2014.12.18
対談・インタビュー

【対談:第八回】識字は誰のためのものか

対談

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絵本作家・識字教育専門家 / 田島 伸二さん × シャンティ広報課 / 鎌倉 幸子
2014年10月18日 代官山蔦屋書店

文字の読み書きができること「識字」は、人間の持った権利です。それができない立場にいる人のためにシャンティは様々な活動を行っています。
ただし、文字が読 み書きできることは、すべてが良い結果に繋がるとは限らない–。
シャンティの活動と矛盾するような言葉ですが、今回の対談では絵本作家・識字 教育専門家である田島伸二先生に識字の持つ力について、二つの側面からお話していただ きました。

絵本作家・識字教育専門家 / 田島 伸二さん

  • 1977年から1997年までユネスコ・アジア文化センター(ACCU)でアジア・太平洋25か国の識字教育・図書開発の責任者を務め、識字教材製作や図書開発の読書推進などのプログラムを推進する。1997年、国際識字文化センターを設立し、幅広い識字や文化活動を行っている。代表作「大亀ガウディの海」など。

シャンティ広報課 / 鎌倉 幸子

  • 1999年シャンティに入職。内戦で多くの図書が焼かれてしまったカンボジアに赴任。カンボジア事務所図書館事業コーディネーターとして絵本や紙芝居の出版にも携わる。2007年に帰国。東京事務所海外事業課カンボジア担当、国内事業課長を経て、2011年より広報課長。東日本大震災後、岩手で行っている移動図書館プロジェクトの立ち上げを行う。

カースト制度の外で、生きている少数民族の人々との出会い

鎌倉:世界中を飛びまわっていらっしゃる田島先生の貴重なお時間を頂戴しありがとうございます。今日は、出版と子どもの文化、あるいは「生きていくうえで必要な読み書き・計算の力「識字」などについて、広範なお話を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

田島:よろしくおねがいします。

鎌倉:まず先生が、この仕事に携わることになったきっかけを教えてください。

田島:その昔、私は、インドのベンガル州にあるダゴール国際大学というところで、2年間哲学を学んだことがありますが、これが最初のアジア体験のきっかけとなりました。この大学は、ラビンドラナート・ダゴールというインドの詩人で、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞した文学者が創設した学校で、彼は、古代インドの「森の草庵」に習って、大自然の中に伝統的なしかも国際的な学校を創設しという話を聞いて、行ってみたいと思ったのがきっかけです。当時、私はそのような学校を作りたいと思っていました。

鎌倉:ダゴール大学での生活はいかがでしたか。

田島:私は学校よりも、ベンガルの人々の生活に興味を持ちました。私が大学時代、住んでいた家の近くには、大きな砂漠状の荒野が広がっていましたが、そこには毎日、ヤギや羊や牛などの面倒を見ている子たちがやってきていました。その子たちとコミュニケーションをとって分かったことは、これらの子どもたちは、みんな学校に行っていない(通えない)貧しい家の出身の子どもたちでした。世界中から多くの学生が学びにやってくる大きな学園がある裏面には、ベンガル州の田舎には学校にも通えていない貧しい子どもたちが多数いたのです。

鎌倉:それはカースト制が原因ですか。

田島:いえ、カースト制度だけではありません。圧倒的に貧しい家がたくさんあったのです。またインドの憲法では社会的な差別であるカースト制度は禁止していますが、実情はカースト制度の外側に置かれている不可触民(ダリット)の人たちも大勢暮らしていますし、そのダリッドよりもさらに下層で虐げられた位置に置かれている先住民族であるサンタ―ルという少数民族も、ベンガル地方には暮らしていたのです。そうした人々の文化や生活にぶつかって学んだのが、私の学園生活でした。

鎌倉:ダリットの人々は、いまだに人間らしい扱いをされていないと聞きますが・・・・

田島:そうですね。インドの何千年にもわたって社会の隅々にまで張り巡らされているカースト制度という差別構造は、ちょっとやそっとでは解決できない難解な課題ですね。ダゴールは、ノーベル文学賞を取り、国際学園を作りました一方、地元のサンタールの少数民族の子どもたちは就学できないし、文字の読み書きも全く知りませんでした。そこで、私の家の近く生えているいい草を求めて、子どもたちがヤギや牛を連れて近寄ってきたとき、そうした家畜の世話をしている子どもたちを集めて、私は小さな「砂漠の学校」というものを作ってみたのです。それは、学校に通えない貧しい子どもたちに何かをしてあげたいという気持ちがあったのです。これが識字教育に取り組みきっかけともなりました。

