2010.11.15
読み物
新たなミャンマー(ビルマ)難民の流入、帰還、その後は?
ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所の小野です。
既にニュースなどでご存知かと思いますが、8日(月)、ここメーソットの対岸、ミヤワディ(カレン州)にてカレン仏教徒軍(DKBA)第5旅団とミャンマー(ビルマ)政府軍との武力衝突が始まり、約2万人の避難民がムーイ川を越えてメーソットに流入しました。
直接的な原因は、DKBA第5旅団司令官のラ・プウェ大佐によると、11月7日に実施された20年ぶりの総選挙中、ミヤワディ内で政府軍が銃で脅して強制的に投票させたこと。それが激化したのは、政府軍の反政府勢力を掃討したいという意図もあったと思われます。
メーソット中心街から10キロの「友好橋」と対岸ミヤワディの景色は、メーソットでは数少ない観光スポット。その日は、多くの人たちが川の上流や下流を越えて戦火を逃れてきたのでした。
写真は、今年の4月のお正月の行楽シーンで、難民流入の図ではないのでご注意を。手前がタイ、向こうがミャンマー(ビルマ)。友好橋は7月から閉鎖中です。
お恥ずかしい話ですが、ふだん難民キャンプ内で活動しているので、キャンプの中にいる人たちしか知らない私にとって、こんな風にいとも簡単に大量の人々を国外へ追い出してしまう問題とは何なのか、非常に考えさせられました。
タイ側の小学校にもロケット弾が飛んできて、子どもたちは全員避難しました。見えにくいですが、鉄板の屋根に穴が空いてしまいました。
大量の避難民は、西部国境警備隊が同訓練施設にテントを特設したグランドに案内され、赤十字社、商店などのタイ人篤志家、ビルマ・カレン人CBO、国際NGO、UNHCRなどがサポートに入りました。着の身着のままで出てきた人たちも多く、その日はほんとうに不安な夜だったと思います。
国境からトラックで送られた避難民。やはり、子どもや女性、お年寄りが多かったようです。
心配なのは食べられるのか、眠れるのか・・・。
翌9日の午前中には、タイの警備隊のアナウンスがありました。
「ミヤワディのDKBA第5旅団は撤退しました。午後には治安回復が確認でき次第ミヤワディへ戻れます」。
集中して聞いている人もいたようですが、通訳の声が一部しか届かないようでした。
朝の9時過ぎでしたがお疲れのようで、まだ休んでいる人が多かったです。
しかし、避難民の心境は半信半疑。「向こうに残してきた家族もいるし、家が壊れたり、物が盗られたりしていないか」「まだ戦闘は続くだろうから、今帰ったら、男は強制労働で政府軍のポーターに取られてしまう」。家に帰りたい気持ちはいっしょでも、すぐにでも帰りたい人もいれば、もう少し待ちたい人も多くいたはずです。
結局、訓練施設にいた大方の人々は9日の午後に対岸へ帰りました。
難民の強制送還は国際法で禁止されていますが、タイ政府のとった方法は・・・微妙ですね。
避難所から歩いて帰る人もたくさんいました。
あちこちからトラックを集めて、船着場までピストン輸送をしてました。
メーソットの船着場からいよいよミヤワディ側へ渡る人々。いろいろな心配がよぎる・・・。
夜にもう一度、避難所に行ってみると、500人近くの人たちが残っていました。話によると「彼らは家族全員で出てきてるのであまり心配のない人」とのこと。全員がそうだというわけではないでしょう。
人数が激減したせいか、食べ物や毛布も十分当たっているようでした。
大きなテント(5x10m程)が10張以上ありましたが、周りにはその何倍ものテントがたたまれていました。
そして、翌日には、彼らの姿も消え、避難所は閉鎖されました。