2022.09.05
シャンティな人たち

「伝えること」は、「つなぐこと」。現場で出会った人の想いや、過去と未来のかけはしとして_鈴木晶子

キャリア
スタッフインタビュー
スタッフの声

シャンティが活動を続けるためには、ありとあらゆる形でシャンティと関わるステークホルダーがなくてはならない存在です。そんなステークホルダーとのコミュニケーションを担当するのが広報・リレーションズ課課長の鈴木晶子です。「伝えること」に真摯に向き合う現在に至るまでの経緯を聞きました。

シャンティ国際ボランティア会
広報・リレーションズ課 課長
鈴木 晶子(すずき あきこ)


海外生活から帰国後に知った、「知らない」というギャップ

カンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、アフガニスタン、ミャンマー、ネパール、タイ、日本の8つの地域での事業、国内外での緊急救援活動に取り組む、シャンティ。活動エリアの広さはもちろんのこと、事業内容も多岐に渡るなか、さまざまなステークホルダーとのコミュニケーションを担当するのが、広報・リレーションズ課課長の鈴木晶子(すずき あきこ)です。

コミュニケーションする相手も国内外多岐に渡り、伝える内容も幅広いシャンティの広報。日々試行錯誤しながら「伝えること」に取り組む鈴木は、2005年からシャンティでの活動をスタートさせました。

振り返ればシャンティとの出会いは必然だったように見えます。

鈴木「私が育った街は海外からたくさんの観光客が訪れる場所で、学校では海外との交流も盛んでした。海外の人と触れ合う中で海外のことを知らないこと、日本のことが海外であまり知られていないのではというギャップがあることを感じました。お互いの “知らない”というギャップが埋まればより理解し合えるのではないか、という現在にも繋がる想いを持つようになったのは、この経験からでした。

その後、大学時代は、子どもの国際交流をメインに取り組む団体でボランティアをしていました。その団体は、大学生を中心に運営をしていて、毎年夏に10か国から子どもたちが日本へ来る受け入れ事業と、日本の子どもたちが他の国に行く派遣事業があり、どちらも携わっていました。」

大学時代に取り組んだ、子どもたちの国際交流の場を生み出すボランティア経験から、「人が交流できる場を作り、それぞれの価値観が変わっていく、という経験を生み出せるような仕事をしたい」と感じた鈴木にとって、シャンティの1人ひとりのアイデンティティを大切にする姿勢や、「難民子ども文化祭」の取り組み(※)は、抱いていた想いと一致していました。

※「難民子ども文化祭」は、一時的な避難場所である難民キャンプで、伝統文化の保護と、共に暮らすさまざまな民族同士の文化理解を目的に、2009年から2018年にかけて毎年開催していたイベント。2018年は、9民族から178人が参加し、文化交流を行いました。

 

鈴木が応募したのは、アジア各国での事業を進める海外事業部ではなく、国内外の緊急救援を行う緊急救援室でした。シャンティの緊急救援室は、1995年の阪神・淡路大震災後に開設され、現在は令和元年台風19号、令和元年8月九州北部豪雨、ネパール洪水、東日本大震災被災者支援活動に取り組んでいます。

鈴木「大学の時に被災した地域でボランティアを受け入れた経験がありました。泥だしなどで人手が必要ななか、たくさんのボランティアの方が来てくれたことで支援活動が自分ごととしてより強く感じるようになりました。

海外に関わりながら働くということ、そして日本国内での支援も自分の中でキーワードになりました。」

今でさえ少しずつ増えてきているNGO職員になるという選択肢。しかし、当時周りにはほとんどおらず、この道を選ぶことを悩んでいたそう。しかし、そんな鈴木の一歩を後押ししたのは、意外にも「NGOって何をやっているの?」という気持ちでした。

鈴木「NGOに対してはわからないことが多かったです。海外で事業を行うとはどういうことだろうと具体的にはわかりませんでした。でも、シャンティと出会って、シャンティが開発事業だけに取り組んでいるわけではなく、文化や個人のアイデンティティを大切にしながら、社会を作っていく姿勢にとても共感しました。よくわからないからこそ、やってみようと思い、決断しました。」

パキスタンでの活動(2005年)

入職直後に関わった国内緊急支援。国内外のつながりを感じた

鈴木が緊急支援室に入職した直後、三宅島の帰島支援が始まりました。遡ること2000年、三宅島で起こった噴火をうけて、三宅島に暮らす島民全員の避難が決定し、4000人余の島民は島外での避難生活を余儀なくされました。全島避難から5年経った2005年、ようやく避難指示が解除され、そのタイミングでシャンティも支援に入りました。

鈴木「避難していた島民、特に高齢者の方は慣れ親しんだ三宅島に帰りたい。その一方で、行政としては当時ガスも出ている中で、帰島を推進できる状況ではない、という状況でした。そこで、シャンティをはじめとした民間によって事務局が立ち上がり、月の半分は三宅島に行き事業に取り組むという生活を、約半年続けていました。」