「きちんと伝える」ために

鎌倉:インドからの帰国後、ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)というところで長年働かれましたね。

田島:はい。インドからの帰国後、私は、子どもたちの絵本をアジアで共同で作るプロジェクトの担当者を募集していたので、ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)の図書開発課というところに入りました。夢やビジョンをもった伊藤理事長という方に魅かれたからです。入ってからは。夢中でアジアの子どもたちのために図書開発や識字教育の仕事をしながら、あっという間20年間が過ぎていきました。

鎌倉:アジア各国から絵本に関係する人たちが集まり本を作ったり出版したり研修トレーニングを行うプロジェクトのご担当だったのですね。アジアからのいろんな人との出会いがあったのではないでしょうか。

田島:1977年頃のアジアは、激動と変化の中にありましたね。しかしその中でも「変わっていく世界」と「変わっていかない世界」の二つ大きな世界がぶつかりあい、特にアジア地域では、精神的な価値や文化を大切にしている、人々とのたくさんの出会いがありました。アジアには、日本人の失ってしまった価値や伝統などを大切にして生きている人々がたくさんいたのです。

鎌倉:その頃、田島先生は絵本を出された経験はあったのですか。

田島:いいえ、仕事を始めた当初は絵本など出版した経験は全くありませんでした。
ACCUに入ってから、すべて、内外の諸先輩から学んでいったのです。10年ぐらい経ってからですね。物語を書いたり、絵本を出したりしたのは。

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田島先生の著書

鎌倉:私が絵本出版の担当をしていたカンボジアでは、動物を裁判官にして物語仕立てで子どもたちに社会の生き方を伝えるような民話や説話が多かったですが、田島先生が、物語を書く上で気をつけていることはありますか。

田島:基本的には、自分自身が人生で感動したる世界を「わかりやすく、おもしろく」いろいろの物語に託して表現していけばいいんだと思いますね。
寓話や物語の源泉はまるで人生や社会の地下水みたいなものです。世界中は、じつにグローバルな形で、地下水でつながっているわけですが、その深いところから人類が飲むべき、知恵や経験をもった美味しい地下水を汲みだすーこれがアジアのこどもたちへの大切な仕事となっていったのです。

鎌倉:その地下水の深いところから自分の気持ちを見つけていくのですね。

田島:そうです。そうした地下の水やその思いは他の人と深くつながっていると思います。人間の人生も生き方も、喜怒哀楽がみんなどっかで誰かと深くつながっていますね。孤立した社会や文化というものはありません。文化は飛び火するんです。そして地下水では豊かにつながっているのです。どんな本でも翻訳されて、違う国で出版されると、国を超えてつながって生き延びていくのは驚異でした。

鎌倉:カンボジアの昔話集の中に、イソップ童話と似ている物語があります。
イソップ童話に、鶴とキツネがお互いスープを用意して振舞うけど、鶴はキツネが用意した平べったい皿では長いくちばしでは飲めず、逆にキツネは細長いツボに入っているスープの飲めずというお話があります。カンボジアはシロサギとオオカミと動物は違えども、内容は一緒でした。物語は国境を超えると実感しました。

物語の中に、人は生きる

田島:どんな人間も、あっという間に一生を終えてしまうでしょう。だからこの短い人生の中で、人間は、その一瞬一瞬に自分自身なりの物語を編んでいるともいえるのです。考えてみれば、だれにとっても朝から晩まではひとつの物語ですし、一年間とか一生といった時間もだれにとっても起承転結をもった感動的な物語です。振り返っていけば、人と人との付き合いだってすべてが物語です。物語とは、特別なところにあるわけではありません。

鎌倉:物語の中に、私たちは生きているんですね。

田島:だからこそ、人間は他人の物語にすごく興味を持っているのです。なぜかというと、物語には「人生をどのように生きるかという」一種の智慧のパターンみたいなのがあって、色んな物語を知ることは、多様な生き方や知恵を豊富に得られることを意味していますから。

鎌倉:子どもであっても、他の人の生き方から学ぶことができますね。

田島:子どもは、いつもお母さんやお父さんがどのように生きてきたのか、そして自分の世界とどう繋がっているのか、切実に知りたいと願っていますね。そして子どもたちは、そうした体験や知恵を自分の人生の中に入れておきたいと思っているのです。そうすると生きる選択の幅も広がるし、行動も自由にとれる。そういう深い欲求があるように思うのです。

