一切れにパンと、1冊の本を置いたら、子どもは間違いなく一切れのパンに手を出すでしょう。飢えなくなれば難民救済が終わりだと思うのは間違いで、その後には教育援助が必要であることを忘れてはならないのです。
現在のカンボジアは、ポル・ポト政権の焚書政策や教育の否定による傷跡はまだ残っています。カンボジアではいまだに地方には公共図書館がほぼ皆無で、学校図書館も十分に整備されておらず、また市場でもあまり本が売られていません。私たちはこの現状を解決するために、カンボジアでコミュニティ図書館活動を行ってきました。
そして2020年は、新型コロナウイルスのパンデミックにより世界は未曽有の状況に直面しました。カンボジアでは小学校が休校になり子どもたちの学びの機会が減少、この状況を受けて電子図書館を開設しました。詳しくは下記の記事よりご覧いただけます。
コロナ禍で私たちは何ができるのか、これまでの軌跡を振り返りながら模索し、困難な状況に置かれている子どもたちの教育の機会をつくり、まもる活動に、引き続き取り組んで参ります。
2020年もたくさんの方に支えていただきました。活動を支えてくださった皆さま、お一人お一人の心温まるご支援に、心より御礼申し上げます。
コロナ禍が逸早く収束することをお祈りいたします。
そして、2021年が皆さまにとって素晴らしい年になりますように、心よりお祈り申し上げます。
良いお年をお迎えください。