2023.08.26
シャンティな人たち

ゼロから生み出していく大変さとやりがいを感じながら。 背伸びせずに等身大で国内事業を担う_村松清玄

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シャンティの活動地はアジア7カ国8地域。カンボジアやミャンマー、アフガニスタンなどのほか、7ヵ国のなかには日本も含まれています。シャンティが国内事業を開始したのは2020年。国外で培った経験をいかし、まずはNPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワークとの協動で、外国ルーツの子どもたちの居場所づくりをスタートしました。そして現在では、豊島区において在留外国人を対象とした支援事業にも取り組んでいます。そんな始まったばかりの国内事業を担当している1人が、地球市民事業課に所属する村松清玄(むらまつ せいげん)です。

シャンティ国際ボランティア会
地球市民事業課 国内事業担当
村松 清玄(むらまつ せいげん)


実家はお寺。普通大学に進学し、就職先が決まらないまま海外放浪の旅へ

青森のお寺生まれ、しかし幼稚園はカトリック。そんな幼少期から少し変わった経歴を持つ村松は、どのようにしてシャンティと出会い、入職するまでに至ったのでしょうか。

村松 「小中高は地元の公立に通い、その後も仏教系の大学ではなく普通大学に進学しました。国際協力に関わる勉強をしていたわけではなく、昭和史を学んだのですが、物心ついた時から地図が好きだったということもあり、漠然と海外や、人とのつながりということには関心を持っていました」

一般的にお寺を継ぐ場合、仏教系の大学に進学し、そのまま修行にいくことが多いそうですが、普通大学に進学したことで自分のキャリアについて柔軟に考えてみても良いのでは、と思うようになった村松は、海外を見てみたいという思いから1年ほど海外各地を巡る旅にでることに。

村松「イスラム圏など普段関わりのなかった人たちと触れ合えたのはとてもよかったです。気さくで優しくて、親切に接してもらって…。先入観や固定観念で判断するのではなく、実際に会って話してみないとわからないと強く思いました」

大学の同期は就職・進学し、お坊さんを目指す人たちは修行に入る中、自分は海外を自由に旅していていいのだろうか…。少なからずそんな負い目を感じながら、自分と向き合う旅をつづけました。

村松「世界を旅して8カ月ほどがたったころ、いよいよ区切りだと決め、最後は南米を旅して帰国し、頭を剃って修行に入りました。シャンティとの出会いはこの時で、修行していた福井の永平寺でシャンティの特別講義を聴く機会があったんです。“絵本を届ける運動”にも参加しました」

そしてシャンティの活動がぐっと村松自身に近づいたきっかけがもうひとつ、修行中にあったと言います。

村松「修行中、お経以外ほとんど字を読まないんです。もともと新聞を読むのが好きだったのですが、修行中はその習慣もなくなり、その日を生きるのに精一杯。極限状態におかれながら日々を過ごすなかで、掃除で新聞紙を使うことがあるのですが、ふとその古新聞の記事に読み入っている自分に気づいたんです。文章を読むことのうれしさ、楽しさ、すばらしさを改めて感じたと同時に、シャンティが言っていたのはこういうことなんだと。この経験から、活動地の文字や文化を大切に思う大人や子どもたちの気持ちに共感できるのは、自分自身の強みだと思っています」

お寺での日常の1コマ

3年間の修行を終えた後は、青森の実家に戻ったものの、自分の役割を見いだせずにいたと話します。日常的に人の死と接し、一度きりの人生、若いうちに思い切ってやりたいことをやってみてもいいのではと感じていたタイミングで、ふと開いた宗報(宗派ごとに発行している機関誌)に掲載されていたシャンティの採用情報を見つけます。

村松「私なんかが入れるような世界ではないと思っていたのですが、思い切って履歴書を送ってみました。家族のシャンティへの理解もあり、面接を受けて1カ月後には上京してシャンティに入職しました」

はじめての東京生活と社会人生活。国内事業のやりがいは、現場で直接コミュニケーションがとれること

2020年11月に青森から上京し、はじめての東京生活とともに、地球市民事業課での活動が始まりました。現在は、外国ルーツの子どもの居場所づくり事業と、豊島区における在留外国人包括支援事業を担当しています。

 村松「シャンティが長年活動してきた中で、ふと足元を見てみると国内の課題も多様化していることに直面したことから、これまでのシャンティの学びをいかして国内課題の解決につなげていこうと始まったのが、子どもの居場所づくり事業です。始まってから丸2年がたとうとしているところです」