鎌倉:世界を自分の中に入れておきたい、体感したいっていうことなんですね。

田島:はい。それはある意味では、これは子どもたちの最も痛切な欲求でしょうね。美味しいものを食べたいという気持ちと同じように、物語を聞きたい気持ちというのは、「私はこれからどういう風に生きて行ったらいいのか、どのように困難や苦しみに打ち勝っていけばいいのか」、喜びや楽しみと同時に、「たくさんの知恵を授けて」という叫びなのでしょうね。

鎌倉:先ほどの、地下水のどこまで掘るかという話に関係するのですが、文化や精神的な復興は時間がかかります。どうしても数年でいくら数字を出すかという経済の指標で計られる傾向が強くなっている気がします。文化という時間のかかる作業に、どこまで、どう寄り添うかが大切だと感じています。

田島:そうですね。市場経済は具体的にすぐ具体的な効果のでる金銭の数字で見せていくでしょ。本の内容も市場のニーズで決まっていますが、それだけに問題も多くありますね。だからそれにアクセスできる人間が強いわけです。

鎌倉:数字で評価される社会になると、日常生活に必要な計算に困る非識字と識字の中で格差が広がりますね。情報格差の広がりが、貧困の連鎖を生み出すのではないでしょうか。

田島:「大切なものは目に見えない」とよくいうでしょ。数字や物の世界が前面に出る社会では、「目に見えない大切な世界」の影は薄くなります。しかし目に見えない精神的なことが、すごく重大なものだったりするのですが、それは市場経済の原理とは逆の方向であったりします。その素晴らしさを伝えることが、文化関係に携わる人間にとって重要な仕事だと思うのです。

カンボジアでのCLCワークショップ (1)
カンボジアのコミュニティラーニングセンターで行ったワークショップの様子

文字の読み書きができる事で起きる危険もある

鎌倉:人が文字を持つことについて、お考えをお聞かせいただけたらなと思います。

田島:そうですね。人は、いつも自分がどこにいるのかを知りたがっている動物です。そして基本的には「ひとはどこから来て、なにをして、どこへ行くのか」という自分自身の人生の位置や方向を知りたがっています。最初は、身のまわりの生活や自然から、そして次には自分自身の位置から、そして次には他人へそのことを伝えていきたいという強い欲求からですね。文字を通じて、自らの体験を他者へ伝えていきたいという文字が持っている強い欲求です。それは文字でも絵でもデザインするということすべてにつながっています。
そして世界や宇宙などへも興味は広がり、一体人間ってなんなんだろうっていう非常に素朴な疑問がわいてきますが、こうしたことを人間は、すべて文字によって、表現していきたいという欲求を、心のなかに強固に持っています。

鎌倉:まずは自分を知り、周りを知りたいという欲求なのですね。

田島:生きるために、文字をどうやって使っていったらいいのかということですが、例えば、古代ギリシャに建てられたデルフォイの神殿には「汝自身を知れ」という言葉が刻まれていたそうです。しかし、当時すでに「そんなことを言ってもどうやって自分を知るのか」という議論があったそうです。要するに自分で自分を知ろうとしても、だれも自分を知ることはできない。自分を知るためには、「実はよその世界を知らなければならない」、そうすれば自分の位置がわかるということに気がついたのです。人間が文字で表現したいと思ったのは、人間が生と死に向き合って生きてきた凄絶な体験とか、どのように生きてきたかという喜びや感動などを、後世に残したいという強い思いから生まれたのではないでしょうか。識字の原点ですね。

鎌倉:文字を得られることで、歴史や思いも残していける。しかし文字も変に使われると危険な状況も作り出せますね。先生は、それについて問題点はどう考えられますか。

田島:そうですね。表現手段をもった人間はとても強いです。ところが非識字の問題とは、実は非識字者というよりも、識字者たちが作り出した深刻な課題ですね。識字の問題を、現代を生きる人びとがどう捉えているかですよね。王様や武士階級や僧侶階級などが、文字文化を独占しようとしたこともあります。知識とか技術を独占し、自らの社会的な優位を保ちたいという歴史がありますからね。

鎌倉:よく戦争など侵略されると、図書館や本を焼くことでその地域の文化とかが根こそぎ失われてしまうこともあります。その国の知識人が迫害されるのもよく聞く話です。

田島:そうですね。その国の、最高の学校を出た人が何を学び、どこを向いて生きているのかということは大変重要です。非常にたくさんの知識や情報を持っていても、もしそれが間違った方向を向いたら、情報を独占したら、知識が負の社会を生み出していきます。現在の情報社会も同じような傾向があって、文字や情報の豊富さよりも、その方向が適切に社会を導いているか、絶えず吟味していくことが重要ですね。