海外事業への想いを抱きながらも、シャンティ入職後、実際に取り組んだのは国内の緊急支援。そこで感じたのは国内・海外どちらか一方だけではなく、日本とのつながりを意識して事業に取り組む、という一つの軸だったと話します。

鈴木「三宅島で事業に取り組むなかで、色々な会社や自治体から社会人が集まってきていて、これまでの先人たちの積み重ねを実感したんです。災害支援を通じて、事業は様々なつながりのなかで進めていくものだということを体感したことは、自分にとって、とても大きくて。
日本での取り組みも大切にしながら、国内と国外の事業をつなげる、人々の思いを伝えるという今もずっと持っている意識に繋がりました。」

その後、パキスタン北東部地震支援やインドネシアジャワ中部地震支援などにも携わるなかで、教育支援事業に現場で関わりたいという想いが膨らみました。

鈴木「災害支援で現地に入っても、ようやく基盤が整って、ここからという復興の前段階で、現場を離れるんです。この短い期間でできることの限界を感じていて、教育事業に長期的に現場で関わりたいと思うようになりました。」

そして、緊急救援室からカンボジア事務所にうつり4年間駐在。小学校に図書館を普及する事業、学校建設事業などを担当しました。その後、東京事務所のタイ国境ミャンマー(ビルマ)難民事業担当としてコミュニティ図書館の運営をサポート、東日本大震災後の緊急救援を経て、2015年から広報課(当時名称)に入りました。

交流会にて手遊び歌「茶摘」をしている(2012年)

「伝えること」が、活動地を知っている私のやるべきこと。
少しでも遠い国のことを、身近に感じてもらえるように

広報課に移動してからは、ステークホルダーとのコミュニケーション、イベント実施や講演会の登壇、『わたしは10歳、本を知らずに育ったの。─アジアの子どもたちに届けられた27万冊の本』(合同出版)出版など、多岐に渡る活動を行っています。

鈴木には今でも現場で出会った忘れられない言葉があります。
鈴木「パキスタンの事業に関わっていた頃、アメリカ育ちの20代女性と仲良くなりました。結婚を機にパキスタンに移住してきた同年代の彼女といろいろな話をしているときに、“あなたの人生がうらやましい”と言われたんです。この一言がすごくショックで、“うらやましい”と言われるほど、自分の人生を自分で握っている意識があまりありませんでした。

その彼女は、自分の意思で仕事をすること、学ぶこと、どこかへ行くことが一切できない状況で、アメリカにいた頃と状況が変わって苦しい、という話をしていました。一方で、私は自分の意思で日本からパキスタンに来て、自分の好きな仕事ができている、それが“うらやましい”と。
自分では当たり前だと思っていたことが決して当たり前ではなく、自分の人生を生きることが難しい人がいることを実感しました。この一言から、自分の人生にちゃんと責任を持ちたいと思いました。自分にできること、自分がすべきことを考え始めたきっかけです。」

また、難民キャンプで出会った人の言葉も、胸に残っている。

鈴木「“自分たちのことが知られていない。この難民キャンプで生きていることを日本の人たちに伝えてほしい。”と、難民キャンプで出会った人に言われたのも、今でも心に残っています。
自分にできることは、現地に留まって事業をすることだけではなく、声を代弁していくこと、知ってもらえるように努めることだと気づきました。その状況を知った責任、関わった以上は伝える義務があると感じ、それがいまの仕事にも繋がっています」

どうしたら関心を持ってもらえるのか。日本からは遠い国の話、自分とは関わりのない国の話と思われているなかで、同じアジアで起こっていることとして、日本でも少しでも知ってもらいたいという想いから、今では書籍や映像の制作、いろいろなストーリーを集め伝えることを意識して行っています。

現地で出会った人の想いと日本、そして過去と未来…。伝えることで、つながるものがあります。そんな想いを抱きながら、鈴木はこれからも「伝えること」に取り組んでいきます。

親子ボランティアの様子(2017年)

写真で使用した絵本:『つるのおんがえし』偕成社、『どうぞのいす』ひさかたチャイルド、『ぼくはあるいた まっすぐ まっすぐ』ペンギン社、『わたしとあそんで』福音館書店

プロフィール 鈴木晶子(すずき あきこ)

岐阜県高山市出身。
2005年 入職。緊急救援担当として、三宅島帰島支援、パキスタン北東部地震支援など、国内外の災害支援に従事。
2007年 カンボジア事務所に駐在
2010年 タイ国境ミャンマー(ビルマ)難民事業の担当として、難民キャンプ内の21館のコミュニティ図書館運営に携わる
2015年 広報課・リレーションズ課 課長

企画・編集:広報・リレーションズ課 鈴木晶子
インタビュー・執筆:高橋明日香
インタビュー実施:2019年10月