事業地である豊島区は、人口の約1割が外国人(出典元:e-Stat「令和2年国勢調査」)となっており、これは東京23区でも最も多い割合となっています。日本生まれの日本人が大多数のなかで、外国ルーツを持つ子どもたちは言語的な壁やアイデンティティに対する葛藤など、さまざまな課題を抱えながら育つ彼らのサポートにシャンティは取り組んでいます。

村松「子どもの居場所づくり事業は学生スタッフが中心となって運営しているのですが、私はそのサポートとして資金集めや、内容の検討、外部とのコミュニケーションなどに取り組んでいます。新しいことを生み出していく事業なので、大変なこともありますが、自分のアイデアや行動力次第でいくらでも広げていけるおもしろさを感じています。シャンティの中で、いちばん自由にやらせてもらっているように思いますね」


コミュニケーションする上で「やさしい日本語」も学んでいる。

そしてもうひとつの国内事業である、豊島区における在留外国人包括支援事業は、コロナ禍において豊島区に住む在留外国人を対象とした緊急支援として始まりました。弁護士法人東京パブリック法律事務所、社会福祉法人豊島区民社会福祉協議会と連携しながら進めています。

村松「いろいろな団体と連携しながら、円滑に活動が進むように調整しながら、新しいものを作っていく国内事業は、シャンティらしさが問われますが、シャンティが大切にしている“共に生き、共に学ぶ”をまさに体現していると感じます」

「現場に行けるというのが自分にとってすごく大切」と話す村松にとって、国内事業はすべてを担う大変さがある一方、すべてを見ることができる楽しさがあると言います。

村松「シャンティの東京事務所での業務は海外事業地の後方支援が多いですが、私が担当する国内事業はバックヤードから現場まで、すべて見ることができるんです。毎週でも現場に足を運ぶことができ、さらに実際に会って直接コミュニケーションもできる。コミュニケーションする中で、私たちの活動が少しでも彼らの支えになっているということを知れた瞬間にやりがいを感じますね」


豊島区での相談会の様子

背伸びせず、等身大で。やりたいと思ったら挑戦できる場所

今では国内事業の推進を大きく担う村松ですが、入職する前の社会人経験はなし。大学卒業直後にでかけた海外放浪、そしてそこから修行の道へ進み、ふとした出会いからシャンティへ。入職してから2年目となる現在は、どのような思いを抱えているのでしょうか。

村松「社会はもっと冷たくて厳しい場所なのでは…と想像していたのですが、シャンティは私にとって本当にシャンティ(平和)な場所で、全くそんなことはありませんでした。NGO職員というと大学院卒や海外経験豊富な方が多く、ツンとした人が多いイメージで雲の上の存在だと思っていたのですが、皆さん物腰柔らかで、あたたかく受け入れてくれたことに驚きました」

大変なことを聞いてみると「背伸びをしないようにしている」という回答が。

村松「私自身まだまだ知らないことも多い中、その道のプロフェッショナルである皆さんと取り組みを進めるのは大変ですが、大変さとやりがいは紙一重ですし、あまり背伸びをしないようにしています。第一線で活躍されている方とコミュニケーションする機会が多いというのはとても刺激になりますし、得難い経験です。青森のお寺にいたらきっとすれ違うこともなかった方と出会って、一緒に活動できるなんて、2年前の自分が知ったら驚くと思います」

「人の役に立とう」という気持ちも大事ですが、まずは自分の学びとして向き合い、その結果人の役に立つことができれば…ということを念頭に置いていると村松は話します。

村松「コップに水を注いでいった時に、無理をせず溢れた分だけ人に分け与えればよい、と聞いたことが印象に残っていて。人に分け与えるには、まずは自分を満たそうと。なので、大変なこともすべて学びだと考えています。私自身英語も話せない、国際協力もわからない状態で飛び込んだ場所でしたが、思い切って挑戦してみてよかったです。やってみたいと思ったらぜひ一歩を踏み出してみてほしいですね」

プロフィール 村松 清玄(むらまつ せいげん)

2015年  大学を卒業。海外を巡る旅へ
2016年  帰国後、修行の道へ。
2020年  シャンティ入職。地球市民事業課 国内事業担当(現職)

企画・編集:広報・リレーションズ課 平島容子
インタビュー・執筆:高橋明日香
インタビュー実施:2022年7月12日