鎌倉:カンボジアで恐怖政治を行ったポル・ポトもフランスに留学していました。政権をとった後、図書館を閉鎖し、作家を迫害しました。人々が自由に情報を取り入れ「学んでいく」ことの恐ろしさを知ってるからこそ、そうしたのでしょうね。

田島:そうですね。ポル・ポト体制は徹底的に知識人を嫌いました。とくに自ら行う体制を批判されることを嫌悪したのです。そのため兵隊は、すべて13歳前後の子どもたちを使いました。カンボジアで大きな虐殺が起きたのは、一部の政治家によって扇動された子どもたちによってなのです。この知識社会の中で、本当の情報がどこまで皆に届いているのかということですよね。本当に重要なことがどこまで知らされているのか。これはいつの時代も大きな課題ですね。識字っていうのはその方向性が間違った時、一体何に使われていくのかわからないですよ。我々はいろいろの道具をよく使いますが、たとえば金槌を使うと、家でも椅子でも作ることができますが、使い方を誤ると人を殺すこともできますね。「文字も何のためにこれを持つのか」が、一番大切な識字の原点ですね。

鎌倉:物語の話に戻りますが、昔から伝えられている寓話や説話は、一見シンプルな物語の中にも善と悪、人はどうやって生きていくかを伝えてくれます。今の複雑に見える社会の中でも、原点を突き進めれば、「傲慢な人は最後に罰を受ける」などシンプルな原点にたどり着くのかも知れません。

田島:人間が生きている世界は、実はシンプルな原理で動いています。これをもっと私たちはもっと知らなきゃいけないと思いますたとえば、欲張りすぎてはいけないとー現在の強欲的な資本主義社会は、多くのものを破壊しています。環境破壊にしても、戦争が起きる原理もすべてそうです。強欲者が闊歩している世界なのです。そして正直というような価値にしても、デモクラシーという制度は、正直という価値がきちんと作用しないとたちまち崩壊していくような弱さもありますね。一つの知識や技術は、驚異的な社会作り上げていくのに役立ち、昔は病気が蔓延して多くの死者が出たような不治の病気でも治せるようになりますが、よく気をつけないと薬品の使い方によっては、人の命を脅かすものも簡単に開発できるのです。

鎌倉:そこに「識字の問題は識字者が生み出す」問題提起につながるのですね。識字に携わる人のモラルが問われる。

田島:王様は美味しいものをたらふく食べているだけではなく、情報とか精神的なものもたくさん食べている存在ですね。いつの時代も貧しい人は触れることすらもできません。
現代も、ほんの一握りの人々しか、もの凄く美味しい情報にアクセスできないとしたら大変悲惨です。最先端の技術を使って、みんながよりよく生きるためにどのように幸せに使われているか、ということにもっと真剣になって考える必要がありそうです。

創造とは人の心の中に火を灯すこと

田島:1997年からパキスタンの教育省で3年間、学校に通えない子どもたちへの教育活動をすることになりました。そこで全国にある寺子屋式の学校を訪問して、こどもたちに必要な文房具を聞いたら口々に「コピーを下さい」っていうんです。「何だろう、コピーの機械かな」と思って通訳に聞いたら、それはコピーの機械ではなくて「紙」や「ノートブック」を意味していたのです。紙やノートは、どこかのNGOなどに頼んで送ってもうことも考えましたが、量が半端ではありません。そこで紙をどのように送ろうかと考えたとき、沖縄のサトウキビのカスの「バガス」から紙の作品を作っているのを知ったので、私もパキスタンで紙漉きを教えることにしました。

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田島先生が漉いた紙の例

鎌倉:サトウキビの繊維から紙が作れるんですね。

田島:そうです。植物繊維があればなんだって紙漉きはできます。そこで一年ぐらい試行錯誤して、50種類ぐらいの植物繊維から、さまざまな紙を作ってみたのです。教育活動というよりも、私は紙職人になってしまったわけです(笑)。当時住んでいたイスラマバードでは、肌に触るとかぶれるという木を皆で切っては、捨てていたのですが、その木の皮を使ってみたら和紙とそっくりな紙が出来たんです。それは野生の桑の木でした。僕はその出来上がりに狂喜して、約1,000人ぐらいの人々が各地から集ったので、自宅で約60回ぐらい「紙の作り方」のワークショップを開いたんです。各地の教育者、各種国際団体の専門家、地元のNGO,アーティスト、盲学校の教師などさまざまな人々が学びにやってきました。

