【寄稿】ともに学ぶ(藤谷 健)
年4回発行しているニュースレター「シャンティ」に寄稿いただいたシャンティと深く関わりのある方からの記事をご紹介します。
シャンティ国際ボランティア会 専門アドバイザー
藤谷 健 朝日新聞 編集担当補佐 兼 ジャーナリスト学校デジタル推進担当部長
施す側、助けられる側?
2004年の年末、インドネシア西端の町バンダアチェにいた。インド洋大津波の最大の被災地は、瓦礫で覆い尽くされ、死臭が漂っていた。住民の多くが家族や友人を亡くし、自宅を失い、着の身着のままで逃げていた。
その日も太陽は強烈な日差しを容赦なく浴びせていた。早朝からバイクの後ろに座席付き荷台のついたサムロー(三輪車)で取材していたが、昼過ぎに突然、朦朧とし始め、記憶が薄れていく感覚に陥った。熱中症だったのだろう。
すると運転手がペットボトルを渡してくれた。被災地では水1本が貴重だ。何度も礼をしながら口をつけた。生温かったが、身体に染み渡った。
同時に気づいた。水を受け取るまで、自分は取材する側、あるいは施す側におり、運転手は助けられる側にいる、と決め付けていたのではないか、と。だがその関係性は一瞬のうちに逆転した。途上国との付き合いは40年近くなるが、自分の中に潜む優越感や「上下関係」の意識が、改めて透けて見える出来事だった。
筆者がミャンマーの移動図書館活動を取材した時の写真(2018年撮影)
国際協力に不可欠な姿勢とは
シャンティについて初めて朝日新聞で書いたのは1995年。九州電力労組の研修に協力しているという内容だった。記事では参加者の日記の一部を紹介している。
<モン族の青年と交流。仲間が「村の皆さんは心の豊かさを持っている。組合活動が求めるものも、この心の豊かさだった。しかし、日本の経済発展はそれを失わせた。帰国したら、心の豊かさを取り戻す努力をしたい」と発言する。同感だ>
国際協力とは「相手から謙虚に学ぶ」、「自分ごととして考える」という姿勢に尽きるのではないか、と最近よく考える。その意識がないと対等な関係を築くことはできない、と。
周りを見ると、いまなお「可哀想な人を助けてあげている」といった「正義」を振りかざす団体が少なくない。だがシャンティからそうした「上から目線」を感じたことが一度もない。常に寄り添っているという印象を持つ。そんなところが存外良いのかも知れない。
筆者がミャンマーの移動図書館活動を取材した時の写真(2018年撮影)
本寄稿記事とニュースレターについて
本記事は、シャンティが発行するニュースレター「シャンティVol.307 (2020年秋号)」に掲載した巻末言「道」の内容を元に再編集したものです。※ニュースレター「シャンティ」は年4回発行し、会員、アジアの図書館サポーターに最新号を郵送でお届けしています。
・【寄稿】笑顔とテレビの間を埋めたい(高田博嗣)
・【寄稿】難民キャンプから学んだ原点(八木澤 克昌)
・【寄稿】難民の人々のそばに立つということ(秦 辰也)
シャンティは、子どもたちへ学びの場を届け、必要としている人たちへ教育文化支援を届けています。引き続き、必要な人へ必要な支援を届けられるよう、月々1,000円から継続的に寄付してくださる「アジアの図書館サポーター」を募集しています。