鎌倉:トレーニングして地元の方に作ってもらえるようにしたっていうのがすごいですよね。

田島:誰か一人に技術を渡すと占有して、必ず独占化が起きていくので、その技術を広く伝えることにしました。一番最初の普及は、パキスタンとアフガニスタンの国境地域にある少数民族の人々が暮らしているカラーシャという地域に行って、そこで教えたんです。一番最初に、紙漉きを気にかけてくれたのは好奇心旺盛な子どもだけでした。ですから午前中の参加者は、すべて幼児から子どもだけです。昼ぐらいから、ポツポツと若者や女性たちが集まってきました。そして夕方になると、やっと大人が参加し、そして村長さんが集まってきたのです。彼らはよそ者を警戒していたのです。しかしも口コミが広がっていくと、次の日には彼らは自分の目でみたようにどんどん自分の手で紙を作り始めたのです。彼らは学校には行っていませんが、自然の中で暮らしてきているので、伝統的なタッチでさまざまな絵も描けて、それはすごく素敵なものでした。まるでアルタミルやラスコーの古代の壁画のような絵を、海外から来た観光客に紹介すると、それはたちまちに村おこしにつながっていったのです。予期しないスパイラルが起こったのです。

鎌倉:廃材をリサイクルするところから始まって、町おこしまでつながったのですね。

田島:現地では、「ミスター・ペーパー」とも呼ばれるようになりました(笑)

鎌倉:この紙を作るエピソードの中でも思ったのが、文字も大切ですが、絵でも自分を表現できるのですよね。

田島:そうです。通常、文字が書けない人は、いろいろな研修や会議には全く呼ばれないんです。そこで、読み書きができない人々も集めて実験的なワークショップをやりました。それは最初に自分たちの村が直面している問題をみんなでよくよく話し合ってもらいました。そして文字が書けない人々のために、文字を書ける人が字を代書していく、そして字が書けなくても、みんな絵は描けるので、自分が表現したい問題を絵で描いてもらいました。それから、どんどん村が直面している人々の暮らしや人生の絵地図が出来ていったのです。その中には、村が抱えているたくさんの問題も豊かに表現されました。

鎌倉:文字を持っていない人たちにとって、そういった会議に出て、自分の発言が形になることは自信につながりますよね。

田島:そうです。だれでも表現できるという自信が大切ですね。ワークショップで、文字だけでなく絵がたくさん出てくると、自分も参加してなにか出来るっていう気持ちになっていくんです。すると文字が書けない人も参加すると同時に、文字をどのようにみんなが使っていくのかを知ることもできますし、子どもに自慢しながら自分の行動を伝えたりもできるでしょ。ワークショップでは、そうやって大きな村の絵地図を作ったんですけど、それによって村が劇的に変わり始めたのには実に驚きました。絵とかデザインによって、村が変化し動き始めるんですね。

鎌倉:絵の持つ力もあるのですね。

田島:文字の時代が始まる前、人々は、長い歴史の中で、絵を描いて楽しんできました。文字の世界の歴史はまだ浅いですが、絵の歴史は実に長い歴史を持っていますね。絵は具体的にわかりやすいし、人を動きかしやすいんですね。視覚というものが、現代の文化も大きく動かしていますよね。

鎌倉:その思いが表現されるっていうことですね。

田島:思いを絵で表す作業を何回かやっていくと、必ず真相が浮かび上がってくるんですよ。心の底の気になることを全部かいていくと、文字によって小さなものでも深く沈んでいるものを見つけ出していくことができます。こうやって私は、「こころの絵地図分析」をいう手法を確立していったのです。今ではアジア全地域で、この研修ワークショップを行っています。

田島:僕が学生の時、尊敬していたひとりの先輩がいました。彼は亡くなる前に「創造とは、他人の心の中に火を灯すことだ」という言葉を残してくれました。こうした活動が、少しでも他者の心に火を灯していくことは本望ですね。

鎌倉:どのような社会を作り、どのように生きていきたいのかを、考えることが識字の原点になるのではないかというお話をいただきましたが、それにプラスして「人の心の中に火を灯すこと」が識字の重大な役割にもなるのではないかとのご指摘とても大切だと思います。

今日のインタビューは、アジアのこども、識字、出版などの原点を考えるうえで、大変参考になりました。お忙しいところ、誠にありがとうございました。

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